桜の絵はむつかしい?

 私が知っているある画廊は毎年3月末になると「桜の絵展」を開く。TVニュースで取り上げられる桜前線の情報と連動した企画である。その狙いが当たるかどうかはさておき、各家庭では

「今年の花見はどこへいく?」

という会話が交わされるのは間違いないだろう。我家もしかり、今年は関西で屈指の桜の名所、夙川(兵庫県西宮市)に出かけ、手作りサンドイッチとワインで楽しい一日を過ごした。
 さて、そんな日本人にとって切っても切り離せない桜。画家ならそれを絵にしたいと思うのは当然で件(くだん)の画廊にも毎年多くの出展申込があると聞く。しかし実を言うと

桜を描くのはとてもむつかしいのだ。

 あの独特の淡いピンクはいかにも日本の色らしい。でも一色ではない。光と影と透け具合よる色の変化は多彩だ。枝の勢いによる色の変化もある。しかも眺める距離と角度によってその表情は微妙に変化する。
 それらを一枚の画面に納めるには、秀でた感受性と高度なテクニックが要求されることは素人でも推測できるだろう。

そんな桜を描いた有名な絵がいくつかある。

 まず奥村土牛の「吉野」。吉野の山に広がる桜をピンクのグラデーションで雲海のように描いた作品である。
 そして同じく奥村土牛の「醍醐」。醍醐寺の桜を描いている。やはりピンクのグラデーションが美しい。ただこちらは一本の桜の木を描いているので、細かく見ると桜のやや模様化された花びらが見て取れる。おそらく距離感による美しさの違いを描こうとしたのだろう。
 次に東山魁夷の「花明り」。ご存知、京都円山公園の枝垂れ桜である。桜の淡いピンクは本来、背景が暗い方が引き立つにきまってる。画面いっぱいに輝く夜桜と頭上の満月というまさに桜の美の究極を追求した作品だと思う。
 そして比較的新しい作品で私が一番好きな桜は2008年に公開された田淵俊夫の智積院講堂の襖絵。これはNHKの日曜美術館で見て初めて知り知り、さらに其の後展覧会で実物を見た。本物を自分の目で見たという経験はやはり何物にも変えがたい。印象は強烈だ。
 桜なのに何とピンク色は一切使っていない、墨絵なのだ。グレーの濃淡だけで桜が表現できるという事実、いやその特異な感性とモノトーンの美しさを観る者に思い起こさせるテクニックに心から感動した。私の一番のお薦めだ。

さて私自身はというと、社会人になってからはもっぱら花見の宴のみ。

 桜を描く気力も時間も持ち合わせていなかった。しかしある年の春、仕事で愛媛県今治市の工事現場の設計室に単身赴任することになった。
 その日はぽかぽかと暖かく、桜前線の報告も満開を告げ、世間はまさに花見一色。一人ぼっちの花見酒ではちょっと寂しかろうと、ひさしぶりにスケッチブックをもって近くの川辺の土手に赴いた。さすがに満開の桜は美しい。いつの間にかごく自然に画帳を開き、久しぶりに絵筆を執っていた。よく考えてみると

初めて描いた桜の絵

この絵が私の描いた初めての桜の絵だった。

書き終えた時、偶然私の横を通った母子連れの女の子が私の絵を覗き込んで「きれい」と言ってくれた。そのせいか「うん、いい出来だ」と自己満足していたのだが、今見ればそれほどでもない。
 桜は本当に難しいのだ。それ以来、実は結構な枚数の桜を描いている。もちろんテクニック的にも、毎年新しい工夫をして、少しでもその場の感動が伝わるよう、色々な工夫をしてきた。
 そしてやっと今回(2019年)三度目の個展の作品「姫路城春爛漫」で、来場者から高い評価をいただけるようになった。うれしいことに複数の購入希望をいただいたので今回初めて「※ジークレー版画印刷」による複製画を販売させていただいた。

加藤美稲 「姫路城春爛漫」

この絵は6号だが、桜の絵はやはり大画面の方が迫力が出る。次回の桜は20号でさらに新しい表現を試みたいと考えている。

※ジークレー版画印刷
通常のオンデマンド印刷に比べてコストは格段に高いが、水彩紙に現実とほとんど変わらぬ絵が印刷できる。耐久性も抜群だという。複数の人に提供できるという意味では今後も利用したいと考えている。

クロッキー帳に何を描く?

 学生時代あれほど絵を描くのに熱中していたのに、絵描きになるという野望を抱くことなく、選んだ道はゼネコンの設計部。高校時代に決めた建築家になるという目標に向かって歩き出したのだ。もはや絵筆は不要。

鞄にはいつもペンとクロッキー帳を入れていた。

設計エスキースの必携品だ。
 芸術的センスが要求される建築家とはいえ、所詮はサラリーマンでビジネスの世界で生きている。締め切りに追われ、夜遅くまで気力と体力を消耗する毎日だったが、絵を描くことを完全に忘れていたわけではない。

仕事を終え、いつも飛び乗った終電車。

 さすがにここは東京、車内にはまばらながらぽつぽつと人が座っている。でもよく見ると時間のすごし方は皆それぞれ。
 着ている服、姿勢、表情、手にしたアイテムも皆違う。あの人の職業は?体調は?などと考えてしまう。
 連日の残業で体は疲れ果てているはずなのに、頭は妙に冴えきっているからだ。ついいつも鞄に入れているサインペンとクロッキー帳を取り出して、彼らの様子をスケッチしてしまう。いくつかお見せしよう。

 熟睡。というより爆睡か。
長髪で、ネクタイの締め方もちょっとだらしない。
きっとまっとうなサラリーマンじゃない。
ひょっとして私と同類の設計屋か。

 仕事の疲れも見せず一心不乱に読書に読書するおじさん。

  こちらのお兄さんは肩肘をつき、なにやら思案中いや夢想中か。
いいアイデアが浮かぶといいね。

   夜遅いのに案外若い女性もいる。
でもたぶん銀座の女性ではない。がんばるキャリアウーマンか。

    こちらのお兄さんは今の仕事が一段落したに違いない。
リラックスして読書にふける。

冬の 電車内は暖かい。ほっとしたせいなのか、ついうとうとと・・・。おかげでクロッキー時間にちょっと余裕あり。

 この人はどんな職業なのだろう。でもずいぶん恰幅のよい紳士だ。

  描きかけたら、次の駅で降りてしまい未完になってしまったスケッチもある。(きれいな人だったのに残念だ!)

