ピースボートでゆく世界一周スケッチ旅

「毎年海外に水彩画を描く旅に出ることにしている…」このブログのどこかで記した一文である。だがご存じのとおり、コロナ禍でその信条は3年ほど実行できなかった。コロナが5類に移行した今、その無念を晴らすべく、世界一周のスケッチ旅に出かけることにした。

 そこで、この際絵の好きな人はもちろん、世界中の建物や町、人々の生きる様を感じるのが好きな人のために、世界一周ノウハウ集を記録しておこうと考えた。

 この記事はなるべく現在進行形で書こうと思っている。細かな失敗や成功、気持ちの良い旅をするためのちょっとしたコツを忘れないうちに記録し、伝えようと思うからである。

 もしあなたが読んでいる記事が旅の途中のものであったなら、その続きがまだあるということだ。時間をおいてまた見に来て欲しい。新たな情報を皆さんに提供できるだろう。

◾️世界一周、何でゆく?

 実は私の「世界一周スケッチ旅」は昨日今日思いついたわけではない。「水彩画家」と名刺に書いた以上、それなりに実作を増やさねばならない。そのためには、一気に世界一周の旅に出て、毎日水彩画を描けば手っ取り早いと思ったのは随分前だ。

 では何で行くべきか?

 色々考えた。有名な豪華クルーズ船「飛鳥Ⅱ」なら最高だ。だがその費用は桁外れで、私はもちろん、世の多くの人が利用できる値段ではない。仮にその旅のノウハウを書いたところで読む人はほとんどいないだろう。

 では最も安い方法は…もちろんヒッチハイクだ。だが今度は桁外れの時間と体力、度胸が必要だ。もう若くない私には決定的に無理であろう。

 もちろん他にも様々な手段がある。だが私が最後まで悩んだ方法は二つ。世界一周航空機フリーチケットを使うか、ピースボートに乗るかである。両者は期間も費用もトータルではそれほど変わらないと私なりに計算した。

 私の妻は圧倒的に航空機派である。何故なら、飛行場のあるところであれば、世界中どこでも自分で自由に計画して、ビジネスクラスでの飛行機旅が楽しめるからだ。

 ただし、航空機のグループとチケット使用期間が限定されること、地球一周は一方向のみで後戻りはできないことは覚えておこう。

 ただこの旅の最大の欠点は、地球を一周する間ずっと荷物を持って移動しなければならないことだ。

 水彩画を描くことが目的の私にとって、春、夏、秋、冬全ての風景を描きたい。すると衣類だけでも相当の量になり、スケッチブックや絵の具、筆、水入れ、カメラなど普段のスケッチ道具一式も旅先に携行しなければならない。

 その点、船旅(ピースボート)ならば、荷物は宅急便で船室に送っておき、港に着いたら、季節にふさわしい服装で、スケッチ道具だけを持って出れば良い。

 結局この「荷物移動の容易さ」が今回船旅でゆくことにした最大の要因である。

 さてあなたは何を選ぶだろうか?十分に検討してほしい。考える時間とその後の楽しみは比例するはずだ。

 あなたの旅はすでに始まっている。

◾️ピースボートとは

 年に何回か比較的安価で世界一周の旅を企画している。コース、期間、値段など詳しくはホームページ(https://www.pbcruise.jp/)で調べて欲しい。若い人は3~4人部屋、2段ベッド、窓無しという条件で破格の値段で乗り込んでいるようだ。

 私が選んだのは、105日間の旅で以下のコースで地球を一周するものである。日本 ~ハワイ ~中米 ~パナマ運河 ~ジャマイカ ~アメリカ ~カナダ ~アイスランドからのイギリス ~フランス ~ポルトガル ~スペイン ~イタリア ~ギリシャ ~トルコ ~エジプト ~スエズ運河 ~スリランカ ~マレーシア ~シンガポール ~香港 ~日本。

 世界中の風景を水彩で描くという目標にとりあえずは不足はないと言っておこう。

 旅費は先のピスボートのホームページに載っているが、実はお得に行ける方法がある。いやあったというべきか。

まず安く行く大原則は「早割」を使うことだ。私が申し込んだ時は確か3割引き程度だったと思う。だが問題はその後である。

 この時選んだ船室は「絵を描くのが目的」と割り切って、バルコニー無し、かつ窓はあるが「救命ボート前で視界が遮られます」とのコメント付きのローコスト部屋だった。

 そして、コロナにより旅は中止、払い戻しが殺到したのはご存知の通りである。

 「払い戻しは分割で…」とのピースボートのコメントが新聞に載ったのはその直後のことだった。私もピースボートが倒産したら大変だから、すぐキャンセルすべきだと親しい友人から忠告を受けた。

 一瞬悩んだものの、コロナが収まればすぐに出かけるという決意は揺るぐことなく、結局延期の手続きだけをした。今思えばこの決断は大正解だった。

2年目も延期。そして3年目も延期。そして実はこの間に二度ピースボートのクルーズ船が変更になった。その度に、客室数は増加して、バルコニー付き船室が増加したのだという。

 その間、キャンセルせず、権利だけを保有した者へのプレゼントなのだろうか?私の部屋はいつのまにか、(景観最低)窓付き客室が普通の窓付き船室に、そして最後は最上階のバルコニー付き船室へとアップグレードされていた。

 最新のピースボートクルーズの値段を見ると、私が最初に払った金額の倍近い金額が提示されているようだ。

 多分に「コロナ」という偶然に左右された結果ではあるが、大切なことは「世界一周」を実行する強い意志を持つことだと思う。

◾️旅の準備

 先に触れたように、荷物は事前に宅急便で船室に送っておける。だが実は船室はそれほど広くない、というより相当に狭い。

 私が乗ったのは妻と二人のバルコニー付き船室だがベッドと隣室の仕切壁との隙間は65cmしかない。つまり床に物を置くスペースはほとんど無いということになる。それではと、ワードローブの幅を調べるとやはり90cmほどしかない。大量に段ボールを送っても収納するスペースが限られるというわけだ。

 その点で、百円均一店で売っている圧縮収納袋は実にありがたい。特に掃除機で内の空気を吸い出すタイプはオーロラ鑑賞用の真冬のダウンもペラペラに薄くなる。

 船室で段ボールから取り出し、そのままワードローブの最下部に折り畳んだまま収納している。全く邪魔にならない。

 ただし、この圧縮袋は一旦取り出すと、旅先に掃除機がない限り役に立たなくなる。要注意だ。えっ帰りの収納はどうする気かって?大丈夫。私達が帰ってくる時期は真冬なので、ダウンは着て帰れば良い。夏物は手で圧縮するタイプの袋に入れて収納するつもりでいる。

 なお、カップルでゆく予定の方は是非相手の意見を拝聴することをお勧めする。私の妻はなんと、やはり百円均一店で売っている「突っ張り棒」を持ち込んでいる。それを洗面台、鏡の前に装着し、化粧小物を吊したり、洗濯物を干したりしている。

 その他、気がつけば吸盤フックやらS字フックやらがあちこちの壁面で活躍し気が付けばとても暮らし良い空間になっている。

◾️絵の道具について

 この記事に限っては水彩画そのものは主要なテーマではない。だが長期のスケッチ旅となれば、それなりに必要なものも、日帰りの旅とは異なってくる。注意点を列記しておこう。

 ペン、鉛筆、絵筆、絵の具、スケッチブックなど日帰りの旅ならば予備はいらない。だが3ヶ月半の旅となれば話は別だ。特に私はこのブログでも何度もお伝えしたように、不注意による失敗が多い。物をなくす、置き忘れるなど日常茶飯事。

 だから今回は基本的に愛用の道具は全て同じ物を2つ以上揃えて持ってきている。

 特に使用頻度の高い絵の具、サップグリーン、ウィンザーブルー、コバルトターコイズ、クリムソンレーク、ローシェンナなどは、使用中のチューブに加え新品を2本ずつ追加したほどである。

 時間の限られた海外旅では、自分の愛用の画材は(絶対に)入手できないのだ。

◾️携帯電話と通信の重要性について

 いよいよ出航の日が来た。私の自宅は神戸、出航は神戸港だ。近くに公共交通機関の駅もある至便の地だが、(大量の)手荷物を現地まで運べるタクシーを利用することにした。

 この時利用したのがタクシーアプリ「GO」。かつてのように、予約の前日に電話して時間と行き先の説明不要、乗ってからの小銭の心配なども一切不要だ。

 運転手さんに聞くと、神戸でもはや客の9割がこのアプリによるのだという。コロナ禍の3年の間に著しく進歩したツールとしてはTV会議システムと双璧ではなかろうか?

 さて、乗船前のパスポートやクレジットカードの登録を済ませたら、ついに乗船だ。最もその直後は先に送った段ボールを開け、部屋に住めるように整理するのに、忙しくて旅行気分を味わうどころではない。

 身の回りを片付け終わった頃アナウンスが入る。船長主催の出航式だという。セレモニーの写真を撮ろうと、ポケットのスマホを探したが見つからない。

 そういえば、部屋についてから、携帯は一度も操作した覚えがない。妻に私の携帯に電話してもらったが、着信音はどこからも聞こえない。

 ひょっとして、さっきのタクシーに置き忘れたか。

 まもなく出航で、タクシーを探し出して、取りに戻る暇もない。

 考えて見れば、今後のスケジュール、途中で乗る航空機のチケット、ホテルの予約先、全ての支払いの操作も、そのための資金移動も全てデジタル、つまり携帯電話の中なのだ。

 その絶望感に呆然としながら、この旅行に備えて買ったアップルウォッチのiPhoneの位置確認ボタンを無意識に押してみる。

 するとどこからか反応音がなる。

「どこ?」妻が素早く反応。ベッド横のナイトテーブルの引き出しだ。湧き上がる期待感と共に中を覗き込む。

「あった…!」

 そうだ、部屋を片付ける前に、まずスマホだけ邪魔にならぬところに置いたのだった。

 妻からは散々叱られ、ひたすら恐縮するしか無かった私だが、改めて思い知らされた。旅先で命の次に大切なものは「スマホ」である。皆さんもご注意を!

