イタリアをスケッチする ヴェネツィア編

 フィレンツェからユーロスターに乗りヴェネツィアへ。昼間は動き回り移動は夕方にというのが旅の定石だが、イタリアでは真昼の移動も悪くない。車窓に流れるのどかな緑一色の田園風景を楽しめるからだ。
  旅の達人なら、押し寄せる眠気を気にせず、そのまま白昼夢を楽しむだろう。だが私は初めてヨーロッパを訪れた初心者。 車内アナウンス が駅名を告げるたびにびくびくし、緊張するうちに目的地になんとか到着した。
 この日予約したホテルは、ヴェネツィア本島ではなく、手前の駅メストレ。
チェックインを済ませ、再び列車に乗り、海を渡りサンタルチア駅に到着したのは午後3時過ぎだった。

サン・ジェレミア教会

 残り時間を気にしつつ、地図を片手にまずはサン・ジェレミア教会の広場へ。太陽は西に傾いているとは言え、猛烈な熱波はひるむことを知らない。たまらず長く伸びた建物の影に避難し、スケッチブックを取り出す。
すっかり癖になってしまった、CAFEでビールを飲みながら絵を描くという至福の時だ。

ヴェネツィアの運河

 水の都ヴェネツィア。つまり町の主役は運河と船。だから建物も運河に沿って作られ、その隙間が街路になり、それが出会うところが広場と教会になる。そんなこの町の成り立ちを思い知る。
 夕暮れを気にして再び歩き始めたものの、道は細くて、曲がりくねって、どこへ行くのかさっぱりわからない。歩けば歩くほど、方向感覚が無くなって、地図などさっぱり役に立たない。おまけにフィレンツェの芸術家たちはあれほど親切だったのに、ベニスの商人は道を聞いても、ろくに答えてくれない。さらにイタリアに来てから、毎日ハードスケジュールが続いたせいか私の足も悲鳴をあげている。

  そんな疲れた体に鞭打って、この日最後にスケッチしたのがこのシーンだ。ゴンドラで行く運河の突き当たりに建物が面している。絵になる風景も主役はやっぱり運河だった。

イタリア最後の日。最悪の一日になってしまった。

 イタリアに来てから連日の猛暑と晴天。この国では雨など降らないのだと思い込んでいたが、なんとこの日は朝から大雨ならぬ大嵐。しかしここまできて一日中ホテルで遊んでいるわけにいかない。傘の下から吹き込む横殴りの雨にずぶぬれになりながら、お目当てのサンマルコ寺院を目指した。
「寒い」・・・濡れた服に吹き付ける冷たい風が容赦なく体温を奪う。
「遠い」・・・またしても迷路。気がついたら同じところを2度歩いていたことも。
「疲れた」・・・ぐっしょりと水を吸った靴は鉛のよう。しかも足は連日の強行軍でまめだらけ。
  三重苦に悩まされながらも何とかサンマルコ寺院に到着。そしたら・・・
なんと!

 「外壁改修中!」

 建物正面から右側が工事用の仮設足場で覆われてまったく見えない。いかに絵とは言え半分を想像で描くわけにはいかず、いつもは楽天的な私もさすがにがっかり。

サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会

  疲れ果てぐったりとベンチに座る私を慰めてくれたのが対岸に見えた3つのドームと尖塔のある建物。
 嵐の中、海に浮かぶその印象的な姿に思わず、寒さを忘れてスケッチしたが、後で調べるとその名は「サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会」。設計はかの有名なパラディオだった。さすがに美しい。
 本当はヴェネツィアでもっとスケッチする予定だったが天気には勝てない。

 僕のイタリア旅行は終わった。

追伸
海外旅行に食べ物の話は欠かせない。本当は美味しい、お勧めのレストランやCAFÉの情報を皆さんに提供できると良かったのだが、残念ながらスケッチで疲れ果て、目の前にあったレストランで適当に空腹を満たすという毎日。最初は美味しかったパスタも最後はトマトソースを見ただけでうんざり。帰りのエミレーツ航空の昼食の牛丼が最高に美味しかったことをせめてお伝えしておこう。

