今から絵描きを目指す人のために

イタリア ローマ ナヴォーナ広場

■今の人生に満足?

 サラリーマンも50代後半になるとその道のキャリアに終わりが近づいてきたことを悟る。そのまま大過なく勤め上げ退職金と年金で余生を送る・・・よくある人生だ。だが私の場合そんな選択が出来なかった。
 もう一度自分の人生を振り返り、これでいいかと問いかける。そろそろ封印してきた「絵描きになる」という道をもう一度追っかけてもいいじゃないか・・・そんな決断をしてしまったのだ。
 そこで今から何をすべきか調べ、考えた。公募展に応募して入選!あるいは個展で評判を取り有名に!などと夢を見る。
 一方“もう何年も油絵を描いていない。時間もない。個展を開けるような作品が溜まっていない。考えただけで困難な問題が山積みだ。

■家族関係に不安はない?

 しかも、さらなる問題が重なった。妻との別居、そしていわゆる熟年離婚だ。その原因は・・・いやひょっとすると双方の想いの一致する離婚原因など存在しないのかもしれない。でもあんな想いを二度としないためにも敢えてその理由を振り返ることにする。
 それはちょうど私が会社での将来に見切りをつけた頃に始まる。それまでは自分の生きがい=会社の未来だった。でももはや自分の未来は自分だけのものと解釈した瞬間、全ての価値観が変わったのだ。
 心に封印していた絵描きになりたいという欲求が蘇ったのは先に述べたとおりだが、問題は私の場合、自分の未来だけが一人歩きし、そこに妻の存在が無かったことだ。こう書くと、人生観を大切にした結果・・・などと高尚な話に聞こえるが、要は自分のしたいことだけに時間とお金を使いたいという身勝手な思い込みに理屈をつけていただけだった。妻から観れば先を見て、今の妻の気持ちを顧みない単なる「思いやりの無い男」だったと思う。
  私と同じように、熟年になって、何らかの人生の決断をしようとしている人は、注意してほしい。離婚は定年後の予期せぬ貧困と精神的消耗を強いる。私も一時はすっかり沈み込み、久しぶりに始めた画家活動にもまったく身が入らなかった。

ローマ共和国広場

■目指す人生のモチベーションはある?

  そんなどん底の私を救ってくれたのはイタリアへの旅だった。会社人生で初めて長期休暇を取っての一人旅。誰に気兼ねすることなくローマ、フィレンツェ、ベネチアへと旅発った。
 はじめてみるイタリアの風景は私を魅了した。毎日朝から晩まで歩き回りスケッチをした。ローマのナヴォーナ広場でスケッチを終え、心地よい疲労感に浸りビールを口にした時の充実感、幸福感はいまだに忘れられない。
 この時の「憧れの地をスケッチする」というシンプルな喜び(ビールの味ではない。念のため)が「遅咲きの絵描き」の先に待つ困難を解決し、今なお活動を続けるモチベーションとなっている。
 なお付け加えておくと、いまは旅先の僕の隣に新たな伴侶がいてくれる。おかげで心も平穏無事だ。でもスケッチの時はやっぱり一人かな。

ローマ サンタンジェロ城

水彩画の道具 マスキングインクって何?

水彩画を習い始めたあなたに。

濃い背景に白色を塗りたい時、あなたならどうする?
もちろん不透明の白色絵具を塗れば簡単だ。だが透明水彩の魅力は後ろの色が透けて重なる美しさを追求することにある。
不透明な白絵具を塗るのは本来邪道。紙の白を残して塗るのが基本だ。

だから空に浮かぶ白い雲を描きたければ雲は紙の白を残して空だけを青に塗ればいい。
問題は次のパターンだ。空を飛ぶ一羽の白いかもめを描きたかったらどうするか?