◾️船内の食事

 ピースボートのシステムでは最初に支払う旅費に船内での食事代は含まれている。今回の船にはフルコースのダイニングが2店、自分で好きな物を取るビュッフェ形式のレストランが一店ある。

 ダイニングは朝と昼はどちらに行っても良いが、夜は人により時間指定がある。私と妻は6階のレストラン19:30から30分以内と定められている。

 ダイニングにはドレスコードがあり、Tシャツと短パン、サンダルの人は入れない。

 ダイニングというからには当然だと思う。自由な服装でという方はビュッフェに行けばいいのだから。

 だが問題は、運用方式だ。

 この両者のレストランは、驚いたことに、客ごとにテーブルを希望することはできないのだ。来た順番に大テーブルに詰められ、見も知らぬ客と隣り合わせになる。しかもそのテーブルがいっぱいになるまで、ウェイターは水も持ってこない。

 まるで学生時代に通った定食屋のようである。すでに安い料金で引き受けた客にまともなサービスは不要ということだろう。

 だから私の個人的評価は最低である。「ピースボートだから」と諦めるしかなさそうである。

 それに比べてビュッフェは相当自由度がある。朝は5時から、夜は12時までオープンしている。好きな時に、何度でも食べて良い。だからワインボトルだけ買えば、料理は無料でいつでも宴会ができる。若い人たちにとっては天国のような空間ではなかろうか。

 なお、ビュッフェの料理は決められた箱に詰めて船室に持ち帰ることができる。忙しい方(?)はいつでも空いた時間で室で食事ができるというわけだ。

◾️船上でインターネットを繋ぐ

船上ではスマホは電波が届かないので繋がらない。当然インターネットにも繋がらない。

だから普段ラインやFB、電子メールなどでやり取りしている友人達とは船内は通信ができないので、しばらく音信不通ですと伝えておいた。

だがやはり不便なこと極まりない。

まず電子版の新聞が読めない。各種公共料金、税金、社会保険など旅行中でも支払いは済ませなければならない。

大事な仕事関連のメールも入ってくる。たまらず、ピースボート船内の衛星有料Wi-Fiに繋いだ。

「なんだ、ちゃんとサービスがあるじゃないか」と思ってはいけない。

料金はなんと100分で2,200円。しかも速度は遅いので、口座の本人認証などを待っているうちに、あっという間に時間切れになってしまう。なるべく寄港地でネット用事を済ませるように事前に計画しておくべきだろう。

◾️海外でインターネットを繋ぐ

先に述べたように、もはやネット環境無くして海外旅行はできないと言っていい。国内で使っているdocomo、ソフトバンク、auなどの通信は当然海外では使えない。

ならばどうするか。

ヨーロッパ、アメリカの公共的施設内は、ほぼ無料のWi-Fiが使える。だが移動中で、Googleマップを使いたい時などは、やはり自分のネット環境がほしい。

かつては空港で現地用Wi-Fiルーターを1日あたりいくらでレンタルしていた。「イモトのWi-Fi」がその代表だ。

実はピースボートにも寄港地用のポケットWi-Fiルーターを貸出ししているが、こちらも船内無料Wi-Fi同様とんでもなく高額。でとても使用する気になれない。

だがありがたいことに、最近はほとんどのスマホが、SIMフリーになったので、海外用のSIMに差し替えれば、はるかに安く、ルーターのような持ち運びデバイスも不要で安定した通信環境が得られる。

SIMは一般的にはユーロッパ、アジアなど地域ごとに違うカードを挿す。またデータ容量と速度、使用期間など様々な条件で値段が違う。

どれにすべきかを、色々と検討した結果、「世界一周タイプ」15日間、4G、5Gが使える格安のSIMカードをAmazonで12枚購入した。

105日夫婦2人分節約してもこの枚数が必要だった。

◾️最初の寄港地ハワイへ

待ちに待った陸地。だが寄港してからすぐ上陸できるかというとそんなわけではない。特にアメリカは乗客一人一人のパスポートチェックと指紋登録を行うため、乗客1,800人が入国検査を終えるには3~4時間かかる。

行く予定の施設の閉館時間を確認するなど、上陸後のスケジュールは余裕を持って計画しよう。

ハワイの移動手段は、ピースボートのオプショナルツアー、自分で動く場合はタクシーまたはバスである。最近高架鉄道ができたがまだワイキキ界隈は走っていない。

実はハワイには以前に行ったこともあるので、今回は行き先は妻まかせ。どこにでもついていくからと軽く考えていた。

概略は税関を出た後、時間の関係でまず一番遠いマーケットに出かけて、帰りは船までバスを乗り継ぐつもりだった。

ところがタクシーを呼ぼうとUberアプリを作動させたが、最後の承認に必要なSMSコードが何度チャレンジしてもスマホに届かない。

諦めて、この日はとりあえずバスに乗ったが、Uberが使えなかったことがどうしても気になる。

船に帰ってから調べた結果、理由は格安SIMだった。Amazonで説明を見た時、データ通信、電話共に可能と書いてあったので安心していたが、付属の説明書をあらためて読んで見ると、「SMS非対応」と書いてあった。

皆さんも「格安SIM」にはご注意を。

ハワイのバスはトロリーと呼ばれる観光客向けのオープンバスとホノルル各地をくまなく網羅した「The BUS」がある。

前者は路線と時間が限られるため、現実的には後者を利用することになる。実はこのバスが曲者だ。まず便利であるとの裏返しなのだが、路線が複雑。しかも膨大な数の停留所には時刻表も路線図も一切ない。止まるバス番号が表示しているだけだ。

不便なのはそれだけではない。料金はどこまで乗っても大人3ドルなので高くはない。だが問題はお釣りが出ないこと。デジタル化の進んだアメリカだからと考え、ほとんど小銭を持っていなかった。だから初めこそ二人で6ドルが払えたが、乗り換え時には10ドル札2枚があるだけだった。

よく見ると周りの人はICカードをタッチして乗っている。

早速そのICカードをコンビニのABCストアで購入。他の商品はクレジットカードで買えるが、これは現金だけだという。料金は二人分で約16ドル。1日乗り放題である。

その日はこのカードを使い、無事帰船した。

翌日、再びバスに乗ろうとして、読み取り機にタッチしたが、エラー。

どうやら「1日」は24時間という意味ではなく、その日の24時までということらしい。

立派なICカードなのでもう1日分をチャージできるはずと、コンビニに入ったが、なんとチャージできる店は限られたコンビニだけだという。

特定企業の寡占を嫌うアメリカらしいシステムなのかもしれないが、観光客にとってはとても迷惑である。

◾️ピースボートのオプショナルツアー

先にハワイでの移動手段に「オプショナルツアー」があると書いた。今回のハワイでは一番安い「港 ~ワイキキの往復送迎バス」が一人14,000円である。

バスなら一人6ドル(840円)なので、約17倍の料金を払うことになる。いかに英語やデジタルツールが苦手な高齢者へのサービスだとは言え、とんでもなく高額だと言える。

◾️船内のイベント

長い船旅。いかに海が好きでも105日間、朝から晩まで海を眺めているわけにはいかない。人間は刺激が必要なのだ。

その点、ピースボートは色々と工夫している。

ハワイへ着く直前は屋外デッキでの巨大スクリーンでの映画会。今回はトップガンマーベリックだった。比較的新しい作品で、ちょうど私が見逃した作品だったこともあり、大満足!。しかも映画館と違い食べ物も飲み物も持ち込み放題。私達は気がつけば赤ワインのボトルを空にしていた。

その他、月見、夏祭りなど企画がされていた。

日常的な企画も多い。私が一番期待していたのが「水彩画教室」。過去の事例を調べると毎回、私が知っている有名な水彩画の達人が講師として乗船しているようだった。

今回は「葦ペン画教室」。材料は葦だが、いわゆる「ペン画」。参加しようかとも考えたが、勝手な水彩画を描くのも迷惑になると思い結局辞退した。

人気の教室は初心者向けダンス教室。私も妻の勧めで生まれて初めてのダンスに挑戦している。

◾️自主企画とピースボートの趣旨

先に述べたイベントは言わば講師によるカルチャセンター。もう一つ乗船者が主催する、同好会、サークルがある。まだ始まったばかりであるが、「ハワイで美味しいもの食べよう!」とか「一緒にワイン飲みましょう!」などという企画があり、私も妻も参加し、それなりに楽しい時間を過ごすことができた。

この自主企画は、「旅による交流が平和をつくる」というピースボートの運営方針から発生するもので、なるほどと頷ける企画も多い。何をいつどこでという情報は毎日発行される船内新聞で確認できる。

一方で、何かというとすぐ「隣の人と自己紹介してください」と司会者が仕切ったり、レストランで見知らぬ人と一緒に座らせたりすることに抵抗を感じる人もいるかもしれない。

◾️コロナ発生!

