2.ためになる美術講座

絵具の知識 透明水彩は何故美しい?

■透明水彩は何故美しい?

 プロの水彩画家が描く水彩画はなぜ美しいのだろう。もちろん絵の才能があるから。だがそれよりももっと直接的、絶対的な差がある。それは子供の頃使っていた、マット水彩絵具(学童用半透明水彩絵具)ではなく、プロ用の透明水彩絵の具を使っているからだ。

 まず発色がよく美しい。透明感がある。どういうことかというと、マット水彩絵の具は絵具を重ねると基本的に下の絵具は消えてしまう。しかし透明水彩絵の具では下の色は消えず上に塗った色と澄んだ状態で重なり合うということだ。特に水彩紙の上に塗ったときの美しさには不思議な感動さえ覚える。今回はその感動は何故起きるのか調べてみた。

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海の絵を模写してみると・・・

クールベの海の絵

 冒頭の絵はクールベの描いた海の絵である。油絵を描いたことのある人なら大抵の人は知っているだろう。実はこの絵は私にとってとても思いで深い。
 普通、絵を描き始めた初心者に、「お薦めの練習方法は?」と聞かれると、大抵は「デッサン」あるいは「クロッキー」と答えるだろう。
 だからこのブログでも、「誰にでもできるデッサン練習法(詳細はこちら→)」「クロッキーの道具と描き方(詳細はこちら→)」などの記事を書いている。

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必見! 龍の絵

 今日のテーマは「龍」の絵だ。もっとも私自身は龍の絵は描かない。いや正確にいうと、油絵に熱中していた大学時代(詳細はこちら→)、それらしき油絵を一度だけ描こうとしたことがある。空に浮かぶ人智を超えた存在に対する憧れ・・・宗教に帰依していなくとも、若い時は、そんな感情を覚える時があるのだろう。
 実はその頃、墨絵の龍にも少し興味を覚えて、古本屋にゆき「墨絵入門」という分厚い本を購入したこともある。だが一時期の気まぐれは長く続くことなく、その本は何十年も開かないまま、今も私の書棚の奥にひっそりと収まっている。
気まぐれで終わってしまった理由は、単純だ。その「龍らしき絵」は出品したグループ展で、「下手」と言われるならばまだしも、ほとんど誰からも、興味を持ってもらえなかったからだ。せいぜい「珍しいね」で終わり。
 絵を描く人間は自己満足を得るためだけに描いている人は少ない。多分、人に見てもらいたい、人に感動を与えたいから描くのだと思っている。
 絵が注目されなかったという事実は絵描きとして「死刑宣告」を受けたのに等しい。
 というわけで、私はそれ以来古来からある、龍、虎、邪鬼など(勇ましい)空想のモチーフは一切描かなくなっただ。

 そういえば私は子供の頃から、家族や友達と遊んだ、思い出の風景を描くのが嫌だった。図画工作の時間なのに、教壇の上に生けられた花と花瓶を写生する(エピソードはこちら→)変わった子供だったのだ。
 どうやら、「苦手な絵」は大人になっても変わらなかったようだ。

 そんな私が久しぶりに「龍の絵」と向き合ったのは、「絵描きになりたいな」と密かに思い始めた頃(そのエピソードはこちら→)だった。
 油絵に熱中していた学生時代以来久しぶりに絵を描き始めた私は、毎週休日は、必ずと言っていいほどスケッチに出かけていた。
 その日のお目当ては京都の建仁寺。だが主要な建物である「本坊」、「方丈」、「法堂」は何故かあまり私の創作意欲を刺激してくなかった。境内の濃緑の松林に惹かれて、枝の間から覗く三門(望闕楼 ぼうげつろう)を一枚だけスケッチしたものの、時間を持て余してしまった。
 いつもなら、スケッチ時間を優先させるので、寺院内の展示物は観ないのだが、そんな事情でこの時は拝観料を払い本坊の入り口をくぐった。
 絵に詳しい人は当然ご存知だろうが、実は建仁寺と言えば境内にある建物よりも国宝「風神雷神図屏風」(俵屋宗達作)が有名だ。そのことはスケッチに行く前に私も知っていた。当然それを期待して入館した訳だが、なんと玄関の正面にいきなり、その「風神雷神図屏風」が現れた。周りの人は早速カメラを取り出して写真撮影を始めた。横に解説があり、読んでみるとなんとこれは原寸大の「レプリカ」。少しがっかりして、写真を撮るのはやめ、先へ進む。さらに橋を渡り「法堂」へ入る。