失敗しない個展の開き方

最初の個展 大阪心斎橋 ギャラリーA Stair

 絵が好き、ブログも作って作品をアップしている。グーグル検索に自分の名前が載るようにもなった。そんなあなた。次のステップは個展を開くことだと思い始めたのではないだろうか。賛成だ。
 もちろん絵が売れればいいが、何よりも来場者に自分の絵の感想を直接聞けるし、作品の出来栄えを肌で感じることが出来るからだ。私の経験を中心に役に立つ情報をお伝えしよう。
 私の場合、ブログにアップした絵が300枚を超えたころ、この中から厳選すれば何とか個展を開けるだろうと思った。ただ学生のころグループ展は経験したことがあったが個展の経験はなし。まずは方針を決めて慎重に画廊を探すことにした。
 一番重要なことはお客様が来やすいこと。だから駅から近いこと、それも大阪の中心部で人の多いところを必須条件とした。場所や値段はインターネットで大体わかる。一方で椅子もテーブルも無く観終わったらすぐに帰らないといけない、そんな雰囲気の画廊はふさわしくない。お茶を飲みながら絵について語り合える、長居ができる最低限の広さと設備があることも条件だ。何件か直接現地を訪れ雰囲気を確認し、やっと気に入った画廊を見つけた。場所は大阪地下鉄心斎橋駅から歩いて2分。「ギャラリー A Stair」だった。
 画廊が決まったからと言って安心してはいけない。個展を開く本当の苦労は実ここからだ。まずオープニングパーティーの段取り。お金もかかるし手間も大変だが、自分の活動をアピールする絶好の機会として是非実施したい。お勧めは画廊の人にケータリングできる業者を紹介してもらうこと。私の場合は30人分の料理を依頼した。もちろん別途お酒の段取りも必要だ。
個展での作家は何より来場者に作品説明をしなくてはいけない。だから芳名帳への記載依頼やお茶を出してくれる受付嬢をお願い(もちろん日当の交渉も必要だが)したほうがいい。

 案内はがきの図案作成、宛名書き、ポスターの作成は自分の作品をレイアウトして原稿を作り、印刷所に発注する。案内はがきは最低でも500枚必要だ。知り合いに配るのとは別に100枚ほど画廊に事前においてもらうと良い。絵が好きな人は毎週画廊を廻るので、案外事前のはがきを見て来てくれるものだ。
 印刷代も馬鹿にならないが、私はインターネット印刷で「ラクスル(https://raksul.com)」に依頼した。早めに原稿ファイルを渡すと独自のネットワーク内の空いている印刷所を無駄なく稼動させるシステムになっているらしく、他の印刷所より圧倒的に安かった。もちろん印刷代を節約するために自宅のプリンタを使用しても良いが、数百部となるとちょっと手間だ。自分の代表作品が載ることになるのでやはり専門業者に頼んで少しでも美しい仕上がりにしたい。
この際名刺も作ろう。私は「水彩画家 加藤美稲」という名刺をオリジナルデザインで作った。私が利用したサイトは「ライオン名刺」。イラストレーターの欧米サイズテンプレートがダウンロードでき、料金も安かった。( https://www.lion-meishi.com/

作品目録とアンケート。右側を切り取って回収した。

 当日の作品目録(場合によっては値段表)も必要だ。絵にふさわしいタイトルを考え(40点以上を同時に考えるのはなかなか大変だ)できればコメントを付けたい。会場の作品が目録の順番に並んでいるとさらによい。私は初個展の時その目録の右半分を各絵の評価欄とし、アンケートとして見終わったお客様に記入をお願いし、その半分を切り取って個展終了後データを分析できるようにした。  忘れてならないのが前日の作品搬入の段取り。赤帽を利用する場合、昨今はこの業界の人手不足が著しく、最低1ヶ月前に予約しておく必要がある。これらを一人で段取りしようとすると正直言って個展前2ヶ月は目の廻るような忙しさになるはずだ。

