今から絵描きを目指す人のために

イタリア ローマ ナヴォーナ広場

■今の人生に満足?

 サラリーマンも50代後半になるとその道のキャリアに終わりが近づいてきたことを悟る。そのまま大過なく勤め上げ退職金と年金で余生を送る・・・よくある人生だ。だが私の場合そんな選択が出来なかった。
 もう一度自分の人生を振り返り、これでいいかと問いかける。そろそろ封印してきた「絵描きになる」という道をもう一度追っかけてもいいじゃないか・・・そんな決断をしてしまったのだ。


 そこで今から何をすべきか調べ、考えた。公募展に応募して入選!あるいは個展で評判を取り有名に!などと夢を見る。
 一方“もう何年も油絵を描いていない。時間もない。個展を開けるような作品が溜まっていない。考えただけで困難な問題が山積みだ。

■家族関係に不安はない?

 しかも、さらなる問題が重なった。妻との別居、そしていわゆる熟年離婚だ。その原因は・・・いやひょっとすると双方の想いの一致する離婚原因など存在しないのかもしれない。でもあんな想いを二度としないためにも敢えてその理由を振り返ることにする。
 それはちょうど私が会社での将来に見切りをつけた頃に始まる。それまでは自分の生きがい=会社の未来だった。でももはや自分の未来は自分だけのものと解釈した瞬間、全ての価値観が変わったのだ。
 心に封印していた絵描きになりたいという欲求が蘇ったのは先に述べたとおりだが、問題は私の場合、自分の未来だけが一人歩きし、そこに妻の存在が無かったことだ。
 こう書くと、人生観を大切にした結果・・・などと高尚な話に聞こえるが、要は自分のしたいことだけに時間とお金を使いたいという身勝手な思い込みに理屈をつけていただけだった。妻から観れば先を見て、今の妻の気持ちを顧みない単なる「思いやりの無い男」だったと思う。
  私と同じように、熟年になって、何らかの人生の決断をしようとしている人は、注意してほしい。離婚は定年後の予期せぬ貧困と精神的消耗を強いる。私も一時はすっかり沈み込み、久しぶりに始めた画家活動にもまったく身が入らなかった。

ローマ共和国広場

■目指す人生のモチベーションはある?

  そんなどん底の私を救ってくれたのはイタリアへの旅だった。会社人生で初めて長期休暇を取っての一人旅。誰に気兼ねすることなくローマ、フィレンツェ、ベネチアへと旅発った。
 はじめてみるイタリアの風景は私を魅了した。毎日朝から晩まで歩き回りスケッチをした。ローマのナヴォーナ広場でスケッチを終え、心地よい疲労感に浸りビールを口にした時の充実感、幸福感はいまだに忘れられない。
 この時の「憧れの地をスケッチする」というシンプルな喜び(ビールの味ではない。念のため)が「遅咲きの絵描き」の先に待つ困難を解決し、今なお活動を続けるモチベーションとなっている。
 なお付け加えておくと、いまは旅先の僕の隣に新たな伴侶がいてくれる。おかげで心も平穏無事だ。でもスケッチの時はやっぱり一人かな。

ローマ サンタンジェロ城

P.S.
この旅がきっかけで海外へたびたびスケッチに出かけるようになった。体験談をこのブログのカテゴリ「スケッチの旅 海外編→」にまとめている。興味ある方は覗いてほしい。
私の描いた水彩による風景画をこのブログの「加藤美稲水彩画作品集→」で紹介している。是非見て欲しい。
また私の風景画の描き方をペンと水彩で描く風景画の魅力とはで紹介している。是非参考にしてほしい。
P.P.S.
私と同じように今から絵描きを目指そうとする人へ。このブログのカテゴリ「絵描きとして生きるには」に参考となる記事をまとめている。興味ある方はご一読を。


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4件のコメント

[…]  私が初めてイタリア、ローマを訪れた時の感動はいまも忘れ難い。旅先で絵を描くことの幸せをしみじみと味わうことを覚えたのもその時(詳細記事はこちら→)である。 朝から晩までスケッチをし、充実した旅であったことは間違いないのだが、一点だけ悔いが残っていた。それが冒頭の写真、ボロミーニのサン・カッロ・アッレ・クアトロ・フォンターネ聖堂をスケッチできなかったことだ。 写真はホワイトバランスを調整し、建物のディテールを見やすくしてあるが、頂部だけが反射していることで分かるように、到着した時刻は日暮れ直前で絵を描ける状態ではなかったのだ。 泣く泣く翌日次の都市に向かったのだが、3年後再びイタリアに旅し、この絵を描くためにローマにもどってきたというわけだ。 […]

[…]  このブログの記事「今から絵描きを目指す人のために(詳細はこちら→)」を読んだ人はお分かりだろうが、私が水彩画を真剣に描き出したのはそれほど昔ではない。むしろつい最近と言っていい。 それなのに、水彩画を描くことについては楽観していた。昔、油絵を描いだから、絵の基礎はわかる、それに学校では水彩画を描いていたから初めてではない、なんとかなるだろうと。 当然、今から美大や専門学校に行く気もなかったし、有名な先生に師事する気もなかった。 それに「独学」という言葉の響きもいい。その方が「自分の個性が出しやすい」し、学校に行く「時間と場所の束縛がない」。それに、現在の自分の境遇、手持ちの財産から考えて、「相応しい費用と効果を自分で選べる」。というわけで「水彩画家」という名刺を作ったのだ。 […]

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