 突然、天井いっぱいに巨大な龍の図が現れる。墨絵なのか日本画なのかわからなかったが、周囲の空気まで吸い込まれるようなモノトーンの世界。圧巻だ。
 後日調べてみると作者は小泉淳作画伯。大きさは108畳もある。完成したのは2002年。タイトルは「双龍図」だ。
 私は元々、モノトーンの芸術的な表現が好きだった。そしてその究極の世界が墨絵だろうとも書いた(エピソードはこちら→)。この巨大な双龍図は「墨」一色でここまで描ける「水墨画」の奥深さを改めて私に教えてくれた。

 だが、だからと言ってすぐ、本棚の「水墨画入門」をまた取り出したかというと、私はそこまで浮気性ではない。何しろ、最近やっと、透明水彩の油絵にはない奥深さ、魅力に気づき始めたところだ。
 だから水墨画にチャレンジするのはもう少しだけ、先に伸ばそうと思う。

印象派の絵画に見る女性像

マネ:すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ

 「日本で一番人気があるのは印象派の絵画」かつては美術館の企画担当者は口を揃えてこういったという。
 もちろん私も大好きだ。私が人物画というジャンルの芸術を知ったのは、レオナルド・ダビンチの「モナリザ」を知ったから(エピソードはこちら→)であるが、自分で人物画を描きたいと思ったのは印象派、ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダーンヴェール嬢の肖像」を知ったからだ(エピソードはこちら→)。
 そしてこのブログのトップページで私の絵描きとしての活動の一つに「魅力的な女性像を描く」ことを挙げているのもその時の感動がきっかけになっている。
 もっとも「イレーヌ嬢」の肖像は私が描こうとしている「女性像」というには幼すぎる。ならば大人の女性像をほかのルノワールの絵や同じく印象派のモネ、ゴッホ、シスレーなどの絵から探そうとしても、私の望むイメージとはちょっと違う。
 というのは一般的に印象派の絵画は大胆な筆のタッチを残すものが多く、女性の肌を描くには私にはやや不適当に思える。何より絵の主役は女性の表情ではなく肌を照らす明るい光になっている。
 「イレーヌ嬢」以外のルノワールの女性像、例えば有名な「陽を浴びる裸婦」やモネの「日傘の女」などはその好例である。
 だから私は恐れ多いことに「印象派に見るべき女性像の絵画はない」などと思っていたのだ。それは学生時代以来再び頻繁に絵を描くようになってからも相変わらず印象派絵画は私にとって疎遠な芸術だった。

 私のその偏見を取り払ってくれたのは、やはり、日本に、それも珍しく神戸に巡回されてやってきた人気の「印象派展」の中の一枚の絵だった。
 その絵とは冒頭に掲げたマネの「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」だ。実はこの絵、教科書で見たのか、雑誌だったのか覚えていないが、とにかくその年になるまで知らなかったというわけではない。
 ただ、「イレーヌ嬢の肖像」ほど感動したわけでなく、「なんだか黒っぽい女性像だな」という印象しかなかった。
 特に透明水彩画を描くようになってからは、「黒」の絵具については水彩画の透明感を損なうもの(詳細記事はこちら→)としてしか感じていなかったので、よけいに共感を覚えなかったのだと思う。

 ところが実物を見ると私の思い込みとは全く違っていた。いわば「諸悪の根源」とまで嫌っていた「黒」はマネの手にかかると上品でクラシカルな装いの女性の美貌を引立てる、魅惑の色だった。
黒い服に包まれたモリゾの活動的で知的な表情、その瞳は私を虜にした。しばし立ち止まり、その絵を見つめ続けた。どのくらいそこに立ち続けたか覚えていない。
 調べてみると、ベルト・モリゾは裕福な家の出身で、絵を習っていたという。私の想像通り「上品、活動的で知的な」女性であったことは想像に難くない。そしてその後、マネと知り合い、彼から絵を習い、印象派の画家としてデビュー。
 そしてマネの弟と結婚した。まさに「印象派の女性像」その名の通りの人生を送ったのだ。

ルネサンスの絵画から学んだものは?

 ルネサンス・・・私は確か中学生の時に「文芸復興」と習った覚えがある。だが今はそう呼ばないらしい。建築、絵画など文芸に限らない運動だからだ。私自身は学生時代大学、大学院で建築学科に学び、研究室も西洋建築史だったのでルネサンス建築には親しみがある。

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ルノワールの絵画 人気の秘密は?

 絵が好きな人でおよそ印象派、ルノワールの絵画が嫌いな人はいないだろう。日本で必ず成功する展覧会は印象派、それもルノワールだというくらいだ。
 何故?。正直言ってそれを説明できるだけの勉強はしていない。ただ私が人をリアルに描く「人物画」というジャンルを知ったのはレオナルド・ダビンチの「モナリザ」のおかげであり(詳細はこちら→)、可愛らしい少女の肖像に憧れ、今でも好んで女性像を描くようになったのはルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェルス嬢の肖像」の存在があったからだ(詳細はこちら→)。
 だから大学に入り、アルバイトをして、最初に買った画集は「ルノワール」だった。もちろん今でも手元にある。

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日本の建物の不思議!「竹矢来」って何?