この場合はかもめの白を塗り残さなければならない。しかし細いアウトラインのかもめをシャープに空色で塗り残すには、紙を乾燥させておく必要がある。しかしそうすると必然的に空に筆跡が残りやすくなり、塗りムラが出てしまう。

こんな時に利用するのがマスキングインクだ。

これはゴム状の液体で白く残す(または後から別な色を塗る)部分に先に塗っておくと、乾燥後は後から塗った水彩絵具をはじいてくれる。だからまずカモメの形にマスキングインクを塗り、空の部分にたっぷり水を浸み込ませてからムラのないように青を塗る。この時カモメ部分も一緒に塗ってしまうのがコツだ。

塗り終わった後、カモメ部分のマスキングインクをはがせば、下地の白がマスキングインクを塗った形状通り、シャープに残る。このまま白として残すもよし、もちろん別の色を塗って仕上げることも出来る。

私は草むらに光る茎や花びら、暗い森林の中で明るく反射する木の葉、水面の波頭などに使うことが多い。

このテクニックを使えば初心者も完璧…と言いたいが、意外に製品の選び方と使い方が難しく、私もいままで何度か失敗している。初心者、いや中級者に

マスキングインクを使いこなすコツをお伝えしよう。

先に言っておくと私の目で見て今現在まだ完全に満足した製品はない。いずれも帯に短したすきに長しの状態だ。それでも少なくともしてはいけないことだけはお伝えできると思う。

インクの形式はいくつかある。
まずインクケースの蓋を開け、筆にインクを付けて塗るタイプ。長所は細筆を使えば、細い線、しなやかな線が引けるので、ある程度インクで絵が描ける。欠点はインクケースが密閉されないのですぐに硬くなり、2度目以降は筆を使っても細くはならない。3度目以降は単なるゴム粒を置くという状態で、もはや絵を描く道具とは言えなかった。

次に細い金属性または樹脂製のノズルの先からインクを出し直接塗るもの。長所はインクケースの蓋を開ける必要が無いので、インクの硬化を防ぐことが出来ること。短所はノズルの先端が硬質なので、しなりが無くやわらかい線は引きにくい。また長時間使い続けると、空気に触れる先端がどうしても詰まりやすくなる。無理に押し出すと一気に塊が落ちることもあり、なかなか扱いにくい。

最後にボールペンペンタイプ。0.7mmのごく細タイプが発売されたと聞いて、早速注文した。形状はまさにボールペン。しかし通常に描いただけではインクの出が悪い。ボールペンの本体に圧力をかけると、一気に出て太くなる。もう少し使い込めば思うような線が引ける可能性はある。その時はまた報告したい。

次は塗った後の注意事項。


インクを塗った後すぐに水彩絵具を塗ると、水分に溶けてマスキング部分が流れ出すことがある。絵具を塗るのはマスキングが乾いてからにすること。もっともわざとインクと水を混ぜて使う人もいるようだ。


インクを塗った後すぐに水彩絵具を塗ると、水分に溶けてマスキング部分が流れ出すことがある。絵具を塗るのはマスキングが乾いてからにすること。もっともわざとインクと水を混ぜて使う人もいるようだ。

私が経験した最大の失敗はマスキングして、上に色を塗り、そのまま1ヶ月ほどほっておいたことだ。気がつくとマスキングインクの脂分が黄色く変色し、水彩紙に染み出していた。マスキングをはがしても黄色いしみはどんなに洗っても絶対に取れない。メーカーによっては塗ってから何日以内にはがしてくださいと明記してあるはずだ。早めにはがすほうがいいだろう。

インクをはがすときは、紙が完全に乾いてからはがすこと。早く仕上げようと、紙がまだ水で湿っているときにインクをはがすと、紙の表面がインクの強さに負けて破れてしまう。こうなると処置は難しい。
避けた部分に色が浸み込み破れた形がはっきり見えてしまうのだ。さらにはがれた部分は他と同じ発色にもにじみ具合にもならない。つまり完全に絵描きのテクニックが使えない状態になってしまうのだ。

マスキングインクの材質と紙の材質はメーカーにより千差万別なので、組み合わせによっては、上記のような失敗は最低限で抑えられるかもしれない。だが、せっかくの作品が最後に消えるはずのマスキングインクで台無しになっては泣くになけない。

ご注意を!

「絵画」と「サイズ」のエピソード

 水彩画の魅力を伝える・・・このブログの使命のひとつだ。絵は初心者ですというあなたに今日は「絵のサイズ」と「モチーフ」についてお伝えしよう。
 まずお聞きしたい。

あなたは今何の絵をどんなサイズのスケッチブックに描こうとしているだろうか?