 もちろん最大の問題は個展にふさわしい作品がそろっているかどうかだ。作品の選定は慎重に、間違っても失敗作など入れてはならない。もし最初の個展の評判が悪ければ、おそらく画家としての個展は二度とない。きっとひたすらお金と労力を費やすだけの道楽個展になってしまうだろう。
 私もそう覚悟して改めて全出展作品を額に入れて見直した。すると私の絵には致命的な欠陥があることに気が着いた。一言でいうと「色鮮やかさが足りない」のだ。それはおそらくブログに投稿する絵の仕上がりを輝度の高いモニター画面でチェックしていたからだ。だから原画を額に入れてみると、額の濃い枠に対して画面全体の白っぽさがそのまま見えてしまうのだ。あわてたのは言うまでもない。淡い色調の大半の作品は大幅に手直しをした。個展直前の忙しさに拍車をかけることになったのだ。
 そうしたトラブルがありながらも2015年10月7日。なんとか最初の個展開催にこぎつけた。6日間で100人を超えるお客様に来ていただいた。初回にしてはなかなかの盛況ぶりだったと思っている。ただし正直言うとこの時のお客は99%が友人、会社の先輩、同僚、後輩ばかりで、絵だけを目的に見に来てくれた一般客はほとんどいなかった。それでも40点ほどの作品に対しそれぞれ感想をいただき、そのときのコメントが今の活動に生きていることは間違いない。しかもありがたいことに5人の知り合いが絵を買ってくれた。画家としての初めての「売り上げ」であった。(残念ながら「純利益」が出るほど世の中甘くはない)

自家製の芳名帳。個展の度に作っている。

 個展終了後はほっとして気が緩む。だが芳名帳の整理は必須だ。 仮に「売り上げ」がなくとも連絡先住所をきちんと書いてくれた人は次回の個展にも来てくれる可能性が高い。人脈も広がる可能性がある。
 そのためには芳名帳も工夫したい。市販の芳名帳は豪華な表紙と和紙に縦の罫線、筆書きを想定したものが多い。これだと若い人は記載を遠慮してしまう。また筆では長い住所も書きにくい。従って私は横書き、ボールペンで書いてもらうように自分でデザインした芳名帳を個展の度に準備している。
 住所と名前のほかにコメント欄も設けている。 ここは当人に書いてもらうのが一番いいが、帰りに作家自身が記憶に残ったことをメモしてもいいい。意外と重宝している。そして忘れてならないのが郵便番号欄。これがあると次回の案内状を送るときずいぶん楽なのだ。
 個展の回数を重ねると何度も来てくれる人、アート関連の職種の人、自分の絵を特に気に入っている人など単なる住所録以上の顧客データが出来るようになる。私はその大切なデータを貴重な財産としてパソコンで管理している。
 なおついでにアドバイスしておくとデータ整理はパソコンでしても、次の個展の案内状の宛名書きは手書きするのが常識だ。年賀状と違って「筆まめ」で宛名を印刷してはいけない。