ハワイに到着する前に船内でコロナが発生したらしい。感染者は部屋に隔離され、手洗い、消毒、マスク着用を強く推奨するアナウンスがしきりに流れている。そういえば部屋を消毒する衣を着たスタッフの姿を見かけた。

乗客の中には、見知らぬ人同士が密集するレストランを避け、ルームサービスを利用する人が増えている。

船内の水を信用せず、部屋でペットボトルの水だけを飲んでいる人もいるようだ。

ハワイを出航し丸一日が過ぎたころ、船長より船内アナウンスがあり、医療的な緊急事態があり、コースを変更するとのこと。

一体何があったのかさっぱりわからない。コロナ対策の医療品搬入ためか?あるいは重症者が出たのか?

行き先はハワイ島だった。つまり航路は戻ったことになる。

そしてまさに今、私達が船室のバルコニーから見ているその下で、担架で患者が救急車で運ばれていった。

◾️メキシコで見るべき風景は?

さて次の寄港地はメキシコである。ピースボートのオプショナルツアーは先に述べたように、とんでもなく高価なので紹介しない。

勝手に下船し、飛行機に乗って絵にしたい街にゆき、次の寄港地はで合流する。もちろんその手配は全て自分でしなければならない。

だが、インターネットとスマホがあれば、今の世の中、旅行会社などというものは基本的に不要なのだと思っている。あなたもぜひ自分旅行にチャレンジしてほしい。

さて、船の次なる寄港地はメキシコの港町マンサニージョである。インターネットで調べたところさしたる見所はなさそう。地球の歩き方にも港町として表示があるだけで、観光的な記述はない。

そこで、マンサニージョで下船し、メキシコシティに向かうことにした。下船時刻午前中の予定だが、港から近くの空港まで車で1時間以上かかること、入国手続きの時間ロスなど不確定要素を考慮して、19時頃発、メキシコシティには20時過ぎに到着する航空機を予約した。

私の考えた、スケジュールは以下の通りだ。

初日は夜ホテル着なので、行動は翌早朝から。まずUberを使い、世界遺産であるテオティワカンに向かう。車で片道1時間かかるらしい。→1番出入口→ケツアル→太陽→月(登る)→ジャガー宮殿、ケツアルパパロトル宮殿→3番出入口から再びUberで市内に戻る。なんとかここまでを午前中に周りたいと考えている。

午後からは、有名なメキシコシティ歴史地区へ。具体的なコースはソカロ周辺→ マデラ通り→べジャスアルテス宮殿だ。

本当は現地で腰を下ろして、じっくりスケッチブックを広げたいところだが、過密スケジュールなので、最悪水彩画にできる構図を探し出し、カメラに納めて帰るつもりである。

私は建築家でもあるので有名なルイス・バラガンの作品も視察したい。調べると彼の作品ばかりを巡る旅行会社のツアーもあるようだが、時間的に合わない。だがバラガン邸、ヒラルディ邸だけは、予約すれば個人的に見られるとのこと。日本にいる間に予約をしようと思ったが、予約開始はちょうどハワイを出航するころ。次回ネットに繋いだときに予約しようと思っている。

住宅2件を見学し終わるとちょうど午後5時になる。地下鉄で再び市内に戻って食事、宿泊というコースである。

後はメキシコマンサニージョ到着を待つばかりだ。

◾️航路予定変更!?

突然船長からの緊急アナウンスが流れる。マンサニージョの寄港が2日遅れるという。

105日の長い航海、2日のずれなど大した問題ではない…とゆったり構えていられる立場ではない。何しろ、下船してからの飛行機やホテルの予約はすでに完了している。

2日のずれを修正しなければならない。それでも当初は比較的楽観していた。インターネットさえ使えればなんとかなると考えていたからだ。

ところが、変更処理をするため、インターネット利用券を購入しようとすると、船内売店に「一時的に売り切れ」の表示。どうやら衛星通信の契約データ量をピースボートのオプショナルツアー調整に使うため、一般客のインターネットを制限したようだ。

変更オプショナルツアーが発表された途端、制限は解除され、再びネット使用券が売り出された。だが代理店の対応システムが不備だったこともあり、結果的に時遅しだった。

予約した航空券は全て紙屑となってしまった。幸い予約したホテルは全て無料キャンセルできたことがせめてもの救いだった。詳細は省くが、今回の出来事で学んだ船旅での教訓は以下の通り。皆さんも参考にして欲しい。

①予約は全てオンライン上で変更できるシステムであることを確認する。
例えばブッキングコムの宿泊予約は問題なし。定められた日までの、日時変更、キャンセルは全て自動、オンラインで決済可能だ。
ところが同じブッキングコムでも、航空券予約はやめた方がいい。宿泊と違って、オンライン上に「変更」の項目が存在しない。どうやら変更はヘルプデスクに平常営業時間内に電話で申し入れて欲しいとのことだ。

船内では電話は通じない。電話先の営業時間と船内時差の考慮、英語での変更対応など敷居がとても高い。

しかもネット自体制限されていたので交渉に許された時間自体もほとんどなかった。並行して変更依頼メールを送ったが、「48時間以内」にメールで返答するとの自動メールが機械的に返信されるだけ。時間切れを待つしかないというわけだ。

なお、航空会社のホームページにアクセスして、予約番号を伝え、直接変更しようとしたが、代理店(ブッキングコム)の予約は受け付けられないと拒否されてしまった。

つまり、航空機はブッキングコムなどの代理店ではなく、航空会社のホームページから直接予約すべきだ。
それならばいつでも、どこからでも、ほんの数分インターネットにつながれば、誰ども即時に変更できる。皆さんも気をつけて。

②予約チケットのタイプを慎重に選ぶ
ホテル、航空券の区別に関わらず、一般に「予約日時限定、変更不可」が一番安い。確実に利用できるならこれを選ぶべきだろう。

私が今回選んだ航空券は、万一を考えての「フレキシブルチケット」だった。
これは出発の24時間以内なら日時変更は可能だがキャンセルはできない。先の変更不可チケットに比べると、2割ほど高かったが、船旅であることを考えればやむをえないと判断した。

最後は日程変更もキャンセル可能なチケット。今回はこれを選んでおけば、問題なかったのだろうが、値段は「フレキシブルチケット」のさらに2倍ほどしたと思う。キャンセル確率とのコストパフォーマンスをどう考えるか、悩ましい問題ではある。

さて先に述べたピースボート主催のオーバーランドツアーはどうなったか?こちらは、事前に莫大な予約金を受け取っているだけに、その調整に苦労したことは想像に難くない。

船内では知り合った知人に聞くと、日程が短縮され、内容が大幅に変わってしまったにも関わらず、返金は数%だけだという。彼は「ピースボートには二度と乗らない」と息巻いていた。

◾️メキシコ、マンサニージョに到着

乗船してからトラブル続きの旅も、やっとアメリカ大陸に到達した。メキシコシティーからグアテマラシティーへの旅は夢と消えたので、とりあえずこの港町を歩くことにした。

観光的には何もないとの情報だったが、船上からは、ご覧のように丘の上までカラフルな外壁の建物が続く、面白い風景が見られる。

気温は34度。湿度も高く、快適とは言い難い。スケッチブックを持って街に出かけたが、日陰を選び、帽子をかぶっていてもすぐに汗まみれだ。スケッチすることは諦め、あとで水彩画として仕上げられる構図をカメラに収めることにした。

絵になる町の風景はそれなりにある。屋根はスパニッシュ瓦、レンガにモルタル、ペンキ塗りの外壁。路地は基本的に地元産の切石を敷き詰めている。

ドアや窓は粗末ではあるが、古い建物にはアイアンワークの模様が施されている。中にはスペイン風イスラミックアーチを用いたものもある。日本の既成品を集めた建売住宅ばかりが並ぶ町に比べればよほど魅力的だ。

町は小さく、半日も歩けば大抵の雰囲気は掴めてしまう。船の乗客の中には暑さに負けて、昼食後、早々に船に退散した人もいたようだ。

食事、買い物情報を少し付け加えておく。お金はメキシコペソ。1ペソは10円弱。スーパーマーケットや露天商の値段を見る限り、物価は日本とあまり変わらない。

だが、店のトイレなどを覗くと、かなり綺麗なレストランを選んでも衛生状態は悪い。下水整備状況が悪そうだ。正直、この町でゆっくり食事をしようという気にはならず、シュリンプタコスとビールだけで引き上げた。

言葉はスペイン語。英語は99%通じない。そこで翻訳アプリを試してみた。ソフトの能力としてはそれなりに使える。が、この田舎町ではいまだに3Gしか使えない。ネットを介してのアプリは反応が遅く極めて使いにくかった。
幸い、妻がオフラインの翻訳アプリをインストールしていたので、大助かりだった。

商品の値札は💲表示。アメリカドルかと思ったらこれがペソだった。35💲のタコスは「4,000円!?」ではなく350円だった。

メキシコペソは銀行(バンコと発音する)のATMなどで入手できる。だが観光客の大半はアメリカドルで支払っている。お釣りはセントではなく、メキシコペソだ。

余ったペソはどうするか?雑貨を買うくらいしか思いつかなかった私だが、妻の提案を実行することにした。帰船直前に入ったバルの支払いに、まず小銭ペソを使い、残金をクレジットカードで支払うと交渉するのだ。

