スケッチの旅 日本編

戦国時代の技が生んだ日本の美とは 大津市坂本の町並み

大津市坂本の街並み

 戦国時代、城の石積みを全国各地の大名から請け負うプロ集団がいた。それが「穴太衆(あのうしゅう)」。滋賀県大津市に今でもその駅名「穴太(あのう)」が残っている。
 そして京阪電車でわずか10分程度の距離にある隣町が「坂本」である。この町は世界遺産比叡山に登る入口の町として有名であるが、穴太衆の仕事ぶりを残す「石垣の町」として知られ、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

美しい石垣が続く

 彼らの石積みは西洋で多く見られる切石積みではなく、自然石の形を読み最適な位置と角度で積んでゆく野積みである。城の土台として必要な長さ、高さ、角度、強度、水平精度など要求される全ての機能を満たすために、大小、様々な形の石が無駄なく組み合わさることになる。そうして出来る石垣の表情はある意味高度に幾何学的だ。だからデザイン的にも文句無く美しい。

 数百年の時を経た石積みは自然の苔や木々に覆われ、寄り添う建築物とともに生育し、この町独特の表情を作っている。

追伸
 私が参加しているフェイスブックの「美術館・博物館・芸術関連・裏話」というグループにこの「穴太衆の石積み」を投稿したところ、多くの方からコメントをいただいた。日本伝統の技術であり、一種の芸術である石積みへの予想外の関心の高さを知るともに、多くの知見を得た。興味ある方のためにいくつか紹介しておこう。
 戦国時代、穴太衆の最大イベントはは信長の命による安土城の石積みだった。佐々木譲の小説、「獅子の城塞」にその苦労が活き活きと描写されている。また同じく信長の命を受け鉄砲を生産したのがやはり琵琶湖畔の町、長浜の「国友」だった。言わば穴太と国友は戦国時代の重要都市だったのだ。
 興味深いのは両者の今だ。まず穴太。彼らの石積み技術はなんと今も受け継がれ「株式会社粟田建設」として存続していた。現在の会長の話を直接伺ったという方によれば、「この石はどこにどのように収まるべきか」という独特の技術と勘は今でも口伝だそうだ。最近は日本全国の石垣の修復はもちろん、海外からも引き合いがあったり、デザイン性を評価されるのかワークショップの依頼もあると言う。
 一方の国友。こちらもその技術は、現在の「株式会社國友銃砲火薬店」に受け継がれているという。その社員と同じアパートに住んでいたという方のコメントを会社の看板の写真とともにいただいた。
 そんな事実を頭に入れてから、琵琶湖畔の町を訪れたらどうだろう。間違いなくいい風景画が描ける・・・かもしれない。

京都の風景を描く 南禅寺水路閣

南禅寺水路閣

 京都の風景を描くと言えば、まずは寺社仏閣が頭に浮かぶ。でも京都の魅力はそれだけじゃない。今日はちょっと変わった風景をスケッチしよう。それは京都が東京に首都の座を奪われた頃、つまり明治時時代にさかのぼる。

京の威信を賭けて行った大事業があった。それが琵琶湖疏水。

 琵琶湖から鴨川まで人工の運河を通すという、当時の技術では困難極まりない工事で、苦労に苦労を重ね、6年の歳月をかけ、明治23年にやっと完成した。その甲斐あって、今も京都市の水道はほとんどこの琵琶湖疎水に頼っているそうだ。
 疎水は滋賀県大津市から京都府へ流れ南禅寺に入ると「水路閣」と呼ばれるようになる。

そして今やいつも誰かがスケッチしている京都の人気スポットの一つになったのだ。

 私がスケッチに出かけた時、幸いにも他に絵描きはいないようだった。おかげでよいポジションを奪い合うこともなく、ゆっくり気に入ったアングルを探すことができた。でも改めて考える。

この水路閣がこんなに画家たちの創作意欲を刺激するのは何故だろう?

 和風の寺院なかに洋風レンガの建物がある、その組み合わせが面白いからか?
いやスケッチブックを開いた時に感じた高揚感は和と洋の単なる組み合わせの妙だけではないと思うのだ。
 本来ここは寺院の宗教空間、境内は「神聖な木立」の連続だ。水路閣はそんな俗世間を寄せ付けないはずの場所に、当時最新の技術である「人工のアーチ」を、やはり最新の材料であるレンガを使い、正確に、木立の間を縫うようにして築かれているのだ。

言ってみれば自然に囲まれた「神域」と人智による「工学」の共存だ。

 まさにここに私は不思議を感じたのだ。近代国家の首都「東京」に対して「古都の威信」を示したのは意外にも、民衆の信仰心でも、宮廷の文化でもなく近代技術者の心意気だったのだ。
 そんな南禅寺はほかの寺院とは一味違う。面白い。絵描きならば、いや絵が好きな人ならば一度は水路閣をスケッチすることをおすすめする。