スケッチブックのサイズ
奥からF8、F6、F4、SM(サムホール)、F0

 描くのは風景画で、習いに行っているカルチャーセンターで教えられたサイズを使っている?それはひょっとしてF8サイズ?またはF6サイズ?
 あるいは持ち運びやすいハンドバックにも入るSM(サムホール)サイズ?
漫然と人に勧められたサイズで絵を描いていると、後で後悔することになる。実は絵にはそれぞれのサイズに適する目的と、場所と、対象がある。

例えばまず、明日あなたが朝から日帰りのスケッチ旅に出かけたとしよう。

 当然電車乗って移動する。抱えているのは勧められたF8のスケッチブックが入った画家用の鞄だ。座席も確保し、さて車窓を眺めながらの楽しいスケッチ旅行に思いを馳せる・・・はずが、気がつくと隣の人から非難の目線。
 当然だ。実はF8サイズのスケッチブックは幅が45cmくらいあり収納ケースは50cmくらいになる。電車やバスの座席幅は40cmくらい。つまりそれをひざに載せて座席に座ると、隣席にはみ出すことになる。そう、F8は周りの人にとても迷惑なのだ。ゆえに私はF6のスケッチブックを持っていく。これなら何とか隣の人と仲良くやれるサイズだ。
 そして電車に揺られること2時間。やっと目的地に到着。ここは日本の伝統的な民家が残る町並みだ。いい景色を求めてさっそく歩き回るとしよう。

あった! F6にちょうどいい構図だ。

F6のスケッチブックに描いた町並み

 さっそく描き始める。 ずらりと並ぶ民家。美しい町並みと背景の山並みがきっちりと画面に納まる。 約1時間経過。まだ下書きも終わっていないけどそろそろ昼時だ。人によってはここで中断。昼食後また書き始める。そしてまた約1時間が経過。
 早い人はそろそろ完成だろうが、まだ終わらない人もいる。帰りの電車まであと2時間たらず。さてどうする。F6をもう一枚描ける人はたぶん少ないだろう。でもせっかく一日をつぶしたのに成果が一枚では寂しすぎる。

そこでSM(サムホール)の登場だ。

SMのスケッチブックに描いた町並み

 この大きさは面積にしてF6の約1/4。2時間足らずでも十分描ける。しかも2、3軒の民家なら町並みとして描き込める最小限の大きさなのだ。私がこのSMのスケッチブックを愛用する所以だ。
さて最初のスケッチにたっぷり時間をかけた人には残り時間は1時間しかないはずだ。

ここで登場するのが0号のスケッチブックだ。

F0サイズのスケッチブックに描いた民家

 サイズは葉書よりも一回り大きいだけなので、描くのにさほど時間は要しない。一時間あれば十分だ。ただし、このサイズでは「町並み」は描けない。一軒の民家とその周りの雰囲気だけだ。それでも2枚目が描けるという事実は大切にすべきだ。こんなときのために私はこの0号のサイズも持っていくようにしている。
 その他に旅行携帯用の葉書サイズのスケッチブックもある。紙質はまったく変わらないプロの絵描き用だ。さすがに小さすぎて作品にはなりがたいが、旅先からのプレゼントには最適だろう。
 実は学生のころ、この葉書に旅先で水彩画を描き、その地から投函、当時好意を寄せていた女性に送ったことがある。私の絵の出来が悪かったからなのか、もともとそんな芽が無かったのか、結果的に、葉書サイズスケッチブックに神通力は無かったことを報告しておこう。

さて別な日。あなたは人物画の絵画教室に行ったとしよう。

いつものF6サイズを持っていく。スタイルのよいモデルさんで衣装は半そでのブラウスと短パン。この日は立ちポーズだ。さて構図を考える。

F6サイズ 人物の立ちポーズで全身を入れる

モデルさんのスタイルがいいので全身を入れたい!・・・と思った人。F6サイズは縦が約40cmなので余白を取ると、顔のサイズはご覧のように必然的に4cmくらいになってしまう。人物画は基本的に表情が決めて。この大きさでは残念ながら「いい表情」は描き難い。つまり

全身を描きたいならF8以上を持ってくるべきだった

 カルチャーセンターで教えられる「F8以上がいいね」はまさに、この時のことだったのだ。

F6サイズの場合は上半身だけの構図が良いだろう。

F6サイズ 人物の半身を入れる

 顔の大きさも大きくなり、女性の表情もきちんと表現できる大きさだ。脚は当然画面に入らないが、必ず手は全部納めよう。手の無い上半身は服だけのつまらない肖像画になってしまう。一方で