そこで、まず支払いカウンターの上に、ポケットにあるペソの有金を並べる。次にクレジットカードを手に持ち、「リメイン、OK?」と身振りもまぜながら確認するのだ。

幸い、レジ担当の女性は賢く、すぐに理解、無事支払いと、小銭の処理を終えることができた。皆さんも試してみると良いだろう。

マンサニージョでの戦果はもう一つあった。私が旅行前に買ったSIMがSMSに対応していなかったため、期待していたUberが使えなかったことは、すでに述べたとおりである。空港であれば、替わりのSIMは手に入るが港町では無理だろうと諦めていた。ところが大型の電気機器店舗で、中米、アメリカまでをカバーするSIMが購入できたのだ。

iPhoneに挿入、店の人に設定をしてもらい、作動することを確認した。これで、中米のスペイン語に悩まされずにUberが使えると、一安心して、帰船した。

◾️グアテマラの古都アンティグアを歩く

メキシコ 〜グアテマラの旅は本来は先に述べたようにメキシコシティーを経由してグアテマラシティー、アンティグアで各一泊した上で港町プエルトケツアルで船と合流する予定だった。

だが旅程の変更のため、結局プエルトケツアルから世界遺産で有名なアンティグアへ日帰りで行くことにした。

移動は当初は早速Uberを使うつもりだった。だがプエルトケツアルはタクシーさえほとんどいない町でUberも結局グアテマラシティーから来るのだという。つまり片道1.5 〜2時間のお迎え料金を払うことになり、とても高くつく。

どうやら今回はピースボートのお迎えバスの方が安いらしい。片道2時間トイレ休憩はないものの、バスにトイレが付いているので、心配はない。

アンティグアは高地にあるため、マンサニージョに比べれば、涼しい。絵を描くにも快適だ。

だが、さすが世界遺産として有名な町。観光客の数が半端ではない。しかもこの日は〇〇記念日の祭日。いつにも増して人が多いとか。

さらに、それに比例して車が多い。道に車が隙間なく駐車し、排気ガスも凄まじい。

密かに水彩画にしようと狙っていた時計塔を含む構図もご覧の通り。人と車が美しい町並みを覆い尽くしている。

いずれ「世界遺産」を取り消されるのではと心配してしまったほどである。

◾️またしてもSIMに泣く

アンティグアはピースボートのバスを使用したため、マンサニージョで買ったUber用のSIMを一旦抜き、持参したSIMに差し替えて使っていた。

そして帰船し、次回のパナマでのUber使用のため、再びマンサニージョで買ったSIMに差し替えた。

ところが、どういうわけか、この再び戻したこのSIMでのインターネット通信が出来ない。Uberはおろか、グーグルマップさえも見られない。

SIMの解説はスペイン語で分からず、ネットでトラブル検索しようにも、おそらくまた高価なWi-Fiチケットが何枚も必要となるに違いない。

私の知識で、できる限りの設定を試したが、二度とネットワークに繋がることはなかった。

◾️パナマシティを歩く

今回の旅、3カ所目の停泊地パナマを歩くにあたり、心配事が二つあった。一つは手持ちの現金(米ドル)がほとんどないこと。これはマンサニージョもアンティグアも思ったよりクレジットカードが使えず、ドル現金払いがかさんだためだ。

もう一つは現地の治安と移動手段である。ピースボートの寄港地情報によれば現地の治安は良くないという。タクシー料金も基本的にはスペイン語による運転手との交渉しだいらしい。手持ちのドルは13ドルしか無い。交渉が上手くいかなければ、お手上げである。

厄介事を避けるためのピースボートのオプショナルツアー「港 〜旧市街送迎バス」は例によって高価、二人で10000円かかる。しかも今回はそれもすでに完売済みだ。

さて、どうするか。せっかく来たのだから、世界遺産に認定されている、パナマの旧市街だけは訪れたい。散々悩んだ末、以下の方針を立てた。

まず港でATMを探す。現金でバス用交通カードを買い、旧市街へ行く。交通カードが買えなければ、仕方がないので運転手交渉必須のタクシーを利用する。

実は停泊地バルボア港の税関、ターミナルは工事中で、ピースボートの一行はシャトルバスで港近くのショッピングセンターで下ろされる。

降りた瞬間、無数のタクシー運転手、旅行会社のセールスマンが私たちに押し寄せてくる。彼らを掻き分け、まずはATMを探すが…無い!初めから暗礁に乗り上げてしまった。

困り果てたところで、妻が一人の人間を指差した。「あの人、ピースボートのスペイン語担当の人!」と、迷うことなく近づき、「ATMの場所知りませんか?」と尋ねたのだ。

彼は日本語は出来ないが、英語はできる。彼曰く「ここにATMはありません」

「…!?」困り果てた私たちに彼は救いの手を差し伸べてくれた。彼がスペイン語で運転手と交渉し、10ドルで旧市街まで行くのだという。

同乗するか?と提案されたので、もちろんOK。10ドルを折半し、なんと2人で5ドルで旧市街まで、安全に行くことができたのだ。

さて世界遺産「パナマ旧市街」について述べよう。観光パンフレットなどではいくつかの教会、あるいは旧スペイン時代の廃墟が紹介されるが、建物単体としては、教会も、邸宅も特筆すべきデザインのものはない。

パナマの首都パナマシティーが超近代的な街として発展を遂げる中で(上図)、この一画だけが歴史的な街並みを保存していることが選定の理由のようだ。

それでも町は複数の教会と広場を中心にコンパクトにまとまり、屋根、壁、開口部がスペイン風の様式に統一された町並みは美しい。一見の価値ありだ。

さて、旧市街の銀行で無事に現金を引き出すことができ、一安心したものの、帰りのバスに乗るための交通カードの売り場がどこにあるか分からない。

同時通訳アプリを使い、その銀行のガードマンに聞くと、バスは路線が複雑なようで、観光客には向かないという。やはりUberが一番いいと勧められた。

少しでも安心できるドライバーを頼むには大きな、レストランかホテルで呼んでもらうしかないかと腹を括った。

こうして品格的に散策を開始する。お目当ての建物、広場を一通り回り、絵になりそうな風景を写真に納めた(上図)。

そろそろ帰ろうと、タクシーを呼んでもらうレストランを探していた時、一台の車の中から声をかけられた。なんとここへくるときに乗せてもらったタクシーの運転手だった。

無数の観光客の中から、まさに帰り時間に、私たちを見つけてくれるなんて、こんな偶然があるだろうか?神様に感謝しつつ、彼の車で無事帰船した。

◾️海の風景

今回の旅は東回り。日本を出てから、ハワイまで10日ほど。ハワイを出てからメキシコマンサニージョまでやはり十日ほどかかる。

この間ほとんど海ばかりを見ることになる。私の住む神戸は港町なので、海そのものは「見慣れている」…つもりだった。

だが船から見る海の風景は、いつもの風景とは違い、新鮮だった。いくつかを紹介しよう。

蒲鉾型の雲
雲の下部を水平に切り取った雲。海上の湿気を含んだ水蒸気は一定の高度で露点温度に達し雲となる。森もビルもない海上では水平線の向こうまでこの雲が遠近法に従って続いてゆく。地上ではなかなか見られないこの光景。海上では日常茶飯事である。

雲と虹
地上では運が良ければ雨上がりに見られる虹。視界の良い海上では自分が雨に降られなくとも結構頻繁に虹が見られる。はるか先の黒雲の下は大雨に違いない。その雲が通り過ぎた後にはご覧のような虹ができる。運が良ければ視界いっぱいに虹が広がることもある!

紺碧の海
太平洋ど真ん中。「紺碧の海」という言葉が腑に落ちる。神戸の海も十分に美しく青かった。だが「紺碧の」という表現は私自身使ったことがない。
絵具で言えばコバルトブルーよりもさらに青く、深い色。かといってプルシャンブルーほど暗くない。
水は透明に見えるが、実は少し青みを帯びる。青い波長の光を水中で反射するからだ。この青は海が深いほど、不純物がないほど際立つに違いない。
そして水面ではうねる波の角度によって、いや波の強弱によって、ある時は強く、あるいは弱く空の青を映して私たちの目に届く。
この複雑で美しい青は海原でこそ見られる色なのだ。

海の生命
海は命の源だと言う。最初の地球の生物が生まれたのは海だ。そして今も様々な生き物が海に棲息している。
しかし、船室、言葉を替えれば絶海の孤島から見る海には生物の痕跡など見られない。来る日も来る日も、水平線の向こうまでひたすら空と海が広がるだけだ。
そんなある日、船室のバルコニーから見る風景を何かが横切った。カモメだ。「漂流者がカモメを見て、陸が近いことを知る…」まさに小説で読んだ希望の瞬間を擬似体験したのだった。
当然だが、陸に近づくほど彼らは群れをなす。船と並翔することを楽しんでいるようにも見える。
写真は撮れなかったが,イルカ(?)らしき大型の生き物が水面から飛び跳ねている姿も観察できた。水族館のイルカショーよりもはるかに感動的だったことは言うまでもないだろう。

朝日と夕陽
地平に太陽がかかる時、人は神々しいものを感じるに違いない。その証拠に富士山から見る日の出を見ようとする人々は、ほとんど年中絶えることがない。
私など、かつては徹夜明けのビルの谷間から見る朝日にでさえ感動を覚えたほどだ。
さて、山もビルもない海の朝日と夕陽。さぞ美しい写真が撮れると思うかもしれない。現実に毎朝デッキ出て高級カメラを三脚に据える人々がいた。
だがその手の完璧な朝日と夕陽の写真はプロの写真家にお任せしよう。
私の選ぶ夕陽見てほしい。先に述べた「蒲鉾型の雲」と水平線の隙間に太陽が落ちてゆく瞬間だ。ちなみに太陽の方角に向かっている白い波は船の航跡である。つまり日本からアメリカ大陸に向かって真東に進んでいる証明でもある。

