美しい建物と汚れた建物、その違いはどこにある?

スケッチをしていて思うこと

私は水彩画家であると同時に建築デザイナーである。
だからだろうか。旅先で絵を描いていて、いつも思うことがある。
スケッチブックに現れる「美しい建物」と「汚れた建物」の違いである。

画家として,風景に接するならば、建物は汚れていても一向に構わない。
いやむしろ、汚れて泥まみれの方が、歴史を感じさせてくれて、絵としてはしっくりくる場合さえある。

だが「建築デザイナー」としてその風景に接すると、異常に汚れた建物はとても気になる。
設計者として「もっと美しい建物のはずだったのに!」と思ってしまうのだ。

そんな時、私はスケッチする手を止め建物のディテールをくまなく調べることがある。
今日はそんな美しい建物と汚れた建物の差はどこにあるのか、その秘密の一部を絵描き兼建築デザイナーとして皆さんにお伝えしよう。

上の写真は私が絵を描こうとして取材した建物の部分写真である。①はリスボンのとある建築物の窓下②はヴェネツィアのサンマルコ寺院の柱下の蛇腹装飾③はフィレンツェの有名なサンタ・マリア・デル・フィオーレ寺院の見上げである。どれも中世から近代にいたるまでヨーロッパの洋式建築の定番的な装飾である。

だがよく見てほしい。①では窓台からの雨だれの跡が残っている。②は装飾全面に雨だれが筋となって壁面を汚している。
そして③は同じような汚れが壁面全体に広がっている。この寺院の外壁は「白、緑、赤の3色の大理石で美しく覆われている・・・」とガイドブックには記されているが、少なくとも私が訪れたときは、御覧のように外壁は大半が土色に黒ずんで「美しい」とは言い難かった。

私はこの教会を現地でスケッチしたが、先に述べたように「汚れがなかったら、もっときれいだろうな・・・」と残念に思ったことを覚えている。

ではなぜ、こんなに外壁、特に窓周り、軒や腰壁の装飾部分が汚れているのだろうか?
もちろん清掃の頻度が違うこともあるかも知れない。だが原因は別にある。
結論を先に言おう。「雨水対策」がなされているか否かである。

その対策は実は色々あるのだが、今回は主として「水切り」について述べよう。
建築にあまり詳しくない人のために、まず「水切り」を説明しておこう。
通常外壁,窓ガラスなど建物の垂直面にあたった雨は流れて下に落ちる。
そのまま道路の側溝に落ちてくれれば問題ないのだが,途中でその雨を受ける水平面(窓台や蛇腹装飾の平面部)があるとそこに溜まった埃や土を一緒に流す。その泥水が外壁を汚すのである。

したがって雨水を受ける水平面の先端には水を切り,外壁に泥水を触れさせない工夫が必要となる。それが「水切り」である。

①も②も③も雨を受ける平面の先端部はそのまま装飾下の垂直壁面と繋がっている。
それと比較して下の写真をよく見てほしい。

④は窓下、⑤は柱下の蛇腹装飾の詳細写真だ。⑥は少し離れた位置からの見上げであるが、窓上、窓下、蛇腹下に水切りがある。全部別の建物なのに、いずれも同様の「水切り」が施されているのがわかるだろう。

後者の建物群では雨による泥水は外壁に伝わらず、水切り部分で地面に落ちるのだ。
同じような建物なのに何故両グループの間に、こんなにディテールに差があるのだろうか?

実は④は旧北海道庁本館、④は旧三菱銀行神戸支店、⑤は三菱1番館。いずれも明治時代に建てられた日本の洋風建築(復元含む)なのだ。つまり西欧の洋式建築が日本に輸入されたときにディテールが変わったのである。

ではなぜ日本の洋風建築には本家の建物にはない「水切り」があるのか?
最大の理由は雨の多さである。日本の平均年間降水量は1,800m m、ヨーロッパは800 〜1,000m m、つまり半分程度である。

ヨーロッパでは雨が少ないため、水切りの必要性をそれほど感じなかったに違いない。だが雨量が倍ほどある日本ではそんな外壁を汚す(雑な)ディテールは許されなかったということだろう。

もう一つの理由はやはり汚れに対する感性の差だろう。石やレンガは汚れていて当然と考える西洋人に対し、日本人は外壁の汚れを放っておくことができない性なのだと思う。

では日本人が異常なのかというとそうではない。最近の西洋建築、特に観光地の建物ではほとんどの窓下には水切りが付いている。
⑦~⑩はカナダ観光地として名高いケベックシティの建物だ。左の建物の窓回りを拡大したのが⑨と⑩でいずれも形は全く違うが窓デザインに合わせ水切りがついている。
日本人の感性が輸出されているといったら言い過ぎだろうか?

ならば日本人の感性が遺憾無く発揮できる日本の伝統建築はどうなっているだろうか?

上の写真は新潟県佐渡島の宿根木集落である。江戸時代の民家がそのまま残されている。
水切りの有無については疑問の余地はない。窓上、窓下がそのまま外壁につながるディテールはどこのもない。必ず溝、桟木、斜め材、金属などを利用してあらゆる「水を切る」工夫がされている。

最初のフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ寺院を思い出してもらおう。比較の意味で日本の寺院、ご存じ法隆寺(⑬図)を取り上げよう。
壁は白い漆喰。もし雨水処理ができていなければ先のフィレンツェの寺院と同じように、壁はとっくの昔に真っ黒になっているはずだ。

だがかの寺は美しい。

理由は・・・軒の出が深いからだ。
日本建築の究極の雨水対策は「水を切る」以前に雨水を壁に触れさせないことだったのだ。

P.S.

  • このブログには水彩画だけではなく、建築や美術全般についての記事を書いている。興味のある方はためになる美術講座→を参照してほしい。
  • 「美緑(みりょく)空間アートギャラリー」のメンバーにはさらに詳しい情報を提供している。興味のある方はぜひ参加してほしい。
  • また私の水彩画購入希望の方は「水彩STORE/美緑空間→」へどうぞ。