人物画の練習のために顔だけを描きたいという人もいるだろう。

 こんな人はF4、F3くらいでも、人の表情の魅力を伝えることは十分可能だ。私は時間のないときはF4で顔だけを描くことがままある。顔だけと言うのは中途半端に上半身を入れるより対象が表情にフォーカスされるので絵としてそれなりに描く価値があるのだ。このサイズのときのポイントはやはり目だ。まつげまで描きこめる。こちらもチャレンジしてみてほしい。

F4サイズ 人物の顔をメインに描く

「絵画」と「サイズ」についてだけでも絵描きなりの苦労はあるのだ。

戦国時代の技が生んだ日本の美とは 大津市坂本の町並み

大津市坂本の街並み

 戦国時代、城の石積みを全国各地の大名から請け負うプロ集団がいた。それが「穴太衆(あのうしゅう)」。滋賀県大津市に今でもその駅名「穴太(あのう)」が残っている。
 そして京阪電車でわずか10分程度の距離にある隣町が「坂本」である。この町は世界遺産比叡山に登る入口の町として有名であるが、穴太衆の仕事ぶりを残す「石垣の町」として知られ、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

美しい石垣が続く

 彼らの石積みは西洋で多く見られる切石積みではなく、自然石の形を読み最適な位置と角度で積んでゆく野積みである。城の土台として必要な長さ、高さ、角度、強度、水平精度など要求される全ての機能を満たすために、大小、様々な形の石が無駄なく組み合わさることになる。そうして出来る石垣の表情はある意味高度に幾何学的だ。だからデザイン的にも文句無く美しい。

 数百年の時を経た石積みは自然の苔や木々に覆われ、寄り添う建築物とともに生育し、この町独特の表情を作っている。

追伸
 私が参加しているフェイスブックの「美術館・博物館・芸術関連・裏話」というグループにこの「穴太衆の石積み」を投稿したところ、多くの方からコメントをいただいた。日本伝統の技術であり、一種の芸術である石積みへの予想外の関心の高さを知るともに、多くの知見を得た。興味ある方のためにいくつか紹介しておこう。
 戦国時代、穴太衆の最大イベントはは信長の命による安土城の石積みだった。佐々木譲の小説、「獅子の城塞」にその苦労が活き活きと描写されている。また同じく信長の命を受け鉄砲を生産したのがやはり琵琶湖畔の町、長浜の「国友」だった。言わば穴太と国友は戦国時代の重要都市だったのだ。
 興味深いのは両者の今だ。まず穴太。彼らの石積み技術はなんと今も受け継がれ「株式会社粟田建設」として存続していた。現在の会長の話を直接伺ったという方によれば、「この石はどこにどのように収まるべきか」という独特の技術と勘は今でも口伝だそうだ。最近は日本全国の石垣の修復はもちろん、海外からも引き合いがあったり、デザイン性を評価されるのかワークショップの依頼もあると言う。
 一方の国友。こちらもその技術は、現在の「株式会社國友銃砲火薬店」に受け継がれているという。その社員と同じアパートに住んでいたという方のコメントを会社の看板の写真とともにいただいた。
 そんな事実を頭に入れてから、琵琶湖畔の町を訪れたらどうだろう。間違いなくいい風景画が描ける・・・かもしれない。

海外スケッチの旅 5つの心得

 仕事に追われる日常を離れ、思い切って海外スケッチ旅に出かけよう。そんな人のために、私の経験から学んだ5つの心得をお伝えしよう。  

その1 安くても団体旅行で絵は描けない

 忙しい。旅行の計画なんてしていられない。この際旅行会社の格安ツアーで・・・決めたくなるが、ちょっと待って欲しい。旅先で気持ちよく絵を描いているところで、昼食、夕食の時間、移動の集合時間が来てしまったらどうする?スケッチブックを閉じて、集合場所へ一目散・・・では、きっといい絵は描けない。
 団体旅行は一般観光客向けに作られたスケジュール。メインは食事と土産と数多く名所を見ることだ。同じ場所に2時間もじっと座っていることなど考えくれてはいない。
 芸術家は気ままな生き物。旅行に行ったらあなたもきっとそうなる。ここで絵を描きたい、と思ったら納得いくまでその場を離れられないのだ。
 もちろん自分一人でも最低限の移動スケジュールは立てなければいけない。でも事前にこの都市で何枚、あの都市で何枚と大体の予定を立てておけば、それほどストレスは感じない。なにより一人で自由に好きなだけ時間を使えるのだ。