 通常プロの水彩画家はやわらかい鉛筆で軽く輪郭を取ってから色を塗っているものが多い。一方、今私が描いている風景画はほとんどがペンで線描きし、上に水彩を重ねたものだ。
 この技法を使うようになった理由はこの若い頃のペンとクロッキーによる「終電車の風景」にあったのかもしれない。

油絵に熱中した青春時代

暗黒の(?)高校時代と浪人時代を送った人間が、目指す大学に入ったら、どんな日常を送るのか?私の答えは実に簡単。

「好きなことを好きなだけやる」

特に高校時代出来なかった絵を描こうと 「美術部」に入った。もちろん高校時代から続けていた「剣道部」にも入った。歴史や美術や数学が好きだった私にとって「建築」の授業はどれも楽しかった。特に設計製図の授業は面白く、提出直前まで製図室で徹夜することも度々あった。昼間は授業、夕方から剣道部、終わってから家庭教師のアルバイト、帰ってきて美術部の部室で100号の油絵を描き、深夜を過ぎると製図室で図面を引き、明け方下宿に戻って寝て、また授業に出る・・・学問とスポーツと芸術と(時々恋)まさに青春時代そのものだった。
そんな中でも

一番熱中したのが油絵だった。

中学生のときに一枚だけ描いた自画像に満足できなかった過去の体験を思い出し、再び自画像に熱中した。事情を知らないほかの美術部員は何故あいつは自画像ばかり描くのだろうと思っていたに違いない。このころバルビゾン派の絵画を知り、何枚か模写もした。特にコローは私のお気に入りの画家でその作風を真似して何枚も風景画を描いた。そして毎月の展覧会にかならず出品することを自分に課した。学生レベルとはいえ、一ヶ月に一度出品するための負担は軽くない。ほとんど毎晩絵を描いていた。時間の使い方はプロの画家と変わらなかったに違いない。

でも青春時代は永くは続かない。

やがて就職を意識するときがくる。当時(1978年)オイルショックで絶不況。建設業の採用意欲は低く、進路担当教官は「コネのある方は早めに申し出て下さい」と告げていたくらいだった。私にコネは一切無かったので市役所、国家公務員受験するもすべて落ちた。新聞記者という職業も気になっていたが試験問題を見ると難しくてまったく手が出ない。ちょっと青春を謳歌しすぎたかと反省した。それなら毎日描いていた絵の世界で身を立てる・・・などという甘い考えはやはり封印した。結局この時は真剣に建築学を勉強すべく大学院へ進んだ。専攻は「建築歴史」だった。もっとも就職が有利な研究室という訳ではない。ただこの頃から、消費と生産一辺倒の価値観が見直される機運が起こっていた。今の世界遺産ブームに繋がるガラパゴス諸島など最初の認定がなされたのがちょうどこの1978年、国内ではいわゆる「旧い町並み」を見直す国の施策である重要伝統的建造物群保存地区が最初に選定されたのが1976年。大手ゼネコンの設計部を目指していた私は就職面接用に町並み保存をテーマに設計図を引いた。「これからはゼネコンも町並み保存の動きを無視できない時代になります」
面接での答えが試験官の心に響いたのかどうかわからないが、何とか合格。以後ゼネコン設計部での社会人生活を送ることになる。ちなみに私が掲げる

絵のテーマ「建築」と「人」はこの面接での一言から始まった気がする。

人生最初の「選択」とは

私にとって高校時代は暗黒時代だった。

いわゆる旧制一中の受験校だったので、毎日が競争、試験の繰り返し。授業が嫌でたまらない。すっかり劣等生になってしまった私が唯一逃避できたのが部活の剣道だった。 成績もほとんどビリになるまで急降下 これではだめだと、剣道部の活動を控えようと決心したとたん、部員の投票の結果キャプテンに指名されてしまう。
そんな訳で部活もやめられず、

最悪の成績で最終学年を迎える。

私の通っていた高校は2年の終わりに志望大学と学部、学科を決め、3年生からはそれぞれの進路コースで授業を受けることになっていた。理系と文系の区別はもちろん芸大を目指す人もこの時意思を明示しなくてはいけない。
絵は相変わらず好きだったが、周りは学業優秀な人ばかり。芸術の道に進もうなどという輩はいるはずも無い。家もそれほど裕福でなかったこともあり、間違いなくお金を稼げる道を選ぶべく、法学部志望、弁護士になりたいと進路指導の教師にはすでに伝えていた。
そしていよいよ最終書類を提出するときがきた。

人間の心はわからない。

あれほど弁護士になると言い聞かせていたのに、ほんとにそれでいいのかと自問すると心が抵抗しているのがはっきりわかるのだ。そこで図書館に通いつめ自分の適性を調べ、高校生なりに悩んだ。苦手だが数学は嫌いじゃない。歴史と絵が好き。そんな訳で

私が選んだ道とは国立大の工学部建築学科へ進み、建築家になることだった。

当時、建築学科は航空学科と並ぶ人気学科。当然偏差値も高く、その時の成績では合格率は限りなくゼロに近い。親も教師も大反対。劣等生の性根が浸み込んでいた私だったが、このときだけは抵抗した。成績は今から頑張るからと志望を変えなかったのだ。
しかし試験前の一年なんて誰もが頑張るに決まっている。自分だけ成績が急上昇するはずはなかった。結局希望大学の建築学科に入るには浪人生活を1年経験する必要があった。しかしこの時の選択があって今の私がある。浪人時の経済的な負担を許し私の「人生の選択」を尊重し、認めてくれた親に心から感謝している。ありがとう。

フランス絵画お勧めの一枚は?