私の人物画が売れた訳は・・・

 周りの人に「あなたが一番好きな絵は?」と問いかけてほしい。かなりの確率で画家は「フェルメール」「ルノワール」「ダヴィンチ」「マネ」、モティーフはそれぞれの有名な「女性像」が出てくるのではないだろうか。
先に書いたように「風景画」を描くべき私がいまだに女性像を描いているのはその人たちの感性ときっと同じだ。
 中学生のころ、私が初めて油絵に興味を持ったのは、美術の教科書に載っていたルノワールの「イレーヌ・カン・ダンヴェール嬢の肖像」を見たからだ。こんな可愛い女性の絵を自分の手で描けたらいいなと思ったのだ。だが当時田舎の中学生が油絵を描くなどという雰囲気もチャンスもなく、平凡な中学生活を送っていた。
  そんな時教師をしながら油絵を描いていた伯父が私に油絵をやってみないかと勧めてくれた。折しも夏休み。時間はある。しかも「自由研究」とすれば宿題も済ませられる。絵具やパレット、筆の使い方、油の使い方などを一通り習い、さっそく描き始めることにした。さて何を描くか?本当は「イレーヌ嬢の肖像」のような女性像を描きたかったのだが、思春期の恥ずかしがりやだった私はそんなことは口に出せず、でもとにかく人物画が描きたかったので、結局モデルの要らない「自画像」を描くことにしたのだ。
  初めての経験であったにもかかわらず、自分では傑作ができたと感じていた。それを心優しい伯父にみせると、「なかなかいいね。でもここをこうするともっとね、・・・・色も、もうちょっと・・・」などとあちこち手を入れ始め、終了したときは完全に別の絵になっていた。
その時以来、今に至るまで、いつか私なりの「イレーヌ嬢の肖像」を描いてやるぞというこだわりが今に至るまで続いているというわけだ。

 さて、そんな訳で今一つ人気が出なくとも、延々と人物画をブログにアップし続けていたが異変が起きた。何と私の「人物画」が売れたのだ。二度目の個展に出品した作品、タイトル「山紫水明」というチャイナドレスを着た女性の絵だ。
 確かにこの時この絵は非常に評判が良かった。この時の来場者のコメントを総合するとどうやら絵が売れた理由は4つあるようだ。
①デッサン、色使いなど技術に基本的な破綻がないこと
②ポーズや表情も含め魅力的な女性であること
③絵の背景と人物に明確な関連があること
④落ち着いた独特の色調であること
  ①は以前にも述べたように、「継続は力なり」ということの裏返しだ。本人の努力で何とかなる一方で②はモデルさんの技量と器量による。だからと言って「当たり前」と済まさないほうがいい。何人もの婦人像を描いているとわかるのだが、一つのポーズで同じ姿勢が取れないという基本ができていないモデルさんが実に多いのだ。まして、いい表情が作れるモデルさんは貴重だ。売れる人物画はいいモデルさん無しには絶対にできないと思っている。
 ③は背景をどうするかということ。初心者は背景を最後に塗る人が多い。それでは背景と人物が別のものになってしまう。「イレーヌ嬢」は深い森の中にいるような幻想的な背景。きっと妖精のような少女にふさわしい背景をルノワールは必死に考えたに違いない。その点この時のモデルには「チャイナドレス」という強烈なイメージがある。だから背景には中国の森、川、建物のイメージを合成して描きこんだ。
 そして次の④は実はこの頃から意図的に取り組んでいたものだ。通常水彩画は鉛筆の線をあまり残さない。なぜかというと、水彩画の特徴である淡い、「にじみ」や「ぼかし」のテクニックを殺してしまいかねないからだ。私はその常識に逆らって敢えて鉛筆の線を重ねてできる面の上に水彩絵の具を重ねることにしている。だから本来ならチャイナドレスの赤はもっと鮮やかに見せられるのに、私の場合は敢えてグレーのグラデーションの中で赤を見せている。だから画面全体は落ち着いた色調になるのだ。
人物画を好きな人は多い。でも有名な画家が必ず描くモティーフでもある。それだけにプロの描く人物画は自分だけの描き方を探すことが大切だと思っている。

評価される絵を描く秘訣

スペイン トレド
 二度目の個展の案内状に使用した絵

 私は定年後、プロの水彩画家になると決心した。そのためにはまず絵を描くことだと、学生時代以来久しぶりに、猛然と絵を描き始めた。とりあえずの

目標は毎週1枚、年間52枚の絵を描くことだ。

 週末は近所の公園に出かけ風景画を描き自分のブログにアップしてみたが、反応はさっぱり。グーグルの検索にも出てこない。友人にブログの感想を聞いてみたが「文章がいいね」と期待はずれの反応。