その2 絵を描くなら各都市最低2泊しよう

 自分でスケジュールを自由に組めるからと言って、パックツァーのように1日に2都市を回るようなハードスケジュールは厳禁だ。食べ歩きの旅ならともかくスケッチには最低限の段取りが必要。具体的に言えば、1都市に最低2泊はしたい。
 何故なら着いた当日が午後なら、ホテルで荷物を開け、とりあえず部屋を確認するだけで、大抵日暮れまで何時間も残っていない。初めて歩く街でいい景色を探してスケッチを完成させるのはとてもつらい。
 もし到着時間が夕方だったら、その日はスケッチできない。2泊する予定が組んであれば少なくとも翌日はまる一日スケッチに当てられる。せっかくスケッチ旅行に来たのに成果ゼロの都市があるのは寂しい。
 以前私がスペインにスケッチに行ったときは7泊で5都市を回るスケジュールを立てたが、そのうち一日が一泊で2都市を回るスケジュールを立ててしまった。ただでさえ苦しいスケジュールなのに重いスーツケースを引きずり、英語の話せないスペイン人に道を聞きながら移動する苦労は半端ではない。
 列車の時間に気を使い、到着駅のアナウンスに神経を使い、疲れ果ててスケッチどころではなかった苦い思い出がある。
 そしてここだけは絶対にいい絵を描くぞと思った都市は3泊を当てよう。なぜなら私たちには「雨」という大敵がある。もし到着した翌日が雨だったら2泊してもスケッチ旅行は台無しだからだ。普通の観光客なら傘をさせばいいだけ。でも私たちは絵を描かなくてはいけない。傘などさしていては絵など描けないのだ。3泊ならば、過去の経験でさすがに、その翌日はじっくり描ける。

その3クレジットカードは3枚準備しよう

 まず現金を入れる財布とカードは別にしておくこと。そう「地球の歩き方」にもちゃんと書いてある。当たり前だ。でももしカードを失くしても、日本なら何とかなる。家族、友人、に救いを求められる。だが海外ひとり旅で現金とカード両方を一度に失くしたら、何もできない。下手をすると帰りの飛行機に乗る電車代も払えずに帰国さえできなくなる可能性もあるのだ。
 私の場合はウィーンで現金、カード全てを失くした。その時の苦難は別の記事を参照してほしい。https://miryoku-yoshine.com/austria-vienna/
 ここではその後の研究結果(?)も踏まえたベストな提案をお伝えする。まずクレジットカードを3枚持って行こう。一枚は外貨に対応したデビッドカード。現地での財布代わりだ。
 これは店先ではクレジットカード処理されるが、実際は口座に入れておいた現金が即時決済される。つまりクレジット会社の両替手数料がかからないので経済的にも得なのだ。しかも行先の通貨(ユーロとかドル)を為替の安い時に買っておけばさらにお得だ。
 私はソニー銀行にユーロ口座を開き、為替レートを見て少しずつユーロを買っている。もし事前購入したユーロが不足する場合は円口座から当日の為替レートで引き落とされるので予想外に外貨を使ってしまった時にも安心だ。
 もう一枚は現金引き出しATM用クレジットカード。もちろんこれも一枚目のたいていのデビッドカードでもできるが、デビッドカードは現地ATMの使用料がかかる。クレジットカードによる引き出しはATM使用料無料というカードが多い。これは引き落とし時の為替レートで決済されるが、空港の両替窓口より確実に安い。私が調べた時点ではセディナカードが一番お得だった。
 一応これでカードは2枚。もし一枚失くしても何とかなるわけだが、現金を引き落とす可能性があるときには1枚目と2枚目は外出時に両方持ち歩く必要がある。もし外出時に盗難などにあったら、両方取られてしまう可能性がある。だからホテルに置いておく予備のカードがもう一枚欲しいのだ。

その4 スケッチの道具に抜かりなく

 まずスケッチ用バッグ。重いスーツケースはホテルに置き、あちこちスケッチに出かける時に必携だ。特にF6のスケッチブックが入り、筆やペン、スケッチ用の椅子、カメラ、雨具などを一つにまとめて入れられるものが良い。私は画材店に売っていたF6用のスケッチブックが入るリュックを使用している。
 ただしリュックは海外ではすぐスリに狙われる。私はスペインで二度被害にあった。知らない間にリュックを開けられ、財布のなかの現金だけを取られた。人混みでは前に抱くなどの注意が必要だ。
 メインの画材は予備を持っていく。現地で落とすと、愛用の道具と同じものは絶対に手に入らないと考えよう。私はスケッチブックは大きさを変えて合計3冊。ペンは同じ太さのものを2本ずつ2種類(合計4本)用意している。