絵画史においてもっともフランスが輝いたのはやはり19世紀だろう。日本では印象派が一番人気だが、

私はバルビゾン派の方が好きだ。

印象派の絵はご存知の通り光の表現が特徴的だが、私にとってはちょっと自然味が強すぎる。もう少し人間味がほしいのだ。だから印象派の少し前の時代19世紀中頃、ミレー、コロー、クールベに代表されるバルビゾン派の絵が好きなのだ。特にコローは古典的なテクニックに支えられながらも、庶民に寄り添った日常的な題材を、落ち着いたグレーの色調で、ロマン溢れる情景に仕上げてくれる。私が学生時代毎日油絵を描いていたころ一番意識していたのもコローだった。今はもっぱら水彩画を描いているが、水彩であんな絵が描けないかといつも思っている。

そんな多くのコローの絵の中で今の私がお勧めしたい絵は彼が1843年イタリア旅行の際に描いたという

「ティヴォリ、ヴィラ・デ・エステの庭園」だ。

コロー ティヴォリ、ヴィラ・デ・エステの庭園

お勧めする理由は3つある。

一つ目はこの絵、実物を2008年神戸市立博物館で見た。少年が腰掛けているバルコニーの手摺の向こうに広がる風景が強烈に脳に焼きついたから。

第二は最近テレビで見た世界遺産の番組がこのエステ家別荘を取り上げていて、カメラが映したバルコニーの風景が、かつて脳に刻まれたこの絵の記憶を再び呼び出してくれたからだ。

そして三つ目の理由は、偶然にも直後にイタリアにスケッチ旅行に出かけることになっていて、自分の目でこの光景のすばらしさを確認できたからだ。もしイタリアに行く予定のある方は是非このエステ家別荘に立ち寄ってほしい。交通の便もよくローマから1時間足らずでいけるはずだ。その後、このコローの絵を見ていただければ私が押す理由が納得していただけるだろう。

なにしろイタリア世界遺産の雰囲気とフランス絵画の精神を同時に味わえる、ある意味お得な絵画なのだから。

私は現地を訪れた際、件のバルコニー周りの写真をあちこち撮りまくった。コローと同じようにこの背景を利用して美しい女性像を描いてやろうと思ったからだ。

加藤美稲 夏風 第三回個展 出品作品

そして半年後。私のイメージにぴったりのモデルさんにめぐり合った。長い髪と魅力的な口元。遠くにかすむ山と家々。麓まで広がる緑の畑や森。青い空は開放感があって、夏風が心地よさそうだ。

フランス絵画の再現・・・とは言いがたい。なんといってもモデルが日本人だからね。残念。

イタリアをスケッチする ローマ編

 2013年夏。ついに憧れのイタリアにやって来た。絵描きになることを目指し、「人」と「建物」をテーマに絵を描くと決めたのだが、本場イタリアの建築をこの目で見ていないことに実は引け目を感じていた。古典建築をスケッチする喜びをじっくりお伝えしよう。

絵描きになることを目指し、「人」と「建物」をテーマに絵を描くと決めたのだが、本場イタリアの建築をこの目で見ていないことに実は引け目を感じていた。古典建築をスケッチする喜びをじっくりお伝えしよう。

共和国広場

とても休んでなんかいられない

 ここはローマのホテル。長時間のフライトに疲れた脳の意識はかすみがちだ。 しかし針を戻した時計はまだ午後4時。しかも夏時間せいなのか空は真昼のように明るい。エコノミー症候群になりかかった体に鞭打ち、スケッチブックをかかえてさっそく街へ繰り出した。

江戸時代から残る広場に感動!

 事前に綿密に動くコースを決めていたので、行き先を迷うことはない。テルミニ駅のすぐ近くのホテルから北へ歩くと共和国広場に出る。もともとはローマ時代、ディオクレティアヌス帝の広場だったものを19世紀に再整備したものだという。当初の予定では通過するだけのつもりだったが、雄大な広場とそれを囲む建物全体がすでに江戸時代にはできていて、いまもそのまま残っていることに感動。さっそくローマ最初の一枚を描き始めた。
 しかししばらくして気がついた。実はイタリアの建築はこのくらいの古さは当たり前。この程度の感動でいちいちスケッチしていては永久に予定のコースを踏破することはできないと。

サンタ・マリア・デル・アンジェリ教会

 共和国広場をスケッチしたあとは、広場に面するサンタ・マリア・デル・アンジェリ教会へ。さすがに、いや当然というべきか、建物のデザインを台無しにするような「入場券ブース」という無粋なものは無い。入り口前に立つおじさんに直接入場料を渡して入るのだ。 ガイドブックのこの教会のお勧め度は星二つ。だからたいしたことがないとわかれば、すぐ次の建物に行こうと思っていた。ところが一歩足を踏み入れた瞬間、壮大な宗教空間に圧倒されてしまう。

またまたスケッチブックを広げることに。

 壮麗さの秘密は、まず内部空間の巨大さ、次に柱と壁の重々しい装飾、そして対照的に軽やかに浮かび上がる白い天井だ。ペンを走らせながらも心地よい静けさに、時間を忘れ、気がつくと1時間が経過していた。

いかん・・・今日中にあと4つの建物を見なければ。

サンタ・マリア・デラ・ビットリア教会 逆光がまばゆい

 2枚のスケッチを終えるとさすがにちょっとローマの風景に慣れてきた。「ディオクレティアヌス帝の浴場跡」はちらと見るだけで我慢し、

そして「サンタ・マリア・デラ・ビットリア教会」!