追伸
 いったい誰がこんなものを設計したのかと思われる方のために、ちょっと調べてみた。興味ある方はご覧あれ。
 この琵琶湖疏水を設計したのは、田辺朔郎(たなべさくろう)。現在の東京大学工学部にあたる工部大学校を卒業し明治16年、京都府の技術職員となった。
 そして若干21歳の時、この琵琶湖疏水の設計者となったのだ。さらにその後蹴上水力発電所を設計し、30歳で東京大学の教授に就任したという。
 彼の持って生まれた才能のせいなのか、明治という激動の時代が彼の素質を開花させたのかはわからない。とにかくこの美しい京都の風景を作った天才技術者に感謝したい。

彦根の魅力・・・河原町の商家群と3つの近代建築

滋賀県彦根市にやって来た。いうまでもなく国宝彦根城が有名だ。でも実は絵描きにとってもうひとつ魅力的な場所がある。それが河原町の商家群だ。JR彦根駅から歩いてゆけるアクセスのよさは時間が限られる旅先の絵描きにはありがたい。やはり国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されているのだが、選定年が平成28年と新しく、つい最近まで私もこの町のことを知らなかったのだ。

期待して向かった町並みは旧「彦根道」に沿って1km足らず、いい構図を求めてゆっくり歩いても15分もかからない。うだつの上がる重厚な町並みを想像していたのだが、現実の町は保存状態が良いとは言えず、描く気になる建物は3軒と続かない。結局当初イメージした江戸の町並みを描くことはあきらめた。

しかし、絵描きとしては一枚も描かずに帰るわけにはいかない。気分を変えてもう一度町を歩くと、面白い近代建築がいくつか並んでいることに気づいた。いかにも「由緒ありそうな」理髪店。古めかしい旧郵便局(逓信舎)、滋賀中央信用金庫銀座衣支店など。

今日の作品は旧郵便局の建物を商家がはさむ構図で決定。江戸の名残りある大正ロマンの町並み…これならいける!

金沢・・・その本当の魅力とは

 「懐かしき日本の風景」を求めて能登半島の輪島市~金沢市を旅した。石川県には重要伝統的建造物群保存地区が5箇所もあり、スケッチの効率がいいのだ。そのうち金沢市の3ヶ所の魅力をまとめてお伝えしよう。

主計町茶屋街

 まず主計町(かずえまち)。江戸時代から続く茶屋街だが重要伝統的建造物群保存地区の面積はわずか0.6ha。全国118箇所の中で最小だ。通りを端から端まで歩いてもほんの5分ほど。建物も明治から昭和にかけて作られたもので特に様式的にすばらしいとは思えない。一体どこに魅力がある?その答えは脇を流れる浅野川を渡って振り返った風景にあった。歴史ある町並みだけあって街路樹も3階建ての母屋に引けをとらない巨木だ。さわやかな川辺の風と緑。立ち並ぶ茶屋の甍はリズミカル。2階の座敷からは唄や踊の気配が漏れたに違いない。堤にスケッチブックを載せ、さわやかにスケッチが完了した。

東山ひがしの茶屋街

 次に向かったのは東山ひがし。主計町から歩いてほんの10分程度の場所にある。こちらはずらりと軒を並べるようにして建つ茶屋の統一感ある町並みが圧巻だ。ただしインバウンドの観光客も多く、ここで大きなスケッチブック広げるのは芸術のためとはいえ、ちょっと気が引ける。目の前を横切る観光客の間から控えめに町並みをスケッチ。まさに労作だ。

卯辰山麓寺院群

 最後は卯辰山麓の寺院群。東山ひがしの北の小道が多くの寺院をむすぶ「心の道」とひとつになる。一つ一つの建物はそれほど意匠的に優れているわけではない。どの寺もスケッチするにはいまひとつ。ただ信仰心を抱かせる道と門は期待を抱かせてくれる。そうだこの先に緑の背景があれば・・・。ついに絶妙の構図を発見。納得のスケッチが完了した。

ビルに囲まれながらも営業を続ける商家

 でも本当のことを言えば、金沢に来て一番感動したのはこの3つの重伝建ではない。これらはいずれも国に指定された地区で観光客向けにやや表情を作られた感がある。それに対して市内には近代的なビルにはさまれながらも、何気なく建ち、かつ今でも普通に商いをしている旧い商家がいくつも建っている。柱や梁の太さ、黒光りする仕上げ、玄関周りの装飾など重厚な美が際立っている。私が感動したのは高騰しているに違いない固定資産税にも負けず、現代の東京や大阪が捨てた町の伝統文化を簡単には捨てまいとの人々の気概に静かな感動を覚えるのだ。

 帰りの列車まで時間があったので、そのうちのひとつをスケッチしていると、地元の新聞記者が私の手元を覗き込み「すばらしいですね」と声をかけてくれた。彼は私に質問した「金沢のどんなところが魅力ですか?」
 そのときは三つの重伝建についてありきたりの答えを返したのだが今ならこう応える。「それは加賀百万石の繁栄を支えた商人の矜持だ」と。