その5 グーグルマップの設定と旅行用wifi

 短い時間で良い作品を多くスケッチするには効率よく現地を回る必要がある。私はかつては「地球の歩き方」を常にカバンに入れていたが、都市の主要地図にはレストランとショッピング情報ばかりで、絵描きが見たい古い教会の詳しい行き方などはとても扱いが軽い。
 だから最近は事前に行きたい場所をグーグルマップに事前に登録することにしている。拡大縮小自由で道に迷うロスもなく、到着までの残り時間もわかるので、無駄がない。スケッチの旅には最高のツールだ。
 もっともそのためには旅行用の携帯wifiがいる。レンタル料金が一日あたり数百円するが、現地での便利さには代え難い。事前にインターネットで申し込んでおき、出発当日空港で受け取ると良い。
 さらに最近のデジカメはグーグルマップと連動しているので、帰国後グーグルマップの「タイムライン」を開くと、なんと頼んでもいないのにスケッチ旅行の間、いつどこでどのように移動し、どんな写真写真を取ったのかがわかるのだ。この写真をいつどこで撮ったかが一目瞭然なので、後日の写真の整理も容易だ。

 普通の海外旅行とはちょっと違う、絵描きの旅5つの心得。今まさに計画している人のお役に立てれば幸いだ。

京都の風景を描く 南禅寺水路閣

南禅寺水路閣

 京都の風景を描くと言えば、まずは寺社仏閣が頭に浮かぶ。でも京都の魅力はそれだけじゃない。今日はちょっと変わった風景をスケッチしよう。それは京都が東京に首都の座を奪われた頃、つまり明治時時代にさかのぼる。

京の威信を賭けて行った大事業があった。それが琵琶湖疏水。

 琵琶湖から鴨川まで人工の運河を通すという、当時の技術では困難極まりない工事で、苦労に苦労を重ね、6年の歳月をかけ、明治23年にやっと完成した。その甲斐あって、今も京都市の水道はほとんどこの琵琶湖疎水に頼っているそうだ。
 疎水は滋賀県大津市から京都府へ流れ南禅寺に入ると「水路閣」と呼ばれるようになる。

そして今やいつも誰かがスケッチしている京都の人気スポットの一つになったのだ。

 私がスケッチに出かけた時、幸いにも他に絵描きはいないようだった。おかげでよいポジションを奪い合うこともなく、ゆっくり気に入ったアングルを探すことができた。でも改めて考える。

この水路閣がこんなに画家たちの創作意欲を刺激するのは何故だろう?

 和風の寺院なかに洋風レンガの建物がある、その組み合わせが面白いからか?
いやスケッチブックを開いた時に感じた高揚感は和と洋の単なる組み合わせの妙だけではないと思うのだ。
 本来ここは寺院の宗教空間、境内は「神聖な木立」の連続だ。水路閣はそんな俗世間を寄せ付けないはずの場所に、当時最新の技術である「人工のアーチ」を、やはり最新の材料であるレンガを使い、正確に、木立の間を縫うようにして築かれているのだ。

言ってみれば自然に囲まれた「神域」と人智による「工学」の共存だ。

 まさにここに私は不思議を感じたのだ。近代国家の首都「東京」に対して「古都の威信」を示したのは意外にも、民衆の信仰心でも、宮廷の文化でもなく近代技術者の心意気だったのだ。
 そんな南禅寺はほかの寺院とは一味違う。面白い。絵描きならば、いや絵が好きな人ならば一度は水路閣をスケッチすることをおすすめする。

追伸
 いったい誰がこんなものを設計したのかと思われる方のために、ちょっと調べてみた。興味ある方はご覧あれ。
 この琵琶湖疏水を設計したのは、田辺朔郎(たなべさくろう)。現在の東京大学工学部にあたる工部大学校を卒業し明治16年、京都府の技術職員となった。
 そして若干21歳の時、この琵琶湖疏水の設計者となったのだ。さらにその後蹴上水力発電所を設計し、30歳で東京大学の教授に就任したという。
 彼の持って生まれた才能のせいなのか、明治という激動の時代が彼の素質を開花させたのかはわからない。とにかくこの美しい京都の風景を作った天才技術者に感謝したい。