そして朝日(図 )。
船内放送ではまもなく天気は荒れると言う。デッキの風も台風のそれに近い。この日目が覚めると窓の外に微かな明かりが見えた。夜明けが近いと感じ、最上階のデッキの先端に出る。
先客は朝日撮影の常連さんたち。だが彼らはカメラをしまい始めた。どうやら天候の悪い今日は「だめ」な日らしい。
私にはそうは思えない。陸上よりもはるかに赤く大きな太陽は厚く、黒い雲の隙間からその面影を覗かせ、取り囲む雲の表面を赤く染め上げる。
雲の形は炎にも似て、海上はまるで火事の如し。
こんなドラマチックな朝日は見たことがない。荒々しい風景に神々しさは感じない。だが自然の神秘であることは間違いないだろう。

◾️海上で水彩画を描く

この記事ではもっぱら、世界一周旅のノウハウについて書いている。ピースボートの主催の船内イベントも乗客の自主企画のイベントもそれなりに参加している。

だが本来の目的は水彩画を描くことで、船内生活に合わせた、効果的な制作スケジュールを色々と考えた。

理想は先に述べたように、水彩画教室で著名な水彩画家とともに絵を描ければと思っていたのだが、残念ながら今回は私の意図に合わない企画だったため断念。

部屋で一人水彩画制作に励むこととなった。

とは言っても、ハワイまではずっと海の上、スケッチする対象もない。そこで以前から仕上げようと思っていた、岐阜県白川郷の風景を描くことにした。

えっ、「海の上で白川郷?」と思うかもしれない。だが私は描こうと思った風景の印象は何年経っても不思議と忘れない。描き始めた瞬間に、その時の光景が蘇るのだ。この作品の詳細は「白川郷の畦道を描く→」 を読んでほしい。

◾️パナマ運河を通過する

誰もが知るパナマ運河。その最大の特徴は運河の水面にレベル差があること。運河に入った船は、ロックと呼ばれるレベル調整ゾーンに入り、注水、排水を繰り返し、水面レベルを次の水面と同じにする。

するとロックのゾーン扉が開き、船は次の水面レベルで航行することになるというわけだ。そして全てのロックを通り抜けるには約10時間かかるらしい。

一つ目のロックの扉が閉じられる記念的イベントを目撃し終え、昼食をとっていた時、突然レストランの照明が消えた。

すぐに非常照明がつき食事そのものは無事終えたが、どうやら動力系が故障したらしい。

やがて、エレベーターは動かず、空調も効かず、水も出なくなり、トイレも使えなくなった。

当然船内は大パニックに。レセプションカウンターには乗客が一斉に押し寄せ、説明を求めたが、何が原因で、いつ正常にもどるのか明快な答えはない。

私自身は阪神大震災の経験があったので、それなりに覚悟を決めていた。

あの時は水を求めて、外を歩き回ったが、今回は赤道直下に近いパナマ運河の上。空気は蒸し暑く、船の横をワニが泳いでいる(下図)。

水筒の水を少しずつ飲み、熱を入れないよう窓を閉じ、ベッドに横になる。今回はじっとしているのが一番だと判断した。

結局、ピースボートから最後まで納得のゆく説明はなかった。何もかも使えない、一時のパニックは治ったものの、パナマ運河航海中、ずっとトイレやシャワー、氷の供給、水の節水制限など、「快適な船の旅」ならぬ「監獄生活」を強いられることになった。

数日後、ピースボートから乗客全員にお詫びに5,000円を返金するとの報告があった。

◾️渡航先初作品完成!

作品タイトルは「大樹の秘密?」。
常夏の島ハワイでは蔦状の大木が密生している。大樹の下は涼しげな緑陰となり、神秘ささえ漂う。大樹の魅力に惹かれる婦人が一人、その根元に佇む。
そんな情景を描いた作品だ。

作品の技術的気な解説はいずれ別な記事で解説するのでお楽しみに。それにしても最初の旅の風景を水彩にするのに1ヶ月もかかるとは。船に乗れば、いくらでも絵を描く時間があると思ったのは大きな間違い。

特に社交ダンスを始めたのは良いが、ブルース、ジルバ、ワルツと、立て続けに新メニューが出てくる。毎日の課題を復習するだけで、相当の時間を取られる。
また通常私は午前中に制作するのが一番はかどるのだが、その時間帯はルームの清掃やシーツ交換にあたるため、部屋で作業することができない。食事もレストランに行くと一応フルコースが出てくるので、それなりに時間を取られる。

と言うわけで、言い訳ではあるが、今のところ制作状況は芳しくない。次回作はもう少し短い日数で仕上げたいものだ。

◾️ジャマイカに到着、すぐ出発?

今回のピースボートは過去最大の客船で寄港地も26港、過去最多らしい。もちろんより多くの土地を見られるのは嬉しいのだが、その分寄港地滞在時間が短いのだろうか。

基本的にほとんどの港が当日の朝入港、その日の夜出航だ。

特にこのジャマイカ、オーチョリオスには朝9時に着岸、上陸手続きを経て、10時過ぎに下船したのは良いが、帰船リミットはなんと13:00。移動時間も含めてわずか3時間しかないと言う超過密日程だ。当然遠出は不可能、港周辺を歩くと言うプランしかない。

そしてもっと充実した旅がしたい人には、例によってピースボート主催の約100万円のオーバーランドツアーに参加して、カナダで合流するというプランが用意されている。いたれりつくせりというわけだ。

もっともビーチリゾートが売り物の島なので、泳ぐ気のない私にはちょうど良かったのかもしれない。

地元のマーケットで新鮮な極甘の果物を食べ、妻が調べたおすすめエビ料理を食べたら、もう帰船時間だ。それなりに充実した3時間だったと言っておこう。

◾️マイアミ到着

待ちに待ったマイアミ!

といってもここを描きたいという、こだわりの風景があるわけでは無い。言いたいのはここが、久しぶりの英語圏だということ。
これまで回ったメキシコをはじめとする中米諸国はスペイン語圏である。だから言葉がさっぱりわからない。もちろんかつて本国スペインを旅した時も、それなりにコミュニケーションに苦労したが、公共の場では英語を話す人も結構いるし、街中の各種サインにも英語表記がある。だからスペイン語がわからなくても、それほど不自由は感じなかった。

だが中米ではほとんど「英語の気配」が無い。ことばの壁をつくづく感じていた。かなりフラストレーションが溜まっていたと言ってもいいだろう。

ところが、ここマイアミではタクシーの運転手にも、レストランの店員にも私の拙い英語がそれなりに通じる。メニューもパンフレットももちろん英語で理解可能だ。一気に開放的、旅の気分が高まったのは言うまでもない。

ただし人間はコミュニケーション能力が高まると、気が緩むらしい。気がつくと一杯2,000円もする瓶ビールを躊躇せず注文していた。皆さんもご注意を!

・アールデコ建築群

さて、マイアミの見どころを紹介しよう。当初は「ビーチ」しか無い町だと思っていた。ところが調べてみると、私のような絵と建築に興味のある者にとっては案外面白い町だった。順に説明しよう。

この建築様式について説明すると、それだけで長い記事を書かなければならなくなる。だが誤解を恐れず説明しておく。

外観には19世紀後半に流行ったネオルネサンス、ネオシック、ネオバロックといった古典的モチーフの装飾は使用していない。

かといって四角い箱型の建物にシンプルに窓をはめ込んだ無機質で退屈な現代建築でも無い。

20世紀初頭の近代的なコンクリート構造、鉄骨構造をベースに、大量生産を意識した優れたオリジナルデザインを施したエレメントで組み上げた建築とでも言おうか。ニューヨークのクライスラービルが代表的な建築として有名だ。

マイアミビーチの海沿いの通りにこの様式の建築でもある「アールデコ ウェルカムセンター」と言う展示施設がある。その資料によるとマイアミのアールデコ建築がなんと109棟もリストアップされている。

マイアミビーチにある主要なホテルやレストランもピックアップされている。泳ぐだけでなく、近くの建物もチェックしておいて損はないはずだ。

・壁画の町 ウィンウッド

建物の壁面を絵で飾る…特に珍しい行為では無い。だがマイアミのこの一帯は全ての建築の外壁、いや道路面さえもアートで埋め尽くされているといってもいい。

その建物が店舗ならばまだ納得できるが、オフィス、学校、駐車場、工場など観光客相手の商売と関係ない建物までもその対象になっている。

つまり描く方も描かれる建物の所有者の総意でこの街ができていると言うことだ。1時間ほど街中を歩いたが次から次へと現れるアートと建築とのコラボレーションに全く退屈することは無かった。アートと建築の好きな人にはおすすめの街である。

・リトルハバナ

観光案内にはキューバからの移民が作った町で、アメリカとは一味違う文化が感じられると書いてある。だが実際に行ってみると、平凡な住宅と観光客相手の店舗ばかりでそれほどみるべきものはないと感じた。

もっともこのマイアミではビーチ以外には流しのタクシーはいない。実はウインウッド、リトルハバナではほとんど正規の黄色いタクシーは見つからなかった。刻々と迫る帰線時刻に戻るタクシーを探すのに気を使い、町の良さを見逃したのかもしれないと断っておく。

リトルハバナで最大の収穫は昼間から、本場のカクテル「モヒート」を味わうことができたことだった。

◾️ニューヨーク到着!

愛用のアップルウォッチを見る。歩くこと3万歩、距離は20kmを越えた。この日ニューヨーク滞在数時間で記録した数字である。

なぜ世界の大都会、広大なニューヨクをこんなにものすごいスピードであちこち移動するのか?