北前船の町で見たものは

能登半島をひたすら北へ

 五月。風は涼しく、陽光も心地よい・・・休日はゆっくり家で・・・などとは言っていられない。もうすぐ梅雨、スケッチが出来なくなる季節なのだ。その前に少しでもスケッチをというわけで能登半島をひたすら北へ、石川県輪島市門前町「黒島」に向かった。ここは「重要伝統的建造物群保存地区」に平成21年選定されている。江戸時代、北前船の船主が住んだ町として栄えた。今回の目的はこの有名な海辺にある江戸の町並みをスケッチすることだ。
 しかし旅の下調べをしてみると、ここはとんでもなく不便なところだった。グーグルで調べると私の住む神戸から何と8時間20分もかかる。その最大の理由は2001年輪島まで通っていた鉄道が今は廃線になったからだ。頼みの綱はバス。しかし隣町の「門前」から「黒島」へ入るバスは朝夕一本ずつしかない。目前まで来ながらバス停で2時間、乗り換え待ちしなければならないのだ。

出迎えてくれた日本海の荒波
海の見える町「黒島」

 しかし5月の陽光に輝く日本海の荒波に出迎えられる気分は最高だ。穏やかな神戸の海とはまったく違う風情を見せてくれる。

黒島の町並み

 町も「重伝建」に選定されただけあって当時の町並みを良く残している。屋根は艶のある黒瓦。外壁はグレーに塗られた下見板張り。素材の統一感があり絵になるシーンは多い。ただ個人的な好みでいえば切妻屋根の平入と妻入りが不規則に混在していて、画面に収まる町並みの構成美としてはやや劣る。残念だ。

 夕方着でロケハンし、翌日4枚のスケッチを描き終えた。とても満足するスケッチの旅だったが、気になったことがある。この日は土曜日で休日なのに私が絵を描いている間、他に観光客の姿を一人も見なかった。さらに町には飲食店が一軒も無く昼食を取ることもできない(もっとも田舎のスケッチでは良くあることなので、私はチョコやビスケットを携行することにしているが)。観光客のための施設は角海家が公開されているが北前船資料館や公共トイレに隣接する公民館らしき施設は鍵がかかってやはり人気(ひとけ)が無い。

町には空き地も目立つ

 ご覧のように町並みも所々歯抜け状態で空き地のぺんぺん草がやけに元気で逆に悲しさが漂う。町並みのデザインをまったく無視した建物もちらほらある。観光で町おこしをしようとしているようだが、今の町の様子を見る限り未来は明るいとは思えない。
 スケッチを終え、バス待ちの2時間を避けるため、隣町のバス停まで歩こうとリュックを担いだ時、民宿のお爺さんが「軽トラで送ってあげる」と優しいひと言。炎天下40分の歩きは正直つらい。本当にありがたい一言だった。そういえば、すれ違った住民たちは皆、「いらっしゃい。ようこそおいでくださいました。」と声をかけてくれたし、子供達も僕の脇に来て「こんにちは。おじさん、絵上手!」などと話しかけてくれる。この子達の故郷が消えるのはやはりさびしい。町の中で暖かい言葉が交わされるうちはまだまだ大丈夫と思いたい。

近江商人を育んだ町とは・・・

 この日訪れたのは滋賀県東近江市五個荘金堂町。1998年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。僕がスケッチした22番目の保存地区の町でもある。

 この町は有名な近江商人発祥の地といわれている。江戸時代の商家豪邸と富農の民家がならぶさまはまさにその文化と歴史を教えてくれる。

 家屋が並ぶ道沿には生活用水として利用されている水路が流れ他の町並みとは一味違う風情を与えている。

画家にとって魅力的なこの町、さぞかし不便な場所にあるかと思われそうだが、実は僕が住む神戸市内からJRとバスを乗り継いで2時間ほどで着く。田舎とは言え、とても来やすい町なのだ。そのせいかこの日はどこかの先生が指導する絵画教室の皆さんも写生に来ていた。中央の写真、道端で座っている人がそれだ。 

 道端で和かに絵を描いている生徒さん達に、民家から出てくる近江商人の子孫が「こんにちは」と声をかけてくれる。天気の良い休日にこんなのどかな風景に出会えるのも絵描きの特権だ。
 しかし僕は来年の個展に備えて作品を描きためなければいけない身。そんなに悠長に構えてはいられない。いい構図を求めて同じ道を何度も行ったり来たり、彼らからは奇異に見えたに違いない。

 「ここ!」と決めたら集中して描く。この日の収穫はペン画3枚とipad画1枚。まあまあの収穫だ。

描き終えた後の心地よい疲労感に水路の生け花がとても心地よい。三方良しという世間も気遣う近江商人の心意気がこんなところにも表れている。