 この教会は大きな道路の交差点に建ち、実はこのあたりが現在のローマ市の中心らしい。だが周りには近代的なビルなどまったく無く、どこまで言ってもローマ情緒たっぷり。たまらずスケッチを始めたものの、さすがに時刻はもう夕暮れ。太陽は西に傾き、逆光をまともに受ける最悪のコンディション。それでもぎらつく夕日に屹然と建つ石の存在感、三角の破風と十字架のシルエットが美しくて一気に描きあげる。
 この後「クイリナーレ宮」「サンカルロ・フォンターネ教会」を駆けるようにして見た。後者は奇才ボロミーニの設計。規律正しいルネサンス建築とは一味違う、個性的な曲線デザインが感動的だ。スケッチしようとしたがさすがにもう夕暮れ。後ろ髪を引かれる思いで帰路についた。

サン・ピエトロ寺院

 サン・ピエトロ寺院へ

 翌日、太陽が昇るのを待ちかねたようにホテルを飛び出す。地下鉄に乗って午前8時前にサン・ピエトロ寺院に到着した。朝日が寺院の正面を照らし、少しピンクがかった外壁と白い柱、水色のドームが絶妙のバランスで浮かび上がる。さっそくミケランジェロが設計した回廊の片隅に日陰の席を確保し、スケッチブックを広げる。ドームの曲線や列柱のリズムを一心不乱に見つめてペンを走らせる時の高揚感は何物にも変えがたい。

 しかし幸せな気分は長くは続かないもの。

この絵を描き終えようとするころ、私の視界をたびたび人の姿が遮る。さすがにちょっといらついて、ふとわれに帰ると、いつの間にかすさまじい群集が右手の回廊から僕の目の前まで並んでいる。そう、バチカン美術館の開館時間を待つ人達だった。「早起きは三文の徳」・・・もう少し寝坊していたら、サンピエトロは私のものにならなかった。

サンタンジェロ城

  次の目標はサンタンジェロ城だ。

 絵描きの旅は今日も忙しい。日本では見られない円形の城。こんな巨大な建造物が紀元123年に建てられたというのだから驚きだ。日本はまだ弥生時代のはず。こんな巨大な建造物が作れるはずもない。ローマ帝国の偉大さを改めて思い知らされた気がする。
 さて絵を描こうとしたものの、時刻はまだ10時過ぎなのに照りつけるローマの陽光は半端ではない。城の円形がきれいに見えて、足元にはアーチの橋がかかって、テヴェレ川には青空が映りこんで、そして何よりも日陰であること。こんな条件が適う場所を求めて歩くこと30分。やっと確保した街路樹の木陰の下。雄大な城を描くために大きめのスケッチブックを広げる。幸いサンピエトロ寺院と違って、ややこしい装飾はほとんど無し。気持ちよくスケッチしていたが、ふと気が付くといつの間にか手元のペン先が反射光でギラリと眩い。そう太陽は昇るのだ。手早く、真夏の炎天下で2枚目のスケッチを終えたとき、喉の渇きはもはや我慢の限界。CAFÉを捜し求めて水分補給すべきか、このまま我慢して城に登るべきか。 しばし考えた挙句、古代ローマ人に敬意を表して後者を選択。 延々と続く階段の長いこと。 時々現れる窓は美しいローマの町並みを切り取って見せてくれる。

サンタンジェロ城より眺める

 それなりに、ローマ文化を堪能しつつ、ひたすら昇る。すると・・・あった。お城のテラスにCAFEが。 運よく日陰の涼しそうな席をゲット。しかも窓の外にはサンピエトロ寺院の光景が広がっている。
ウェイター「注文は?」
もちろん、「ドラフトビア!」
ウェイター「スモール?」
もちろん、「ミディアム!」(本当はラージと言いたかったのだが)
喉が勝手に水分を吸収するのを見届けた後、ゆっくりと眼下の風景をスケッチ。
京都、いやどこかの観光地のように長居をして追い出されることも無く、しばし幸せな時間をすごした。

ローマって素晴らしい。風景も、ビールも。

ナヴォーナ広場 高級CAFEのテントの下でスケッチ

 さて、ゆっくりしてはいられない。今日はまだまだ予定がある。サンタンジェロ城からテヴェレ川を渡り、20分ほど歩いてナボーナ広場へ到着。
 またまた 素晴らしい!左のオベリスクと噴水の彫刻はベルニーニの作品、正面の教会はボロミーニの作品だ。そして広場は真昼の強烈な日射にもかかわらず観光客が溢れている。
  人ごみに邪魔されず、日陰で、しかも座って描けるベストなアングルを見つけた。そこは高級CAFEのテントの下。仕方が無いので(?)、やむを得ずまたまたドラフトビアを注文(しかも2杯!)。昼食のサンドイッチをつまみつつスケッチをした。
  建物の華麗な装飾にひるむことなく、惑わされること無く、ほんの30分ほどでペン描きスケッチを終えられたのは、ローマの雰囲気に手が慣れてきたからかいつもよりちょっとペースの速いアルコールのせいだったのか。

パンテオン

  さらにナヴォーナ広場を抜けてパンテオンへ。内部は人の頭しか見えない。 この人ごみの中ではスケッチは無理!あきらめてさらに有名なトレビの泉へ。予想はしていたが、

観光客がひしめいていて・・・

絵を描くどころか、とても泉に近づくこともできない。近づいて泉にコインを投げ入れる趣味はないので、早々に退散しスペイン広場へ向かう。かの大階段が現れる。皆いったい何をしているだろう。座り込む人があふれていて上る気にもならない。残念ながらここもスケッチをパス。
 広場の道をまっすぐに抜けるとやっと、やっとポポロ広場に到着する。事前の計画ではこの広場に面する「双子教会」を描くつもりだった。ガイドブックの点数も抜群!だが実際目にしてみると、残念ながら、たぶん改修工事のせいだろう、細部がちょっとお粗末で不自然。創作意欲喪失・・・ローマのすばらしさが私の建物を見る目を厳しくしたのかもしれない。