最大の理由はピースボートの滞在スケジュールが短時間であったことだが、もう一つの理由はやはり都市の密度が濃いからだ。言い換えればあらゆる意味で見どころが多いのだ。

特に私のように建築をかじっている人間にはニューヨークは歴史的、デザイン的、技術的な魅力がこれでもかと言う具合に詰まった都市に見える。

もっともっと時間が欲しかった!

私の移動した順に従い、皆さんにもこの都市の魅力の一端をご紹介しよう。

これまで見てきたように、クルーズ船が着岸する港と中心街が遠い場合が多い。だから街まで行くのにバスやタクシーがあるかを心配しなければならないし、あってもその順番待ちで時間をロスするはめになりがちである。

・交通手段

その点ニューヨークは地下鉄網が発達している。港から地下鉄の駅まで歩いて15分ほど。帰船時間に間に合うタクシーを探す必要もない。実にありがたかった。

ハワイがそうだったように、最近はどの都市も交通系のICカードをプリペイドで購入して乗るパターンが多い。私もこのカードを駅で購入するつもりでいたが、よく見るとアップルpayが使えると表記されている。

私のiPhoneにはVISAとマスターカードそれぞれ登録してあるので試してみた。するとマスターカードの方が反応し、改札を通ることができた。(VISAカードでなぜ通れないかは不明)

残金や再チャージの手間を心配することなく地下鉄に乗れるこのシステム、旅行者にとっては実にありがたい。全世界の鉄道に広めてほしいものである。なお、アップルpayだけでなくGoogle payにも対応しているらしいので、アンドロイドスマホを使用の方もご心配なく。

・ニューヨークの地形

ニューヨークといえばハドソン川沿いの都市だと単純に思っていたが、地図をよく見るとこの川の中央が州境になっている。西側がニュー・ジャージー州、そして東側がニューヨーク州になっている。ニューヨークのシンボルでもある「自由の女神像」は実はニュー・ジャージー州にあるのだ。マンハッタンはハドソン川の東岸、ブルックリン橋をくぐった先にあるイースト川の西岸に挟まれた中洲のような地形にある。

今回の船着場はハドソン川の東側、紛れもなくニューヨークである。

そして私が取材する街は北側アッパー・マンハッタンから南のブルックリン橋まで、Googleマップで直線距離を測ると約17kmの範囲である。

・アッパー マンハッタンへ

このゾーンには有名なヤンキースタジアムがある。ピースボート船内の寄港地案内でも「野球好きの人は是非!」とお勧めしていたようだが、あいにくこの日は試合はなかったらしい。

私が最初に目指したのはコロンビア大学。ニューヨークと言う土地代の高い地域で広大な土地をしめている。(下写真参考)

伝統校だけあって校舎の大部分はクラシカルなデザインの建物が多い。私が目指したのは、そんな中で、ひときわ輝いて見える、ガラス張りの高層ビルだ。グーグルマップでは「コロンビア大学Tower1」と表示されている医療系の施設のようだ。

外観のデザインもユニークだ。フラットなガラスの外壁から階段室や(小部屋がユニットとして飛び出している。(上写真参照)

内部も見たかったが、交渉する時間もなかったので外観写真だけで満足することとし、次の施設に向かう。

以下この日回った施設と一言(印象)コメントだ。建築好きの人には物足りないに違いない。改めて、もっとじっくり巡ることをお勧めする。

・7 World Trade Center

ご存知米国同時多発テロで破壊されたビルの再建。全面美しいガラスで覆われている。

・56 レオナード・ストリート

有名な建築家ヘルツォーク&ド・ムーロンにより高層住宅。特にユニークな頂部の形態は豪華な邸宅の機能を反映したことによるとか。

・グッゲンハイム美術館

言わずとしれた、20世紀の巨匠フランク・ロイド・ライトの代表作。螺旋状の展示スペースの使い勝手を体感したかったが、この日はその部分が館内作業のため、立ち入り禁止。だが逆円錐型の吹き抜け空間とトップライトからの光の演出は60年以上昔のデザインであることを全く感じさせない。

・Tribeca Synagogue(トライベッカ シナゴーグ)

「シナゴーグ」とはユダヤ教信者の集会所のこと。50年ほど前の建物だが独特の曲線の外壁が異彩を放つ。ただメンテナンスが悪く、汚れがひどい。残念!

・Spring Street Salt Shed(スプリングストリートソルトシェッド)

用途は凍結防止剤の貯蔵庫。したがって窓は不要で本来なら単調な箱型の建物にになりがちだが、形態的な制限のないことを逆手に取ったためなのか、こんなユニークな形状に。

・グリニチ・ビレッジ Greenwich Village

超現代的な都市、ニューヨークにあって、19世紀の町並みを残す住宅街である。緑多い街路と洗練された伝統的デザインの建物が続く様は歩いていて心地よい。「アメリカ合衆国国家歴史登録財」(日本の「重要伝統的建造物群保存地区」のようなものか)に登録されている。

・ホイットニー美術館

パリのポンピドゥセンターを設計した世界的な建築家レンゾピアノによる作品。繊細なディテールとダイナミックな外観が目を惹く。今回は時間切れで内観は見られず。残念!

・ハイライン

ホイットニー美術館のすぐ横に最南端の上り口がある。廃線になった高架鉄道跡を空中公園にコンバージョンしている。線路に沿って単にビルの谷間を歩くだけの構築物ではない。様々な仕掛けが施され、道は緑と水に溢れ、ある時は足元の街を見下ろし、ある時は建物の中に貫入し、歩きながらニューヨークと言う街の生活を堪能できる。

・IAC本社ビル

その特徴をひと言でいえば、「建物外壁に垂直な部分が無い…」。そう「ビルバオのグッゲンハイム美術館」で有名な巨匠、フランクゲーリーの作品。正直なところ、オフィスビルにこの形態が正しいのか、体験してみたいところだが、やはり時間がなくて今回は外観だけ。残念。

・シーグラムビル

フランク・ロイド・ライトと並ぶ巨匠、ミース・ファンデル・ローエの作品。もっともグッゲンハイム美術館と比べると外観は一見地味、用途も事務所ビルと言うこともあり、一般人にはそれほど有名ではない。実際、タクシーの運転手にビル名を告げても「知らない」と言われ、戸惑ってしまった。

内部はやはり残念ながら見る時間なし。

外観の鉄のディテールはさすがと、唸らせるものがある。安易にアルミサッシを使うことに慣れた私には大いに刺激になった。

・Lever House(リーバ・ハウス)

外観の第一印象は新宿によくある普通のビル。だが実は現代の高層ビルの教科書となった60年前のオフィスビル。柱のない使いやすく、自由度の高い大空間、コンクリート壁を取払い、明るいガラスの壁で建物を造る。この建物もまた「アメリカ合衆国国家歴史登録財」に登録されている。

・アップル フィフス・アベニュー店

主役は建築ではない。アップル製品の良さを主張するために建築は「消えなさい」…そんな命題を解決した建築家の答えがここにある。

・ニューヨーク近代美術館(MoMA)

主役は建築ではない。「美術館品の鑑賞を邪魔する建築要素は消しなさい」そんな命題を解決した建築家の答えがここにある。

・ニューヨークの夜景

私の長年の経験によれば、「夜景が美しい街」の条件は少なくとも3つある。一つは照明の色がバラエティに富むこと。逆に言うと、蛍光灯一色で照らされるオフィス街の夜景は美しくない。

もう一つは光を反射する水面があること。光の数は倍になり、さざなみにより光はさらに表情豊かになるからだ。

最後の一つはその土地が起伏に富むこと。点在する光が平面だけでなく立体的に輝くことで、目に映る夜景の構図は完璧になる。

「夜景」で有名な香港はもちろん、私の住む神戸もそれら全ての条件を満足している。

ではニューヨークはどうか?

1番目の「照明の種類」は全く問題なし。オフィスも学校も商業施設も、包含する街は蛍光灯一色ではあり得ない。カラフルな照明に溢れている。

2番目の「水面」はどうか?

香港や神戸のような海はないが、巨大なクルーズ船が航行できるハドソン川がある。したがってこれも問題なし。

最後の「起伏ある地形」…実はニューヨークは平坦であり、条件に当てはまらない。ではニューヨークの夜景は美しくないかと言うと、結論を言えばとても美しい。

ニューヨークに別れを告げるピースボートの船室から見た夜景ははっとする美しさだったと言っていい。(上写真参照)

秘密はこの日歩き回った超超高層のビル群だ。ある意味、近距離でそびえる高層ビル群は、最後の条件「地形の起伏」よりもはるかに視界いっぱいに灯りを配置してくれる。現代建築が産んだ「夜景の美」といっても良いのではないだろうか?

