私のおすすめ絵画NO.1は?
迷うことなく言う。コローの風景画「フォンテーヌブローの想い出」だ。
それには当然ながら理由がある。
私は今でこそ「水彩画家」を名乗っているが、大学生のころは美術部でかなり本格的に油絵を描いていた。当時の大学は学生の自治、自由を重んずる雰囲気が強く、「総合レジャーセンター」などと言われていた。
当然堅苦しい顧問の先生などいるはずもない。皆が勝手に好きな絵を描く。美術部の展覧会こそしょっちゅうあったが、出品するのも、しないのも全く個人の自由。
慣習的に展覧会の初日に批評会をする。だが、相当出来の悪い手抜きの絵でもよほどのことがない限り「いいね」で済まされ、酷評されることはほとんどない。
皆の頭にはその後に予定されている当時「コンパ」と呼ばれていた飲み会しかない。
だからはっきり言うと、美術部員とは言っても大半はお遊びで、絵のレベルはひどいものだった。大学祭で部員の大作をずらりと展示するものの、来た人が「レベル低いね」と呟くのを度々耳にしたものだ。
もっとも今思えば私も似たようなレベルだったと思うが、今の私のアトリエにある書棚には数冊の画集がある。いずれもこの頃に入手したものだ。ページをめくると所々、当時の絵具の跡がついていたりする。
それなりにこれらの画集を参考に上手く描こうとしていたわけだ。
最初に書棚に並んだのはアングル(その理由は「裸婦の名画 グランドオダリスクに会う→」を参照)。次にルノワールだった(その理由は(「私の人物画が売れた訳→」参照)。
そのほかにいまだに並んでいるのは、レンブラント、フェルメール、シャルダン、クールベ、そして最も傷みの激しい画集、それがコローの画集だ。
コローが好きだった訳は?
コローの画集の何をそんなに一生懸命見ていたかと言うと、やはりその独特の色調だ。特に森や川のある抒情に溢れる風景画の色調はコローにしか出せないと思う。
当時彼の作風に関する文章も結構読んだ記憶がある。例えばあのグレーの色調は彼が作品の仕上げの段階で、パレットに残っていた絵具をペインティングナイフで混ぜ合わせて、キャンバスのあちこちにこすりつけることによってできたと言うものだ。
もちろん試すまでもなく、そんな単純な技法であの雰囲気が出せるはずもない。だが「どうやったら、あのグレーの色調が出せるか?」は当時のわたしの最優先課題だったのだ。
そしてコローがやってきた!
そうして、大学4年の春、遂にそのコローが日本にやってきた。しかも通常は東京から京都、または大阪に巡回してしまう有名展覧会がこの時は名古屋の愛知県美術館でも開催されたのだ。(その時のカタログ(←何とまだamazonで売っていた!)は水彩画を描く今でも開くことがある。)
そこで見た、この展覧会の目玉の絵がこの「フォンテーヌブローの想い出」だったのだ。
大作だ。やはり画集とは迫力もディテールの描き込みも全く違う。グレーに統一された色調は比類がない。
そして私の興味は「どうやってこの色調を出したか?」に向いた。まず、画面は艶があって極めて平滑。ナイフで擦り付けた後は皆無だ。先の「パレットに余った絵具を・・・ナイフで・・・」と言う解説は少なくとも間違いだと確信した。
一見ぼかしまくっているようだが、よくみると小さな葉や小枝に至るまで筆の穂先に神経を集中して、丹念に描き込んであるのがわかる。
絵具はは何色も何層も重ねてあるらしく、「コローのグレー色」なる絵具名は当然ながら判らない。
ただ私なりに彼の色調を真似しようと、この頃から、黄色はクロムイエローからレモンイエローに、緑色はビリジアンからサップグリーンに、濃い茶色はローアンバーからセピアに変えた覚えがある。
そしてその翌年、同じく愛知県美術館で私の大学の美術部展があり、私は100号の風景画を出品した。題名は「千曲川の想い出」。
美術部の合宿でスケッチしたものをもとに描いた風景画だが、コローの「フォンテーヌブローの想い出」を意識したことは言うまでもない。
色調もコローのグレーを徹底して真似た。いま思えばその絵が私が描いた最後の大作、100号の絵だった。
この絵はそんな私の若き日の思い出の一枚なのだ。
[…] 既にさんざん油絵を描いていた私は、 油絵の技法への興味はかなりマニアックなレベルに達していて、「バルビゾン派の画家コローの色使いは・・・」などと仲間内で講釈を垂れていた(「これがおすすめ! 有名絵画→」を参照)。 […]
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