スペイン広場とトリニタ・デイ・モンティ教会

トリニタ・デイ・モンティ教会へ

 そこで今度はボルゲーゼ公園を経由してトリニタ・デイ・モンティ教会へ向かうことにした。 実はこの教会の下が先程通ったスペイン広場だ。教会が一番美しく納まる構図を求めてあの人ごみの大階段を降りることに。こんなところでスケッチブックが広げられるだろうかと心配したが、ちょうどこのとき広場でお祭りが始まった。ありがたいことに階段に座っていた人たちは一斉にそちらに移動。その一瞬の隙をついて立ち位置を確保、スケッチすることができた。
 描き終えたとき、さすがにもう足と腰は麻痺状態・・・。

帰ろう!ビールが待っている。

コロッセオ

 ローマ滞在最後の日。 夕刻にはフィレンツェ行きの列車に乗らねばならない。今日も描きまくるぞと意気込み、またまた急ぎ足の旅に出る。
 この日の最初のスケッチはあまりに有名なコロッセオ。その存在感。見る人を圧倒するフォルム。精密に組み上げられた巨大な石の塊。柱にも壁にもあちこちに削ぎとられたような窪みが残っている。
 降り注ぐ雨が石を溶かしたのか、戦人(いくさびと)の槍のあとなのか、いずれにしても、2000年の時が刻まれた証拠にちがいない。
 興奮する気持ちがペンの動きを加速するのか、快調にこの日の一枚目を描き終えた。そして次は隣接するフォロ・ロマーノ。期待にたがわぬローマの遺跡。さてスケッチをしようとしたとき、気がついた。

なんとペンケースが無い!

 手提げ袋を芝生の上に横たえたとき滑り落ちたに違いない。真っ青になり、心当たりを必死に探すも、もはや無駄。海外では一瞬でも手元から離れたら二度と戻ることはないという格言を現実に味わうことになった。
 どうする・・・・さんざん悩んだ末、最後は楽天家の私。列車の時刻までは観光を楽しむと割り切った。 かくしてローマ3日目の成果は一枚のみとなってしまった。残念。
 さて市の中心部に戻って、フィレンツェ行きの列車が発つぎりぎりまで、明日使えるペンが売っていないかとあちこち探し求めたが、店頭に並ぶのは事務用、お土産用のおしゃれな水性のペンばかり。水彩絵具を重ねても滲まない、細い油性のペンはとうとう発見できなかった。失意のうちに列車に乗り込む・・・。

イタリアをスケッチする フィレンツェ編

フィレンツェの町並み 画材店休業!

ローマでスケッチ用のペンを落としてしまった私。ペンが無ければ絵は描けない。その日の夜遅くフィレンツェのホテルに到着すると、インターネットで早速市内の「画材店」を検索した。さすがに芸術の都フィレンツェ。数件の画材店がヒットした。ちょっと安心し、その日は眠りにつくことに。

翌朝食事を済ませると、まっすぐに画材店へ。けれど運命の女神は私を見放しているようだ。

訪ねた画材店は全て臨時休業だった。

私の困惑をよそにドゥオモの広場では、地元の画家たちが観光客相手の似顔絵を描いている。突然ひらめいた。発見!彼が手にしているのは、きっとプロ用のペンに違いない。
英語が苦手な私だが、この際そんなことは言っていられない。知っている単語を並べ会話を試みる。「あなたが使っているのと同じペンが欲しいのだけど、どこで買ったか教えてくれませんか?」
「今の時期、画材店はみんな夏季休暇中だよ」
「でも、一軒だけやっている店があるよ」
「地図は持っているか?わかりにくいので、注意して。今がここ。次の道を左に入って・・・ここを右。この角の店だよ。」

ありがとう!


このやりとりはなんとすべて英語。人間必死になると、会話も出来るようになるらしい。いや僕の実力に合わせて、ゆっくりと話してくれた優しいイタリア人のせいか。芸術家は気難しいと言われるが、なんの、このフィレンツェの画家の親切は一生忘れまい。

一日半ぶりにスケッチ。ドゥオモの鐘楼。

ドゥオモの鐘楼

ペンを得た喜びに満ちている・・・と言いたいところだが実はこの時かなり苦戦した。
いつも私が使っているペンは1本300円の日本製。指先の強弱とスピードにあわせて、太くなったり、かすれたりと、結構自由自在に表現できる。
ところがイタリアの画材店では日本製のペンは一本1000円もするのだ。それなのに日本では高級ブランド品のステッドラーのペンは一本300円で買える。
当然ステッドラーのペンを買ったのだがこれが実に使いにくい。強く描いても線は太くなってくれず、弱く描くと、インクが出てこない。どうやら線の強弱は筆圧でなくペンのスピードで調整する必要があるようだ。この後ペンの癖をつかむのに四苦八苦しながらのスケッチとなった。

次のターゲットは「クーポラ」。

クーポラはブルネレスキが設計した ルネサンスの「花の都フィレンツェ」のシンボルそのものだ。
ただこの町の街路はとても狭い。クーポラの全体像を描こうとすると、ヴェッキオ橋を渡ってピッティ宮へ行き、さらに「裏庭」というにはあまりに広大なボーボリ公園まで行かねばならない。見晴らしのよさそうな場所を求めて歩くこと1時間。すばらしい場所を見つけた。左からドゥオモの鐘楼、クーポラの全景はもちろん、ヴェッキオ宮とサンタ・クローチェ教会の塔も見える。いわばフィレンツェの役者が勢ぞろいといったところか。