ここまで書いてはっと気がついた。この日歩いた距離は20km、歩数は3万歩を越えていることは先に述べた。普段の4〜5倍の距離を歩いたことになる。通常のスケッチ旅なら、2〜3枚はゆうにスケッチしたはずの距離である。

だが振り返って考えると、スケッチしよう、あるいはカメラを構えて、水彩画にふさわしい風景だと感じた瞬間は一度もなかった。

現代建築と街は絵にならないのか?いやそんなことはないはず…など色々と考えさせられる旅でもあった。

◾️紅葉のモントリオールへ

マイアミまでは船外活動は全て半袖、女性はノースリーブの人も多かった。だが船が北上するにつれ、気温は一気に下がる。

ニューヨークでは長袖シャツにウィンドブレーカーを羽織った。そしてさらに北上、ピースボートのパンフレットでは10月中旬のカナダは俗に「メープル街道」と呼ばれるように、最高の「紅葉の季節」だと言う。その代わり例年気温は一桁まで下がるらしい。寒さ対策を忘れずにとのことだった。

さて下船の日、周りを見るとダウンジャケットの乗客が多い。私はと言うと、残念ながらダウンのコートしか持ってきておらず、流石にそれは着すぎだろうと、ニューヨークと同じ長袖、ウィンドブレーカーで出かけることにした。

だが皆の予想は見事に外れた。暖かい…。ダウンジャケットどころか、地元の人の大半はなんとまだ半袖だ。

ありがたいと感謝したいところだが、暖かいのはメープルにとっても同じ。公園の樹々に紅葉はほとんど見られず、青々とした葉が茂っていた。

さて私が見て、感じたモントリオールの街を記しておこう。

・言語

カナダの公用語は英語とフランス語両方である。だがここモントリオールと次に訪れるケベックシティはかつてフランスが統治していただけあって、主要言語はフランス語である。当然街の各種表示、レストランのメニューもフランス語である。だが驚くことに、街の人の大半は英語、フランス語両方を極めてシームレスに使いこなす。

レストランの店員が妻のフランス語の質問には当然フランス語で答える。だが同じ店員が、私が横から英語で口を挟むとすぐさま英語で応答してくれる。英会話でさえ満足にできない私にとって、極めて新鮮な体験であった。

モントリオールの見どころは紅葉を除けば、旧市街の町並みと充実した地下街、巨大なショッピングセンター、イートンセンターだ。以下に私の感想を記しておこう。

・旧市街

ほとんどの建物は「石積」である。私も建築設計者として外壁に石を使ったことは多々あるが、全て「石張り」である。日本には良質な石材が少なく、コストが高いことと、積層する工法は地震が多い地域には向かないことがその主な理由だが、構造体としての石の存在感を見せつけられると、ひたすら石を薄く切る技術を磨く日本に寂しさを感じざるを得ない。

外観はルネサンス風で窓や入り口、屋根は様式的な装飾で飾られている。観光客が多いためか、メンテナンスも悪くない。ただ建物用途はほとんどが観光客向けの商業施設にコンバージョンされているようだ。そのせいか、建物の個性は感じられない。道幅に対して建物が高く、壁と窓が単調に続く構図は案外絵にしにくいと感じた。

・モントリオール大聖堂

旧市街に建つ一番有名な建物と言っていいだろう。歴史ある壮大な外観を絵にしようと、周辺を歩き回ったが、あいにく外壁改修中。かなりの部分に足場がかかっていて絵にならない。想像で描くわけにもいかないので、今回は聖堂主役の水彩作品は諦めることにした。

実はこの聖堂は内部のインテリアも素晴らしい。天井の星型ヴォールト、祭壇周りの照明を含めたデザインは見事である。

しかも私が訪れた時は、巨大なパイプオルガンの生演奏中だった。目に映る華麗な光景に荘厳な旋律が重なって生まれる、幻想的な空間にしばし時を忘れるほどだった。

・イートンセンター

かつて商業施設を設計する者にとってこのショッピングセンターは教科書となる存在だった。

だが、地下鉄、地下街と直結する階とその上階は賑わいを見せているが、アクセスの悪いさらに上の階はほとんどの店舗が閉店している。商業施設の寿命は短い?と改めて考えさせられた。

・セントローレンス川

モントリオールも悪くない。だがもっと満足した風景がある、それはセントローレンス川の河岸風景だ。今回大西洋からこの川を南下してカナダに入った。

両岸の豊かな緑に教会や民家が点在する風景は見ていて飽きない。船の適度な揺れは心地よい眠気を誘い、目に映る光景は夢うつつの世界でより美しく再現される。

そして夕暮れ。夕陽が大気にオレンジのグラデーションを作り出し、セントローレンス川の藍色と混じり合う…自然が描いた水彩画のようだ!(上写真参考)

今回の旅1番の幸せなひと時だったと言っておこう。

◾️下船時のトラブル

世界中、どの国も大抵観光地と空港、鉄道の駅とのアクセスはよく考えられている。地下鉄やバス専用の路線があり、短時間で中心街と駅が直結しているところが多い。ところが港と中心部の交通機関はあまり考えられていない都市が多い。市内へのアクセスがとても不便なのだ。

だから鉄道や航空機よりもはるかに大量の乗客を吐き出す、クルーズ港では交通上の混乱が発生する可能性が極めて高い。

さらにピースボートの運営も乗客のことを考えているとは思えず、毎回トラブルが発生する。いくつか例を紹介するので、ピースボートの旅を考えている人は参考にしてほしい。ピースボート事務局も反省してほしいと思う。

・下船時の出口管理

ピースボートの決まった方針は方針はなさそうで、場当たり的と感ずる。最初は下船時刻を船の階毎に厳密に指定していた。(グレードの比較的高い)上階から先、下階は後だ。幸い私は最初のグループだった。

だが実は最上級のスイートルームは下階の端部にある。だから必ずしも合理的、平等ではない。

下船時間が遅くなった乗客からクレームがあったせいかもしれない。次のある港では階別指定が甘くなった。すると、前回最後に回された下階の客層が一刻も早く外出しようと朝早くから出口前に並ぶ。

指定された時間に出ようとすると、それ以外の客がすでに並んでいて、入り口前が過密状態となり、互いに罵倒し始める始末だ。

この時は急遽出口前でIDカードを確認し、階の該当客から出すような対応をとっていた。

ある時は、階指定を一切やめ並んだ順に出られるようにした。すると船内で1800人の乗客が外出許可予定時の2時間前から並ぶようになった。すると体の弱い老人が船室で待機、後回しということになる。船の出口前に1600人が並べるスペースなどあるはずもなく、上の階から入り口のある階へと客は船の廊下や階段を1時間以上かけてカタツムリのごとくノロノロと歩かされる。

こうして船内から船外へ出てからがまた大変だ。先に述べたように、港によっては、中心部までかなりの距離がある。

通常はシャトルバスかタクシーである。ピースボート主催のシャトルバスツアーを申し込んだ人以外はこれらを利用する。

通常はシャトルバスは複数台あるので、船内から出てくる乗客を順に収容できる。だがある時は、そのバスが一台しか段取りできていないと言う。船内で散々並び、さらに船外でシャトルバスに並ぶ…この時、不幸な人は船内、船外で3合計時間以上立って並んだのではないだろうか?旅するために来たのか、並ぶために来たのか?いずれにしろ、問題は多い。

タクシーも空港や鉄道と違い、日常的に港には来ない。しかもやっと捕まえたタクシーも先進国以外では現金しか使えない場合が多い。現地の通貨を事前に準備していない場合は、万事休すである。

Uberを使い自分で呼ぶか偶然の女神に頼るしかないと言うわけだ。

(なおピースボートの外国語教室の講師が乗客よりも先に船外に出ようとして、ピースボートのスタッフに叱られていたことも付け加えておこう。)

公平を期すなら、毎回先に降りるグループの順番を変えれば済む。あるいは飛行機のように料金により徹底的にプライオリティをつけ、下船順について客に納得させれば良い。

私の要望は少なくとも下船時に「延々と並ばせる」ことだけはやめてほしい。そんなことは運営でなんとでもなると思う。

◾️世界遺産ケベックシティ

ケベックシティはセントローレンス川沿いにある。そしてその旧市街全体が世界遺産である。建築物単体が世界遺産になることもあるが、私のように人の生活をテーマに水彩画を描くには、町全体が文化遺産となっている方が、しっくりくる。

建物の形が特に秀でていなくとも、全体の雰囲気が気に入った構図になればいいのだ。

古い町並みがあり、大河があり、さらに旧市街は高台にあり、風景は起伏に富む。(上写真参考)

水彩画にしたくなる風景は無数にあると言っていい。こんな美しい町に住んでいる人々が実に羨ましいと思った。

この町の見どころは実に多くある。その中でも「シャトーフロントナック」を入れるとどこから見ても絵になると言っていい。

この場所で一枚スケッチをし、ついでにこのホテルのメインバーでカクテルをいただくことにした。

有名なホテルなのでその名を冠した名物カクテルはあるかとバーテンダーに聞くと、そっけなく「NO」と。ならば人気NO.1のカクテルをくれと頼むと、大きな氷の入ったグラスにバーナーで炎を吹き付けている(下写真参照)。どうやら燻す香りをつけるためらしい。凝った演出も実に絵になる。

ベースがブランデーだったようで、濃厚、スモーキー、少し甘みがある。時間をかけて少しずつ味わうのが良いようだ。

とても満足して、会計をすると、一杯が何と約4,000円だった!

◾️オーロラ騒動!

ピースボート乗客へのアンケートによれば今回のクルーズで一番期待すものは何かと聞くと、圧倒的多数で「オーロラ!」だと言う。

その期待に応えるためだろう。夜間のオーロラ観測に備えて、外部デッキに共用部の光が漏れぬよう、船内共用部の窓ガラスに遮光フィルムを貼り、食堂のテーブルには照明が消えても食事に支障のないよう小さなテーブルランプが置かれている。

そんな時、突如船に「オーロラ専門家」なる人物が乗り込み、講演会を開いた。満員の聴衆を前に「今晩、オーロラに出会えるような気がします」と言ったらしい。

噂が噂を呼び、乗客は騒然となる。講演を聞いた妻も今晩は早く寝て、夜に備えると言う。私も圧縮袋に入っていた厚手のダウンジャケット、防寒用の帽子、ヒートテックのタイツとシャツを引っ張り出すことになった。

こうして、万全の体制で臨んだオーロラ観測初日だったが、天候はあいにくの雨模様。私は早々と見切りをつけ、寝床に入ったが、若者たちは半分宴会をしながら、朝まで起きて待っていたらしい。

この日は残念ながらオーロラは出現せず。

しかし例の専門家によれば、オーロラ帯に入るここ数日が勝負だと言う。

ピーボートも乗客の期待に応えようと必死のようだ。「オーロラ隊」メンバーを決め、徹夜で船外デッキを見回り、出現するとすぐに船内放送を流すのだと言う。

3日目だっただろうか?