ウィーンで待っていた大失敗とは

ウィーン王宮

2014年夏。 長年の夢だったオーストリアの首都ウィーンを訪れた。

 イタリアについで二度目のヨーロッパだ。イタリアはローマ帝国以来の文化歴史で別格として 二度目が何故ウィーンなのか。 普通の日本人なら(芸術に興味のある人にとっては)たぶん花の都フランス、パリだろう。
 しかし私はちょっと天邪鬼。パリは現代のおしゃれの文化のイメージが強く、ちょっと新しすぎるのでパス。ローマ時代とルネサンスの文化はすでに見た。しかし個人的見解で言わせてもらうとこれらの文化は少し質素、禁欲的なところがある。だから次にスケッチするのはルネサンスの少し後、華麗で自由なヨーロッパ王侯貴族の文化が残る町ウィーンへ行くと決めていたのだ。

しかし旅立ち当日。季節はずれの大型台風が日本を襲った。

 猛烈な雨の中、早朝の空港バスで関空へと向かう。前日からの天気予報で一抹の不安を抱えながら空港に到着。すぐに出発ロビーの電光掲示板を見る。幸い私の乗る便に今のところ遅れの情報はないようだ。急ぎ足で各種手続きを済ませ、出発ゲートへ。座席に無事座ったのは結果的にぎりぎりのタイミングだった。日本脱出後のニュースを聞くと午後の便は軒並み欠航が続いたと言う。

 さて出発時にひやりとしたとはいえ、狭い機内での十数時間はやはり退屈だ。前回イタリアに行ったとき深夜便だったので翌日の午後から半日スケッチできたのだが今回はウィーンに着いたのはその日の夜。バス停を探して右往左往するトラブルがあったりして結局その日は寝るだけ。一日損した気分だが体はこちらのほうがずっと楽だ。
 だから翌日の6時起床は苦にならない。眠気もなく、快調だ。朝食前に、まずはホテルのあるウィーン西駅周辺を散策した。ここでスケッチ旅行をする人のために改めてアドバイスしておく。

早起きすること。そして朝食前にホテル周辺を散策しておくこと。

土地勘を養い、朝食後のスケッチに備えてロケハンができる。(場合によっては一枚描ける。その日の効率を大いに上げてくれるはずだ)

ウィーン西駅周辺

 ウィーン西駅周辺はビジネス街。歴史的な建築はほとんどない。でも面白いのは同じ事務所建築でもクラシカルな建築物と 超現代な建物が混在していることだ。 窓回りに三角やアーチの何気ないルネサンス調の破風飾りがあると思えば派手な赤や、黄色、紫といったビビッドカラーを外壁に塗った建物がごく自然に隣り合わせて建っている。
 おそらくローマやフィレンツェではビビッドカラーの建築など許されるはずもないが、なぜかここウィーンでは住民が許し、旅行客である私が見ても違和感なく受け入れられる。何故か? この不思議な感覚はこの旅行を通じて、頭をよぎることとなる。

散歩を終え、ホテルに戻ったところで閑話休題。
さて私には珍しいが食の話題を。

 ホテルの食事で感じたこと。ウィーンのパンは実に美味しい。外皮はややかためだが、フランスパンと違い内はふんわり、しっとりと、そしてほんのりとした甘みと塩味が微妙に利いている。そして取り放題のどっさりあるどのチーズもとてもおいしい。普通の食べ方ではないが夕食もパンとチーズ、白ワインだけでまずは試してほしい。ワインとの愛称が抜群にいいのだ。寿司とうまい冷酒の相性ががいいように、ウィーンのうまいパンと酒のコンビネーションも抜群だ。

世界遺産 シェーンブルン宮殿

 この日の午前中のお目当てはマリア・テレサで有名なウィーン最大の名所、シェーンブルン宮殿。当然ここでスケッチをと思い、かなりしつこく良い構図を求め歩き回り、何度か描きかけたものの、今一つ気分が乗らず、結局気に入った構図が得られなくて全部パスしてしまった。
 というのは宮殿室内の豪華な装飾はさすがに目を見張るものがあるが、外観はいまひとつなのだ。それはこの宮殿の設計思想にある。現在の形にしたのは前述のマリア・テレサ。設計者は彼女の要求する部屋を言われるがままに両翼に伸ばして繋ぎ、移動は部屋間にドアをつけただけという設計。廊下やホール、吹き抜けなどという共用スペースをデザインとして意識していない。したがって建物のプロポーションは単に横に長いだけ。
 壮大な全体を見ようとすると、ずいぶん離れてみる必要があり、そうすると窓周りに施された視覚的に凝った装飾も当然見えなくなるというわけだ。スケッチしたくなるような構図が見つからなかったという気持ちが少しは理解してもらえるだろうか。