当初ブログにアップしていた風景画
 近所の公園

 さらに近くのカルチャーセンターに通って人物画を描き、同様にブログにアップしてみた。やはり友人に聞くと、なんと「風景画のほうがいいね」とつれない返事。
 でも考えてみれば、学生時代さんざん油彩画を描いたとはいえ、水彩画はそれほど描いていた訳ではない。だからその頃投稿した作品を眺めてみると

出来栄えはそれほどでもない。

当人の情熱やうぬぼれとは関係なく、世間の目は案外冷静で正しいものなのだ。

当初ブログにアップしていた人物画 

  むなしく投稿を続けていたある日、「加藤美稲」と google検索すると

私のブログと絵がトップ表示されていた。

とりあえずプロとしてのファーストステップを踏んだのだ。評価される絵を描く「秘訣その1」はやはり「継続は力なり」ということだ。
  次のステップは当然売れる絵を描くと言うこと。趣味として友人に見せる程度ならばいざ知らず、画家として売れるためには、絵を見てくれる人に魅力を感じてもらわなければいけない。その方法は基本的には二つある。ひとつは当たり前だが水彩画の絶対的な画力を向上させること。つまり基本のデッサン力、筆使い、色使いのテクニック向上、絵具や紙など素材の知識を蓄えることなどだ。
もうひとつは絵のテーマ。これは

他の画家と差別化できる得意なテーマは何か

ということ。言い換えれば何を描けば売れるかということだ。前者の画力云々は別に述べるとして、ここではテーマについて語ろうと思う。
 面白いエピソードを紹介しよう。実は私の第一回個展の時、私の絵に対する好感度を調べようと、作品目録の横に評価点を記入してもらい、切り取って回収し、個展終了後その分析をしたのだ。100人以上の来場者による結果は明白だった。その時は風景画29点と人物画12点を展示したが圧倒的に風景画の評価点が高かったのだ。
 さらにこの時売れた絵はすべて風景画でその場所がどこかすぐわかる有名な建物が描かれているものばかりだった。一方私が気に入っていた女性の人物画は最低点であった。つまり私の場合

絵を売りたければ人物画ではなく風景画を描け!

それも有名な建物のある風景画がいいということなのだ。描きたい絵とプロとして描くべき絵は違うということを示す一例だ。

最初の個展 来場者に全作品の評価をしてもらった

 私はビジネスマンとしての特技は建築設計だったので建築様式やディテール、技術的背景、図面や透視図などに親しんできた下地がある。従って、普通の画家は敬遠しがちな伝統的で濃密なディテールの建物を描くことが多く、それが結果として普通の風景画とは一線を画すことになり高い評価をもらったのだと思う。
  もちろん絵に対する個人的な思想もある。私は絵の題材として「大自然の神秘」、「人類未踏の秘境」などには興味がない。なぜなら

「人の生命力」を感じない絵には感動を覚えないからだ。

 それ以後、私は単なる山や川の風景は描かず、建物を意識した風景を描くようになった。冒頭の絵は有名なスペインの城塞都市トレド、エラスケスの絵が有名だ。そして二度目の個展をしたときの案内状に載せた絵だ。何故この絵を案内状の絵に選んだかというと当時アップしていたブログで抜群のページビューをカウントした人気の絵だったからだ。
  個展の直前、この絵を見たであろう朝日新聞の記者から「文化欄に掲載するから」と取材を受けた。質問の中心はもっぱら「何故建物を描くのか」だった。やはり

「差別化」戦略は成功したのだ。

皆さんも売れる絵を意識するなら自分の絵を他の画家とどう「差別化」するかを考えてみてほしい。

今から絵描きを目指す人のために

イタリア ローマ ナヴォーナ広場

■今の人生に満足?