「ただいま船外左舷に肉眼でオーロラが観測できます」と言うアナウンスが流れた。1,600人の乗客が一斉に屋上デッキに向かったと言っていい。船外全ての照明が消されているので、屋上は真っ暗。だが凄まじい人口密度で動くのも容易でない。カメラを構えるスペースを求めて少しずつ移動して暗闇をじっと見つめる。

はるか向こうの空にぼんやりと微かに明るい部分が見えた。カメラを向ける。私はカメラについては専門家ではない。だがオーロラを美しく撮影するにはカメラにお任せの「オート」では難しいらしい。

私の調査結果は、F値は光量最大になるように設定、ISOは大きい方がいいのだが、大きすぎると画像が荒れるので、私のカメラではここだけは「自動」が良いらしい。問題はシャッタースピードで、地上で三脚を構えるなら10秒以上が望ましい。だが船では揺れがあるのでシャッター時間が長いとブレて三脚が役に立たない。

船内に高級カメラを構えたプロらしいシンガポール人がいたので、相談すると、「8秒」がベストだと言う。

と言うわけで、そのぼんやりする方向に向けてシャッターを切った。

それが下の写真である。

何となく黄緑色に輝いている。これがオーロラだと言われてもそれほど美しいとも思えない。

この日は一応この写真を成果として休むことにした。だが相変わらず最上階食堂はオーロラ待ちの人々が朝まで騒いでいたらしい。

食堂のスタッフも大忙し。普段は夕食時を過ぎれば閑散とするはずが、0時までは、フル回転。零下の外気でカメラを構えた後の、暖かいうどんがとんでもなく美味しかったことを報告しておこう。

この日から2~3日はオーロラチャンスだと言うことで、毎日この騒動が続いたわけだが、結局再度のオーロラ放送を聞くことはなかった。

どうやら今年のオーロラは不出来だったよう…オーロラだけのためにこの旅に参加するのは再考の余地有りだ。

◾️雪山発見! レイキャビック

オーロラ騒動の真っ只中、アイスランドの首都レイキャビックに上陸した。港に到着した瞬間、対岸に広がる雪山の美しさに圧倒されてしまった。この旅で「雪」を目にするのは初めてだ。

北極圏にあるこの国、実は「極寒の」と表現しようと思ったが、気温自体は零下を僅かに下回る程度。以前にアメリカワシントンを3月に訪れた時、マイナス13度だったことを思えば、案外と暖かい。これは「火山」と「暖流」のためらしい。

とは言っても、素手でカメラのシャッターを押すたびに、「寒い、冷たい」を連発する羽目に。なぜか妻も私も日本から手袋を持ってくることをすっかり忘れていたのだ。

レイキャビックは物価が高いことでも有名(昼食にグラスビールと簡単なつまみを1皿注文したら4000円弱だった。)だが、背に腹は変えられず、たまらず革手袋を購入。皆さんも旅の準備は抜かりなく!

実は水彩画家としては、このレイキャビックにはあまり期待していなかった。町並みはあまり歴史を感じられないし、見どころは、外観がユニークな「ハットルグリムス教会(下写真)くらい。だからほとんど下調べをしていなかった。

ところが、妻曰く世界遺産でもある、「噴き上がる間欠泉を見なければ、アイスランドに来た価値がない」らしい。

ピースボート主催の高価な当該オプショナルツアーもすでに満杯らしい。ネットが満足に使えない船内では個別に民間のツアーも申し込めず、結局当日現地の観光案内所で聞くことにした。

結果は✖️。当日ツアーはやはり空きなし。新規に企画してもらうには20万円ほどかかると言う。いくら旅先での臨時出費とはいえ、少し高すぎる。

妻には可哀想だったが結局、レイキャビックは街の散策のみとなった。

◾️いよいよ勝手にオーバーランド!

ピースボートには寄港地から一時下船し、国を越えて旅をし、別の寄港地で合流すると言うシステムがあるのはすでに述べたとおりである。これを「オーバランドツアー」と呼んでいる。どれも日本から直接いけるのではと思うような値段だったので、私は選択しなかった。その代わり自分で飛行機も宿泊も手配し、離脱する「勝手にオーバーランド」を企画し、メキシコで大損害を被ったのも先に述べた通りである。

だが次の寄港地グラスゴーからいよいよ本格的な「勝手にオーバーランド」が始まる。本来なら、船はグラスゴー→リバプール→ボルドーと廻る。当然港町ばかりで内陸部の都市には行けない。

だが建築に携わる私としては、せっかくここまで来たのにロンドン、パリの歴史的な町並みや有名建築を見ないわけにはいかない。

そこで、以下のような旅程を考えた。グラスゴーで一泊した後飛行機でロンドンへ。ロンドンでニ泊した後、ユーロスターでパリへ。パリでニ泊しボルドーで船に合流する。過密日程だが私にとって必要な最低限の視察はできるだろうと思った。

あとは船が予定通りついてくれることを祈るばかりである。

◾️グラスゴーに到着!

私たちは通常グラスゴーは「イギリス」の一都市だと思っている。だが実際は「the United Kingdom」、通常UKとして表示される、連合国家のひとつ、スコットランドの最大都市である。そして世界遺産エディンバラ城で有名なエディンバラはそのスコットランドの首都である。

ピースボートの船が寄港したのはグラスゴーセントラル駅から列車で1時間ほどかかるグリーノックと言う小さな港町だ。

この町には見るべきものはほとんどないので、当然乗客のほとんどがグラスゴーを目指して列車の駅目指すことになる。

この日も、例によって上陸許可が降りた瞬間、乗客のほとんどがこの小さな田舎駅に殺到した。

ところが普段は利用者が少ないのだろう。駅の窓口係員は一人のみ。

かくして駅の外の街路には、グラスゴー行きの切符を求める1,000人を超えるピーボート乗客の長蛇の列ができ、1時間に一本しかない列車は座席に空きを残したまま虚しく、発車する。

朝一番の列車に乗り、エデョンバラヘ…と言う私の計画は早々と崩れて、結局グラスゴー経由、エディンバラに到着したのは真昼だった。計画変更に慣れる…これが楽しく船旅をするコツである。

さてスコットランド1番の目玉、エディンバラ城を訪れた。だが入り口前にチケットオフィスがない。周囲にいる係員に聞くと、スマホから登録し、Eチケットを見せるのだと言う。

最近では当たり前になったシステムとはいえ、ローカルな書込みが英語表示で延々と要求される。またなぜかエラーが続出。何度も入力をやり直し、結果的に支払いの段階で私のクレジットカードが拒否されてしまった。

他の支払いで何度も使っているので、特に問題はないはずなのに、理由は不明で、対処のしようがない。

困り果て、先ほどの担当者に事情を話すと、結局歩いて5分ほどのインフォメーションでアナログチケットを買えと言う。

結局切符を購入するのに、また1時間をロスしてしまった。中途半端なデジタル化はかえって混乱を招く。なんとかしてほしいものだ。

スケジュールは狂いっぱなし。しかしながら、エディンバラは美しい。スケッチする時間がなかったので、せめてそのまま水彩画に仕上げられる構図を…と狙って写真を撮る。

「もらった!」と呟きたくなる写真が相当数手に入ったのが収穫だった。

◾️「霧のロンドン」へ

小説や映画でお馴染みのロンドン名物は霧だ。つまりからりと晴れた秋の空はロンドンにふさわしくない…と願ったわけではないが、私が訪れた2日とも雨、曇りの天気。一日中傘を手に歩き回ることになった。だがたかが天候の良し悪しでこの町を判断してはいけない。

ロンドンの魅力は19世紀以前の歴史的な町並みの中に超現代的な建築がアクセントとなって共存することだと思っている。

一例をあげよう。実は私がこの町で一番行きたかったのは愛称「ビッグベン」。イギリスの国会議事堂である。設計者はジョン・ナッシュ。イギリス建築史上で私が名前を知る、もっとも古い建築家である。

建物は一見するとゴシックの教会堂のよう。だが細部のディテールはゴシックよりも遥かに繊細だ。(下写真)

細部を見ようと、近づくとどうやら建物内部も見られるらしい。手荷物検査を受けた後、案内に導かれて進むと、なんとそこは本議会の傍聴席だった。

他国の人間に国政の中枢の生の議論を聴かせるとは、さすが「民主主義」を最初に実践した国だと実感した。

そして次に見たかったのが、下写真の建物。ビッグベンとは対照的、つるりとして装飾らしい装飾はない、垂直線を強調したビッグベンに対して地面に垂直な外壁面はどこにもない。だがこの建物、決して奇抜な形態だけを狙ったのではない。方位を考え省エネルギー的に最善の形になるよう設計した結果だと言う。

もっともこの建物、当初は「ロンドン市庁舎」として紹介されており、内部も見られたようだが、現在は何故か閉鎖されている。残念だ。

この両極端な二つの建物がテムズ側の両岸に建っていて、違和感を感じない。それが寛容なロンドンっ子の気質なのか、巧みな町づくりの政策のせいなのかはわからない。とにかく日本の首都東京にはない魅力に改めて感服した次第である。


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