クーポラ全景

舞台の背景は広大な青い空。ゆっくりと流れる白い雲は時を忘れさせる小道具だ。
何百年も変わらぬ光景。
夢中でペンを走らせていた私と同じ場所で
同じ光景を描いていたルネサンスの画家がきっといたに違いない。

ベッキオ宮殿

真夏のフィレンツェ。空が青い。

歩いていて感じるのはその空の青さだ。日本の夏のようにやや白く滲んだ水色の空ではない。
コバルトブルーの絵の具を大きなバケツから空一面にぶちまけたように「青い」のだ。
灼熱の太陽は褐色のはずのヴェッキオ宮の外壁を白く照らし、青空は深く、濃く、鮮やかに輝く。Cafeのテントの隙間から偶然、見上げたこの構図。まさにフィレンツェの夏だ。

サンタ・クローチェ教会

フィレンツェは路地から見る教会が美しい。

サンタ・クローチェ教会の鐘楼はこの道幅にあわせて設計したのかと思うくらい、細長いプロポーション。
しかも石と鉄、レンガと瓦、木の建具が絶妙の色彩で町に溶け込んでいる。フォレンツェの魅力の秘密はそんな歴史のパレットに詰まっているのだ。

アルノ川にかかる一番美しい橋は?

有名な橋はもちろん「ポンテ・ヴェッキオ」。 しかし実は土産物の店が好き勝手に張り付いて、観光客が群がる姿は美しいとは言いがたい。橋としての気品はお隣の「サンタ・トリニタ橋」のほうが上だ。
その事実を証明してやろうとスケッチブックを取り出したのだがすでに夕刻。強烈な夕陽が正面から、水平に僕の目を射抜く。帽子などまったく役に立たず、あまりのまぶしさにこの日は退散。

サンタ・トリニタ橋

そして翌日の早朝。朝陽のサンタ・トリニタ橋をスケッチすることにした。すがすがしい朝陽が空の青色を奪って、建物をオレンジ色に染め、水面を金色に照らしている。なんて美しい!この光景を目に焼付け、昼一番の列車でベニスへ向かう。

フィレンツェからユーロスターに乗りヴェネツィアへ。

イタリアをスケッチする ヴェネツィア編

 フィレンツェからユーロスターに乗りヴェネツィアへ。昼間は動き回り移動は夕方にというのが旅の定石だが、イタリアでは真昼の移動も悪くない。車窓に流れるのどかな緑一色の田園風景を楽しめるからだ。
  旅の達人なら、押し寄せる眠気を気にせず、そのまま白昼夢を楽しむだろう。だが私は初めてヨーロッパを訪れた初心者。 車内アナウンス が駅名を告げるたびにびくびくし、緊張するうちに目的地になんとか到着した。
 この日予約したホテルは、ヴェネツィア本島ではなく、手前の駅メストレ。
チェックインを済ませ、再び列車に乗り、海を渡りサンタルチア駅に到着したのは午後3時過ぎだった。

サン・ジェレミア教会

 残り時間を気にしつつ、地図を片手にまずはサン・ジェレミア教会の広場へ。太陽は西に傾いているとは言え、猛烈な熱波はひるむことを知らない。たまらず長く伸びた建物の影に避難し、スケッチブックを取り出す。
すっかり癖になってしまった、CAFEでビールを飲みながら絵を描くという至福の時だ。

ヴェネツィアの運河

 水の都ヴェネツィア。つまり町の主役は運河と船。だから建物も運河に沿って作られ、その隙間が街路になり、それが出会うところが広場と教会になる。そんなこの町の成り立ちを思い知る。
 夕暮れを気にして再び歩き始めたものの、道は細くて、曲がりくねって、どこへ行くのかさっぱりわからない。歩けば歩くほど、方向感覚が無くなって、地図などさっぱり役に立たない。おまけにフィレンツェの芸術家たちはあれほど親切だったのに、ベニスの商人は道を聞いても、ろくに答えてくれない。さらにイタリアに来てから、毎日ハードスケジュールが続いたせいか私の足も悲鳴をあげている。

  そんな疲れた体に鞭打って、この日最後にスケッチしたのがこのシーンだ。ゴンドラで行く運河の突き当たりに建物が面している。絵になる風景も主役はやっぱり運河だった。

イタリア最後の日。最悪の一日になってしまった。

 イタリアに来てから連日の猛暑と晴天。この国では雨など降らないのだと思い込んでいたが、なんとこの日は朝から大雨ならぬ大嵐。しかしここまできて一日中ホテルで遊んでいるわけにいかない。傘の下から吹き込む横殴りの雨にずぶぬれになりながら、お目当てのサンマルコ寺院を目指した。
「寒い」・・・濡れた服に吹き付ける冷たい風が容赦なく体温を奪う。
「遠い」・・・またしても迷路。気がついたら同じところを2度歩いていたことも。
「疲れた」・・・ぐっしょりと水を吸った靴は鉛のよう。しかも足は連日の強行軍でまめだらけ。
  三重苦に悩まされながらも何とかサンマルコ寺院に到着。そしたら・・・
なんと!

