人生最初の「選択」とは

私にとって高校時代は暗黒時代だった。

 それなりに楽しい中学時代(「絵が好きだった少年時代→」を参照)を過ごしたが、一転、高校はいわゆる旧制一中の受験校だった。
 毎日が競争、試験の繰り返し。授業が嫌でたまらない。

 すっかり劣等生になってしまった私が唯一逃避できたのが部活の剣道だった。 成績もほとんどビリになるまで急降下 。これではだめだと、剣道部の活動を控えようと決心したとたん、部員の投票の結果キャプテンに指名されてしまう。
 そんな訳で部活もやめられず、まさに八方塞がりの毎日だった。

最悪の成績で最終学年を迎える。

 私の通っていた高校は2年の終わりに志望大学と学部、学科を決め、3年生からはそれぞれの進路コースで授業を受けることになっていた。理系と文系の区別はもちろん芸大を目指す人もこの時意思を明示しなくてはいけない。

  絵は相変わらず好きだったが、周りは学業優秀な人ばかり。芸術の道に進もうなどという輩はいるはずも無い。

 家もそれほど裕福でなかったこともあり、間違いなくお金を稼げる道を選ぶべく、法学部志望、弁護士になりたいと進路指導の教師にはすでに伝えていた。
そしていよいよ最終書類を提出するときがきた。

人間の心はわからない。

 あれほど弁護士になると言い聞かせていたのに、ほんとにそれでいいのかと自問すると心が抵抗しているのがはっきりわかるのだ。

 そこで図書館に通いつめ自分の適性を調べ、高校生なりに悩んだ。苦手だが数学は嫌いじゃない。歴史と絵が好き。そんな訳で私が下した結論は

国立大の工学部建築学科へ進み、建築家になることだった。

 当時、建築学科は航空学科と並ぶ人気学科。当然偏差値も高く、その時の成績では合格率は限りなくゼロに近い。親も教師も大反対。劣等生の性根が浸み込んでいた私だったが、このときだけは抵抗した。成績は今から頑張るからと志望を変えなかったのだ。

  しかし試験前の一年なんて誰もが頑張るに決まっている。自分だけ成績が急上昇するはずはなかった。

 結局希望大学の建築学科に入るには浪人生活を1年経験する必要があった。しかしこの時の選択があって今の私がある。浪人時の経済的な負担を許し私の「人生の選択」を尊重し、認めてくれた親に心から感謝している。ありがとう。

P.S.
私のプロフィールを以下のカテゴリにまとめてある。興味のある方はどうぞ。

■「painter_yoshineはどんな人?→


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2件のコメント

[…]  高校生の時の私は劣等生。私立も国立も行きたかった希望大学は全部落ちた。やむを得ず、予備校に通い浪人生活を送った。我ながらよく勉強したと思う。最低限の睡眠を取る以外は試験日のその日まで受験勉強をしていたと言っていい。(私の高校時代のエピソードはこちら→)だがあまりにストイックに自分をコントロールしすぎたせいか、第一希望の大学に入ると一気にその反動が出た。「人の指示は受けたくない。自分でしたいことは自分で決める。」そして「人事を尽くして天命を待つ」これが大学に入学した時の私の人生訓だった。(私の大学時代のエピソードはこちら→) […]

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