 サラリーマンも50代後半になるとその道のキャリアに終わりが近づいてきたことを悟る。そのまま大過なく勤め上げ退職金と年金で余生を送る・・・よくある人生だ。だが私の場合そんな選択が出来なかった。
 もう一度自分の人生を振り返り、これでいいかと問いかける。そろそろ封印してきた「絵描きになる」という道をもう一度追っかけてもいいじゃないか・・・そんな決断をしてしまったのだ。
 そこで今から何をすべきか調べ、考えた。公募展に応募して入選!あるいは個展で評判を取り有名に!などと夢を見る。
 一方“もう何年も油絵を描いていない。時間もない。個展を開けるような作品が溜まっていない。考えただけで困難な問題が山積みだ。

■家族関係に不安はない?

 しかも、さらなる問題が重なった。妻との別居、そしていわゆる熟年離婚だ。その原因は・・・いやひょっとすると双方の想いの一致する離婚原因など存在しないのかもしれない。でもあんな想いを二度としないためにも敢えてその理由を振り返ることにする。
 それはちょうど私が会社での将来に見切りをつけた頃に始まる。それまでは自分の生きがい=会社の未来だった。でももはや自分の未来は自分だけのものと解釈した瞬間、全ての価値観が変わったのだ。
 心に封印していた絵描きになりたいという欲求が蘇ったのは先に述べたとおりだが、問題は私の場合、自分の未来だけが一人歩きし、そこに妻の存在が無かったことだ。こう書くと、人生観を大切にした結果・・・などと高尚な話に聞こえるが、要は自分のしたいことだけに時間とお金を使いたいという身勝手な思い込みに理屈をつけていただけだった。妻から観れば先を見て、今の妻の気持ちを顧みない単なる「思いやりの無い男」だったと思う。
  私と同じように、熟年になって、何らかの人生の決断をしようとしている人は、注意してほしい。離婚は定年後の予期せぬ貧困と精神的消耗を強いる。私も一時はすっかり沈み込み、久しぶりに始めた画家活動にもまったく身が入らなかった。

ローマ共和国広場

■目指す人生のモチベーションはある?

  そんなどん底の私を救ってくれたのはイタリアへの旅だった。会社人生で初めて長期休暇を取っての一人旅。誰に気兼ねすることなくローマ、フィレンツェ、ベネチアへと旅発った。
 はじめてみるイタリアの風景は私を魅了した。毎日朝から晩まで歩き回りスケッチをした。ローマのナヴォーナ広場でスケッチを終え、心地よい疲労感に浸りビールを口にした時の充実感、幸福感はいまだに忘れられない。
 この時の「憧れの地をスケッチする」というシンプルな喜び(ビールの味ではない。念のため)が「遅咲きの絵描き」の先に待つ困難を解決し、今なお活動を続けるモチベーションとなっている。
 なお付け加えておくと、いまは旅先の僕の隣に新たな伴侶がいてくれる。おかげで心も平穏無事だ。でもスケッチの時はやっぱり一人かな。

ローマ サンタンジェロ城

絵で稼ぐことを覚えた子供

小学校の二年生だった。そのころ私の両親は離婚していて、父は後妻を迎えていた。当時の記憶は定かではないが、明るい家庭でなかったのは確かだ。

ある日の図画工作の時間。先生が「今日は何でも自由に描いていいですよ」と告げた。皆、当然のように夏休み、冬休み、海や山で家族や友達と遊んで楽しかった思い出のシーンを描いていた。

私はというと、そんな環境で楽しい思い出が浮かばなかったせいなのか、先生の机の上に生けてあった花を描いたのだ。教師が驚いた「変わった子供」が写生の楽しさを知った瞬間だった。

そして小学校の4年のある日の朝礼。全校児童が暑い校庭で整列し、いつものように校長先生の長い訓示が始まった。早く終わらないかと内心退屈しきったそのとき、突然自分の名を呼ばれた。

何と市の写生大会で私の絵が「特選」を取ったのだ。当時市内の全小学校児童が参加する行事だったから、特選と言うのはそれなりに困難な賞だったはずだ。もちろん「私が早熟の天才だったから」なんて言うつもりはまったく無い。残念ながら理由は想像がついている。私だけのオリジナルテクニックを使っていたからだ。

