みちのくで描いたバロック建築の風景とは?

この建物は何だろう?

 青森県弘前市を訪れた。もちろんスケッチが目的だ。ホテルで手に入れた観光案内で見つけた建物がこの青森銀行記念館(旧第五十九銀行本館)である。
 上の水彩画は現地で私がスケッチしたもの。ご覧のように見事な洋風建築である。

 マンサード屋根(?)やかまぼこ状のドームは威風堂々としたバロック建築を思わせる。三角形の飾りをつけた窓が規則正しく並ぶ様は端正なルネサンス建築を思わせる。

 建てられたのは明治37年だという。
 実はこれはとても不思議なことなのだ。というのは、日本で洋風建築が本格的に設計、建設されたのはジョサイアコンドルが東京に三菱一番館(「甦った?首都東京の風景を描く→」を参照)を設計して以降である。

 その三菱一番館の竣工が明治27年。そのわずか10年後に北のはずれの町に同じような、由緒ある洋風建築が建てられたとは到底信じられない。

大工の棟梁が建てた洋風建築だった!

 入場料を払い建物の内部に入ると、受付で弘前市教育委員会が発行した「ひろさきの洋風建築」という冊子を売っていた。
 この本を読むと先の私の疑問は氷解する…建てたのはこの弘前の大工の棟梁だったのだ。

 彼の名は堀江佐吉。かのジョサイア・コンドルや彼の弟子、辰野金吾らとは何の関係も無い。
 彼の洋風建築の素養は当時の函館、札幌の洋風建築を見学した経験だけだというからおそれいる。幕末から明治にかけての新しい日本を引っ張ったのは薩摩、長州の政財界の人物だけではなかったのだ。

 外観を一見すると外壁は石、レンガ、漆喰でできているように見える。
 しかし違うのだ。実は構造も仕上げもすべて日本の伝統的な材料「木」でできている。木だけを使い洋風建築の構造も、様式的な装飾も見よう見まねで作り上げてしまったというわけだ。

 上の写真はこの建物の内観である。
 本来の銀行の営業室の家具が取り払われ、広い展示スペースになってしまっているのは残念だが、当時の雰囲気がよく残されている。

 腰壁の羽目板、柱の装飾。天井のモールディング。そしてやはりルネサンス調の建具。どれも見事なデザインだ。見よう見まねで作った日本の大工の仕事とは信じられない。
 恐るべき匠の技だ。

弘前の洋風建築に注目!

 さて弘前には他にも素晴らしい洋風建築がある。
 上左は同じく 堀江佐吉 が設計した旧弘前市立図書。
 上中はやはり明治時代に建てられたゴシックの聖堂。もちろん木造だ。
 上右は昭和初期の住宅。よく見ればディテールと素材はフランクロイドライトの住宅によく似ている。棟梁だけでなく弘前の近代の建築家にも注目した方がよさそうである。

 なおこれらの洋風建築にまつわる話題も先の「ひろさきの洋風建築」に記されている。興味のある方は読んでみるといい。

P.S.
今回は日本の近代建築をスケッチした。このブログの関連記事は以下の通り。是非参考にしてほしい。

P.P.S.
冒頭に私の水彩画を載せた。今回の記事の主役は「大工の棟梁」だったので、敢えて作画の技術解説はしていない。
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