 「外壁改修中!」

 建物正面から右側が工事用の仮設足場で覆われてまったく見えない。いかに絵とは言え半分を想像で描くわけにはいかず、いつもは楽天的な私もさすがにがっかり。

サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会

  疲れ果てぐったりとベンチに座る私を慰めてくれたのが対岸に見えた3つのドームと尖塔のある建物。
 嵐の中、海に浮かぶその印象的な姿に思わず、寒さを忘れてスケッチしたが、後で調べるとその名は「サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会」。設計はかの有名なパラディオだった。さすがに美しい。
 本当はヴェネツィアでもっとスケッチする予定だったが天気には勝てない。

 僕のイタリア旅行は終わった。

追伸
海外旅行に食べ物の話は欠かせない。本当は美味しい、お勧めのレストランやCAFÉの情報を皆さんに提供できると良かったのだが、残念ながらスケッチで疲れ果て、目の前にあったレストランで適当に空腹を満たすという毎日。最初は美味しかったパスタも最後はトマトソースを見ただけでうんざり。帰りのエミレーツ航空の昼食の牛丼が最高に美味しかったことをせめてお伝えしておこう。

失敗しない個展の開き方

最初の個展 大阪心斎橋 ギャラリーA Stair

 絵が好き、ブログも作って作品をアップしている。グーグル検索に自分の名前が載るようにもなった。そんなあなた。次のステップは個展を開くことだと思い始めたのではないだろうか。賛成だ。
 もちろん絵が売れればいいが、何よりも来場者に自分の絵の感想を直接聞けるし、作品の出来栄えを肌で感じることが出来るからだ。私の経験を中心に役に立つ情報をお伝えしよう。
 私の場合、ブログにアップした絵が300枚を超えたころ、この中から厳選すれば何とか個展を開けるだろうと思った。ただ学生のころグループ展は経験したことがあったが個展の経験はなし。まずは方針を決めて慎重に画廊を探すことにした。
 一番重要なことはお客様が来やすいこと。だから駅から近いこと、それも大阪の中心部で人の多いところを必須条件とした。場所や値段はインターネットで大体わかる。一方で椅子もテーブルも無く観終わったらすぐに帰らないといけない、そんな雰囲気の画廊はふさわしくない。お茶を飲みながら絵について語り合える、長居ができる最低限の広さと設備があることも条件だ。何件か直接現地を訪れ雰囲気を確認し、やっと気に入った画廊を見つけた。場所は大阪地下鉄心斎橋駅から歩いて2分。「ギャラリー A Stair」だった。
 画廊が決まったからと言って安心してはいけない。個展を開く本当の苦労は実ここからだ。まずオープニングパーティーの段取り。お金もかかるし手間も大変だが、自分の活動をアピールする絶好の機会として是非実施したい。お勧めは画廊の人にケータリングできる業者を紹介してもらうこと。私の場合は30人分の料理を依頼した。もちろん別途お酒の段取りも必要だ。
個展での作家は何より来場者に作品説明をしなくてはいけない。だから芳名帳への記載依頼やお茶を出してくれる受付嬢をお願い(もちろん日当の交渉も必要だが)したほうがいい。

 案内はがきの図案作成、宛名書き、ポスターの作成は自分の作品をレイアウトして原稿を作り、印刷所に発注する。案内はがきは最低でも500枚必要だ。知り合いに配るのとは別に100枚ほど画廊に事前においてもらうと良い。絵が好きな人は毎週画廊を廻るので、案外事前のはがきを見て来てくれるものだ。
 印刷代も馬鹿にならないが、私はインターネット印刷で「ラクスル(https://raksul.com)」に依頼した。早めに原稿ファイルを渡すと独自のネットワーク内の空いている印刷所を無駄なく稼動させるシステムになっているらしく、他の印刷所より圧倒的に安かった。もちろん印刷代を節約するために自宅のプリンタを使用しても良いが、数百部となるとちょっと手間だ。自分の代表作品が載ることになるのでやはり専門業者に頼んで少しでも美しい仕上がりにしたい。
この際名刺も作ろう。私は「水彩画家 加藤美稲」という名刺をオリジナルデザインで作った。私が利用したサイトは「ライオン名刺」。イラストレーターの欧米サイズテンプレートがダウンロードでき、料金も安かった。( https://www.lion-meishi.com/

作品目録とアンケート。右側を切り取って回収した。

 当日の作品目録(場合によっては値段表)も必要だ。絵にふさわしいタイトルを考え(40点以上を同時に考えるのはなかなか大変だ)できればコメントを付けたい。会場の作品が目録の順番に並んでいるとさらによい。私は初個展の時その目録の右半分を各絵の評価欄とし、アンケートとして見終わったお客様に記入をお願いし、その半分を切り取って個展終了後データを分析できるようにした。  忘れてならないのが前日の作品搬入の段取り。赤帽を利用する場合、昨今はこの業界の人手不足が著しく、最低1ヶ月前に予約しておく必要がある。これらを一人で段取りしようとすると正直言って個展前2ヶ月は目の廻るような忙しさになるはずだ。

 もちろん最大の問題は個展にふさわしい作品がそろっているかどうかだ。作品の選定は慎重に、間違っても失敗作など入れてはならない。もし最初の個展の評判が悪ければ、おそらく画家としての個展は二度とない。きっとひたすらお金と労力を費やすだけの道楽個展になってしまうだろう。
 私もそう覚悟して改めて全出展作品を額に入れて見直した。すると私の絵には致命的な欠陥があることに気が着いた。一言でいうと「色鮮やかさが足りない」のだ。それはおそらくブログに投稿する絵の仕上がりを輝度の高いモニター画面でチェックしていたからだ。だから原画を額に入れてみると、額の濃い枠に対して画面全体の白っぽさがそのまま見えてしまうのだ。あわてたのは言うまでもない。淡い色調の大半の作品は大幅に手直しをした。個展直前の忙しさに拍車をかけることになったのだ。
 そうしたトラブルがありながらも2015年10月7日。なんとか最初の個展開催にこぎつけた。6日間で100人を超えるお客様に来ていただいた。初回にしてはなかなかの盛況ぶりだったと思っている。ただし正直言うとこの時のお客は99%が友人、会社の先輩、同僚、後輩ばかりで、絵だけを目的に見に来てくれた一般客はほとんどいなかった。それでも40点ほどの作品に対しそれぞれ感想をいただき、そのときのコメントが今の活動に生きていることは間違いない。しかもありがたいことに5人の知り合いが絵を買ってくれた。画家としての初めての「売り上げ」であった。(残念ながら「純利益」が出るほど世の中甘くはない)