 日本の風景をスケッチしたことのある人なら、建物の足元に曲線上に竹を曲げて並べた奇妙な置物があることに気付いたことはないだろうか?

 そう上の写真のように。

 この名前は「竹矢来(たけやらい)」という。私の経験では海外の建物では見たことがない。日本独自のものだ。
 では一体何のためにこんなものを設けているのだろう?

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裸婦の名画「グランドオダリスク」に会う!

 絵描きにとっては、「裸婦」を描いた「絵画」など当たり前の存在だろう。私自身、裸婦の絵は展覧会に行って良く目にするし、裸婦クロッキー会にも参加する。
 だが、子供の頃となれば話は別だ。中学生の頃、有名なルノワールの「イレーヌ・カーン・ダーンヴェール嬢の肖像」に憧れたと以前に書いたが(エピソードはこちら→)、少女像がせいぜい、成熟した女性像を、まして「裸婦」を目にすることなどほとんどなかった。随分と純情だったわけだ。

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月夜の絵画、ヨーロッパにある?

 日本人の暮らしには「月」はとても身近な存在だ。私が子供の頃には、中秋の名月には窓辺に団子、里芋、ぶどうを添えて、黄色く美しい満月を眺めた覚えがある。月にウサギがいるという故事もこの日に繰り返し聞くことになる。そしてあれほど仲が悪かった私の両親も、この日ばかりは、夫婦喧嘩をしなかった気がする。

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まるでコロー?日本の有名水彩画

上図の作品は誰が描いたかご存じだろうか?19世紀フランスのバルゾン派の絵画が好きな人なら「コロー!」と答えるのではなかろうか。
作者は有名な「浅井忠」。①は「グレーの古橋」②は「河畔洋館」という作品でいずれも浅井忠がパリに留学した時に描いたものだ。

実は学生時代は油絵一辺倒だった私が今、水彩画を一生懸命描いているのはこの浅井忠の描いた「コローのような」水彩画の存在が大きい。私が再び絵を描きだした経緯は「今から絵描きをめざすひとのために(詳細はこちら→)」で書いたとおりだが、それまで私の頭にあった画家の作品は、レンブラント、アングル、フェルメール、コロー、マネ達が描く、ややロマン的な写実絵画で基本は油絵の作品だ。
正直言うと、水彩は小中学校で適当に描いていただけ。全くの独学だ。だからやはりまずは水彩画の大家の絵を調べてみようと思ったというわけだ。たぶんインターネットで調べたのだと思うが、「浅井忠は油絵だけでなく水彩画にも才能を発揮した」という一文を発見。水彩画の画集が無いか調べると第一法規という会社から「日本水彩画名作全集」という本が出版されており、その第一巻が「浅井忠」だった。だがどうやら絶版で入手できないらしい。こんな時頼りになるのがやはり「amazom」。中古の画集が見つかり、さっそく購入。その中でとても気に入ったのが冒頭の2枚の絵である。

私はプロフィールのところでも書いたが、一番好きな画家は「コロー」だ。だからこの2枚の絵を見た時に、独特の落ち着いたグレーの色調と柔らかな筆のタッチがすっかり気に入ってしまった。しかもコローは油絵でグレーを表現(これは比較的容易だ)したが、浅井忠は水彩でグレーを表現している。水彩で美しい白、黒、グレーを表現することはとてもむつかしい。私はその秘密を知りたくて、未だに試行錯誤をしているといっていい。
コローの油絵はあくまで筆で丹念に重ねてあの柔らかさを出している。この2枚の絵は水彩らしい、水分をたっぷり含ませた絵具を紙にしみこませ、にじみとぼかしの組み合わせで空気や水の透明感を表現している。
現代の水彩画家はどちらかというと、同じような技法を駆使しながらも、もっと色が鮮やかだ。あるいは浅井忠の絵も当初はもっと鮮やかだったのかもしれない。浅井忠は51歳で世を去ったという。もう少し長く生きていれば、コローのように柔らかく、落ち着いた雰囲気の中でみずみずしく鮮やかな色彩を展開するそんな風景画が見られたかもしれないと思うととても残念な気がする。

なお、このブログで同じく明治の水彩画家「五百城文哉」について書いた(詳細はこちら→)。五百城は1963年生まれ、浅井は1856年生まれ。7歳しか違わないので、互いの画風について、意見を交わしたのではないかと考えて調べ始めたが、今のところそんな文献は発見できていない。だが明治の末期に生きた二人が片や超絶技巧、片やロマンチックな情景表現で競い合っていたのではないかと想像してしまう。
もしそんな事実が発見出来たらまたこのブログで報告したいと思う。