絵で稼ぐことを覚えた子供

それは小学校二年生の時だった

 そのころ私の両親は離婚していて、父は後妻を迎えていた。当時の記憶は定かではないが、明るい家庭でなかったのは確かだ。

 ある日の図画工作の時間。先生が「今日は何でも自由に描いていいですよ」と告げた。皆、当然のように夏休み、冬休み、海や山で家族や友達と遊んで楽しかった思い出のシーンを描いていた。

これが子供の絵?

 私はというと、そんな環境で楽しい思い出が浮かばなかったせいなのか、先生の机の上に生けてあった花を描いたのだ。教師が驚いた「変わった子供」が写生の楽しさを知った瞬間だった。

私の絵が選ばれた秘密

 そして小学校の4年のある日の朝礼。全校児童が暑い校庭で整列し、いつものように校長先生の長い訓示が始まった。早く終わらないかと内心退屈しきったそのとき、突然自分の名を呼ばれた。

 何と市の写生大会で私の絵が「特選」を取ったのだ。当時市内の全小学校児童が参加する行事だったから、特選と言うのはそれなりに困難な賞だったはずだ。

 もちろん「私が早熟の天才だったから」なんて言うつもりはまったく無い。 残念ながら理由は想像がついている。私だけのオリジナルテクニックを使っていたからだ。

 当時小学校の「図画工作」の時間は低学年ではクレヨン、高学年は水彩絵具を使うよう指導されていた。その時私は4年生だったので水彩絵具を使い始めたばかり。初心者にありがちな下の絵具が乾かぬうちに別の絵具を重ねて画面を汚してしまうことに、子供ながらに悩んでいたのだ。

 そんな時の写生大会、私はいい方法を思いついたのだ。友達は皆相変わらず習ったばかりの水彩絵具で描いていた。一方私はクレヨンの水をはじく性質を利用して、細く色鮮やかな線をクレヨンで描き、その他の大部分を水彩で描くという方法を使ったのだ。

 画面が汚れることもなく、我ながらうまく描けたという実感があった。おそらく子供ながらに論理的に技法を工夫したことが評価されたのだろう。

絵で稼げる?!

 自分の列に戻った時、手にしていたのは校長先生からもらった賞状と絵具セットの賞品。ありがたかったのはもちろん賞品。絵を描いて報酬を得た初めての経験だった。

 私が今もまだ、水彩画を描き続けているのはこの時の感動が原点なのだろうと思っている。

P.S.
 私のプロフィールは「Painter_yoshineはどんな人?」で紹介している。ご一読を。
 現在の私の絵描き活動の詳細をトップページ美緑(みりょく)空間へようこそ!→に記している。是非読んでほしい。
 その後の私の作品は「加藤美稲水彩画作品集→」に掲載している。参考にしてほしい。



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6件のコメント

[…]  小学生の頃から、家族との思い出を想像して絵を描くことに興味のなかった私は、図工の時間になると、周りの子供達と違って、先生の机の上にある花を写生したりしていた(詳細はこちら→)。だから「静物画」は見たままを描くものと知っていた。だが人物画はやはり父や母の顔をイメージだけで描いていた気がする。 […]

[…]  私は子供の頃から絵が好きだった。(子供の頃のエピソードはこちら→)特に美術の教科書に載っているようなヨーロッパの有名な絵画にずっと憧れていた。だが育った田舎にはなかなかそんな絵画がやってくることはなく、生まれて初めて見た本物のヨーロッパ絵画展は、大学生の時、愛知県美術館で開催された「ミレー、コロー、クールベ展」だった。私が一番好きな画家、コローの実物の絵が見られた感動を今でも覚えている。もちろんその時買った、カタログは今でも私の書斎に大事にとってある。 […]

[…]  そういえば私は子供の頃から、家族や友達と遊んだ、思い出の風景を描くのが嫌だった。図画工作の時間なのに、教壇の上に生けられた花と花瓶を写生する(エピソードはこちら→)変わった子供だったのだ。 どうやら、「苦手な絵」は大人になっても変わらなかったようだ。 […]

[…]  絵描きにとっては、「裸婦」を描いた「絵画」など当たり前の存在だろう。私自身、裸婦の絵は展覧会に行って良く目にするし、裸婦クロッキー会にも参加する。 だが、子供の頃となれば話は別だ。中学生の頃、有名なルノワールの「イレーヌ・カーン・ダーンヴェール嬢の肖像」に憧れたと以前に書いたが(エピソードはこちら→)、少女像がせいぜい、成熟した女性像を、まして「裸婦」を目にすることなどほとんどなかった。随分と純情だったわけだ。 […]

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