当時小学校の「図画工作」の時間は低学年ではクレヨン、高学年は水彩絵具を使うよう指導されていた。その時私は4年生だったので水彩絵具を使い始めたばかり。初心者にありがちな下の絵具が乾かぬうちに別の絵具を重ねて画面を汚してしまうことに、子供ながらに悩んでいたのだ。そんな時の写生大会、私はいい方法を思いついたのだ。友達は皆相変わらず習ったばかりの水彩絵具で描いていた。一方私はクレヨンの水をはじく性質を利用して、細く色鮮やかな線をクレヨンで描き、その他の大部分を水彩で描くという方法を使ったのだ。画面が汚れることもなく、我ながらうまく描けたという実感があった。おそらく子供ながらに論理的に技法を工夫したことが評価されたのだろう。

自分の列に戻った時、手にしていたのは校長先生からもらった賞状と絵具セットの賞品。ありがたかったのはもちろん賞品。絵を描いて報酬を得た初めての経験だった。

彦根の魅力・・・河原町の商家群と3つの近代建築

滋賀県彦根市にやって来た。いうまでもなく国宝彦根城が有名だ。でも実は絵描きにとってもうひとつ魅力的な場所がある。それが河原町の商家群だ。JR彦根駅から歩いてゆけるアクセスのよさは時間が限られる旅先の絵描きにはありがたい。やはり国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されているのだが、選定年が平成28年と新しく、つい最近まで私もこの町のことを知らなかったのだ。

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金沢・・・その本当の魅力とは

 「懐かしき日本の風景」を求めて能登半島の輪島市~金沢市を旅した。石川県には重要伝統的建造物群保存地区が5箇所もあり、スケッチの効率がいいのだ。そのうち金沢市の3ヶ所の魅力をまとめてお伝えしよう。

主計町茶屋街

 まず主計町(かずえまち)。江戸時代から続く茶屋街だが重要伝統的建造物群保存地区の面積はわずか0.6ha。全国118箇所の中で最小だ。通りを端から端まで歩いてもほんの5分ほど。建物も明治から昭和にかけて作られたもので特に様式的にすばらしいとは思えない。一体どこに魅力がある?
 その答えは脇を流れる浅野川を渡って振り返った風景にあった。歴史ある町並みだけあって街路樹も3階建ての母屋に引けをとらない巨木だ。さわやかな川辺の風と緑。立ち並ぶ茶屋の甍はリズミカル。2階の座敷からは唄や踊の気配が漏れたに違いない。堤にスケッチブックを載せ、さわやかにスケッチが完了した。

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北前船の町で見たものは

能登半島をひたすら北へ

 五月。風は涼しく、陽光も心地よい・・・休日はゆっくり家で・・・などとは言っていられない。もうすぐ梅雨、スケッチが出来なくなる季節なのだ。その前に少しでもスケッチをというわけで能登半島をひたすら北へ、石川県輪島市門前町「黒島」に向かった。ここは「重要伝統的建造物群保存地区」に平成21年選定されている。江戸時代、北前船の船主が住んだ町として栄えた。今回の目的はこの有名な海辺にある江戸の町並みをスケッチすることだ。
 しかし旅の下調べをしてみると、ここはとんでもなく不便なところだった。グーグルで調べると私の住む神戸から何と8時間20分もかかる。その最大の理由は2001年輪島まで通っていた鉄道が今は廃線になったからだ。頼みの綱はバス。しかし隣町の「門前」から「黒島」へ入るバスは朝夕一本ずつしかない。目前まで来ながらバス停で2時間、乗り換え待ちしなければならないのだ。

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近江商人を育んだ町とは・・・

 この日訪れたのは滋賀県東近江市五個荘金堂町。1998年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。僕がスケッチした22番目の保存地区の町でもある。
 この町は有名な近江商人発祥の地といわれている。江戸時代の商家豪邸と富農の民家がならぶさまはまさにその文化と歴史を教えてくれる。
 家屋が並ぶ道沿には生活用水として利用されている水路が流れ他の町並みとは一味違う風情を与えている。

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