自家製の芳名帳。個展の度に作っている。

 個展終了後はほっとして気が緩む。だが芳名帳の整理は必須だ。 仮に「売り上げ」がなくとも連絡先住所をきちんと書いてくれた人は次回の個展にも来てくれる可能性が高い。人脈も広がる可能性がある。
 そのためには芳名帳も工夫したい。市販の芳名帳は豪華な表紙と和紙に縦の罫線、筆書きを想定したものが多い。これだと若い人は記載を遠慮してしまう。また筆では長い住所も書きにくい。従って私は横書き、ボールペンで書いてもらうように自分でデザインした芳名帳を個展の度に準備している。
 住所と名前のほかにコメント欄も設けている。 ここは当人に書いてもらうのが一番いいが、帰りに作家自身が記憶に残ったことをメモしてもいいい。意外と重宝している。そして忘れてならないのが郵便番号欄。これがあると次回の案内状を送るときずいぶん楽なのだ。
 個展の回数を重ねると何度も来てくれる人、アート関連の職種の人、自分の絵を特に気に入っている人など単なる住所録以上の顧客データが出来るようになる。私はその大切なデータを貴重な財産としてパソコンで管理している。
 なおついでにアドバイスしておくとデータ整理はパソコンでしても、次の個展の案内状の宛名書きは手書きするのが常識だ。年賀状と違って「筆まめ」で宛名を印刷してはいけない。

私の人物画が売れた訳は・・・

 周りの人に「あなたが一番好きな絵は?」と問いかけてほしい。かなりの確率で画家は「フェルメール」「ルノワール」「ダヴィンチ」「マネ」、モティーフはそれぞれの有名な「女性像」が出てくるのではないだろうか。
先に書いたように「風景画」を描くべき私がいまだに女性像を描いているのはその人たちの感性ときっと同じだ。
 中学生のころ、私が初めて油絵に興味を持ったのは、美術の教科書に載っていたルノワールの「イレーヌ・カン・ダンヴェール嬢の肖像」を見たからだ。こんな可愛い女性の絵を自分の手で描けたらいいなと思ったのだ。だが当時田舎の中学生が油絵を描くなどという雰囲気もチャンスもなく、平凡な中学生活を送っていた。
  そんな時教師をしながら油絵を描いていた伯父が私に油絵をやってみないかと勧めてくれた。折しも夏休み。時間はある。しかも「自由研究」とすれば宿題も済ませられる。絵具やパレット、筆の使い方、油の使い方などを一通り習い、さっそく描き始めることにした。さて何を描くか?本当は「イレーヌ嬢の肖像」のような女性像を描きたかったのだが、思春期の恥ずかしがりやだった私はそんなことは口に出せず、でもとにかく人物画が描きたかったので、結局モデルの要らない「自画像」を描くことにしたのだ。
  初めての経験であったにもかかわらず、自分では傑作ができたと感じていた。それを心優しい伯父にみせると、「なかなかいいね。でもここをこうするともっとね、・・・・色も、もうちょっと・・・」などとあちこち手を入れ始め、終了したときは完全に別の絵になっていた。
その時以来、今に至るまで、いつか私なりの「イレーヌ嬢の肖像」を描いてやるぞというこだわりが今に至るまで続いているというわけだ。

 さて、そんな訳で今一つ人気が出なくとも、延々と人物画をブログにアップし続けていたが異変が起きた。何と私の「人物画」が売れたのだ。二度目の個展に出品した作品、タイトル「山紫水明」というチャイナドレスを着た女性の絵だ。
 確かにこの時この絵は非常に評判が良かった。この時の来場者のコメントを総合するとどうやら絵が売れた理由は4つあるようだ。
①デッサン、色使いなど技術に基本的な破綻がないこと
②ポーズや表情も含め魅力的な女性であること
③絵の背景と人物に明確な関連があること
④落ち着いた独特の色調であること
  ①は以前にも述べたように、「継続は力なり」ということの裏返しだ。本人の努力で何とかなる一方で②はモデルさんの技量と器量による。だからと言って「当たり前」と済まさないほうがいい。何人もの婦人像を描いているとわかるのだが、一つのポーズで同じ姿勢が取れないという基本ができていないモデルさんが実に多いのだ。まして、いい表情が作れるモデルさんは貴重だ。売れる人物画はいいモデルさん無しには絶対にできないと思っている。
 ③は背景をどうするかということ。初心者は背景を最後に塗る人が多い。それでは背景と人物が別のものになってしまう。「イレーヌ嬢」は深い森の中にいるような幻想的な背景。きっと妖精のような少女にふさわしい背景をルノワールは必死に考えたに違いない。その点この時のモデルには「チャイナドレス」という強烈なイメージがある。だから背景には中国の森、川、建物のイメージを合成して描きこんだ。
 そして次の④は実はこの頃から意図的に取り組んでいたものだ。通常水彩画は鉛筆の線をあまり残さない。なぜかというと、水彩画の特徴である淡い、「にじみ」や「ぼかし」のテクニックを殺してしまいかねないからだ。私はその常識に逆らって敢えて鉛筆の線を重ねてできる面の上に水彩絵の具を重ねることにしている。だから本来ならチャイナドレスの赤はもっと鮮やかに見せられるのに、私の場合は敢えてグレーのグラデーションの中で赤を見せている。だから画面全体は落ち着いた色調になるのだ。
人物画を好きな人は多い。でも有名な画家が必ず描くモティーフでもある。それだけにプロの描く人物画は自分だけの描き方を探すことが大切だと思っている。