油絵に熱中した青春時代

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暗黒の(?)高校時代と浪人時代を送った人間が、目指す大学に入ったら、どんな日常を送るのか?私の答えは実に簡単。

「好きなことを好きなだけやる」

特に高校時代出来なかった絵を描こうと 「美術部」に入った。もちろん高校時代から続けていた「剣道部」にも入った。歴史や美術や数学が好きだった私にとって「建築」の授業はどれも楽しかった。特に設計製図の授業は面白く、提出直前まで製図室で徹夜することも度々あった。昼間は授業、夕方から剣道部、終わってから家庭教師のアルバイト、帰ってきて美術部の部室で100号の油絵を描き、深夜を過ぎると製図室で図面を引き、明け方下宿に戻って寝て、また授業に出る・・・学問とスポーツと芸術と(時々恋)まさに青春時代そのものだった。
そんな中でも

一番熱中したのが油絵だった。

中学生のときに一枚だけ描いた自画像に満足できなかった過去の体験を思い出し、再び自画像に熱中した。事情を知らないほかの美術部員は何故あいつは自画像ばかり描くのだろうと思っていたに違いない。このころバルビゾン派の絵画を知り、何枚か模写もした。特にコローは私のお気に入りの画家でその作風を真似して何枚も風景画を描いた。そして毎月の展覧会にかならず出品することを自分に課した。学生レベルとはいえ、一ヶ月に一度出品するための負担は軽くない。ほとんど毎晩絵を描いていた。時間の使い方はプロの画家と変わらなかったに違いない。

でも青春時代は永くは続かない。

やがて就職を意識するときがくる。当時(1978年)オイルショックで絶不況。建設業の採用意欲は低く、進路担当教官は「コネのある方は早めに申し出て下さい」と告げていたくらいだった。私にコネは一切無かったので市役所、国家公務員受験するもすべて落ちた。新聞記者という職業も気になっていたが試験問題を見ると難しくてまったく手が出ない。ちょっと青春を謳歌しすぎたかと反省した。それなら毎日描いていた絵の世界で身を立てる・・・などという甘い考えはやはり封印した。結局この時は真剣に建築学を勉強すべく大学院へ進んだ。専攻は「建築歴史」だった。もっとも就職が有利な研究室という訳ではない。ただこの頃から、消費と生産一辺倒の価値観が見直される機運が起こっていた。今の世界遺産ブームに繋がるガラパゴス諸島など最初の認定がなされたのがちょうどこの1978年、国内ではいわゆる「旧い町並み」を見直す国の施策である重要伝統的建造物群保存地区が最初に選定されたのが1976年。大手ゼネコンの設計部を目指していた私は就職面接用に町並み保存をテーマに設計図を引いた。「これからはゼネコンも町並み保存の動きを無視できない時代になります」
面接での答えが試験官の心に響いたのかどうかわからないが、何とか合格。以後ゼネコン設計部での社会人生活を送ることになる。ちなみに私が掲げる

絵のテーマ「建築」と「人」はこの面接での一言から始まった気がする。

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