ウィーン分離派の建築
左「マヨリカ・ハウス」右「メダイヨン・マンション」
設計者:いずれもオットー・ワグナー
ウィーン分離派会館 設計者:ヨーゼフ・オルブリヒ

 午後からはウィーン分離派と呼ばれる建築郡といくつかの有名な教会を見てまわった。これらの建築群の特徴はクラシカルなモチーフを流用しながらも、中身は現代的、機能的建築であることだ。歴史的な価値はとても高く、展示物の内容の濃さは一見の価値がある。
 とはいうものの、これらの建築は写真は撮っても、何故かスケッチする気がしない。たぶんもともと平面的な装飾をわざわざ平面にスケッチするのことになんとなく抵抗を感じたのかもしれない。気は焦れども結局一枚もスケッチすることなく、陽が傾きかけたころ

今日最後のお目当て、ベルヴェデーレ宮殿に到着した。

ヴェルベデーレ宮殿

 この宮殿はハプスブルク家の宮殿ではなく軍人の離宮だという。だが建築は典型的なバッロク様式。外観は左右対称で高さも幅も各所の翼楼も程よいプロポーション。屋根は緑青で外壁の漆喰と調和している。建物頂部を飾るゆったりかつ堂々としたデザインは王の権威の象徴に相応しい。垂直性を強調したゴシック様式とは明確な違いを見せつけている。
 早速、スケッチを開始。しかしなんと装飾の多いことか。それも表面的な擬似柱、擬似アーチばかりで、イタリアの中世あるいはルネサンス建築のような構造と一体となったダイナミックな光と影による立体感はない。そのぶん建具周りの細かな装飾の繰り返しに手間をかけるようになったのかもしれない。さすがに1時間描いてもまだ描いていない装飾がたっぷり残っているのにはいかに建築好き、スケッチ好きな私もややうんざり。 でもこの日描き終えた貴重な1枚。大いに価値がある。
 スケッチを終えた充実感を味わい、目についたショップで友人への土産物を買い、支払いをしようとした瞬間、財布がないのに気づいたのだ。そういえば分離派の作品を見た後、公園のベンチで財布など荷物の整理をしているところへ中国人の観光客が隣に座り大声で何やら話し始めたのに耐えきれず、いそいそと荷造りもいい加減にそこを後にしたのを思い出した。あそこに置き忘れたに違いない。とすぐに戻ったが、ここは日本ではない。置き忘れた財布など戻るはずもない。しかもクレジットカード、キャッシュカードもすべてその財布に入れていた。

 使える全財産が無くなったのだ!

 陽はとっくに沈み、見知らぬ土地の夜がさらに不安感をあおる。問題はここからだ。頼る人のいない一人旅。 スケッチなんて描いている場合ではない。 私の 人生最大のピンチだった。
 が、「しょせん過ぎたこと」とまずは気分を切り替え、ガイドブックに困った時のアドバイスがあったことを思い出し、早速チェック。
 なになに、クレジットカード会社にTEL、警察に届出、でも財布はもどらない・・・。なるほど。でもメモしているクレジット会社の電話番号はなぜかつながらず、回りに警察はない。とりあえずこの場で出来ることは無しと判断し、ホテルに戻ることにした。
 しかしさらに問題が発覚。せっかく買った地下鉄のフリー切符も、ホテルの部屋のカードキーも財布と一緒に無くなっていたのだ。

その後の言われぬ苦労は皆さんのご想像にお任せしよう。

 何とか夜遅く部屋にたどり着き、ルームキーを再発行してもらい、クレジット会社、銀行あらゆるカード類をストップさせることに成功。パスポート、iPad、iPhoneをなくしていなかったのが不幸中の幸いだった。
 こんな時はサラリーマンの習性が生きてくる。まずは現状の分析だ。落とした現金の損害は・・・それほどでも無し。この際きっぱりと忘れよう。幸いスーツケースに念のため両替しなかった2万円が部屋に残っていた。スケッチ旅の非常食のチョコレートもまだほとんど残っている。さらに欧州旅行中、日本食(?)が恋しくなったときのためのカップ麺を日本から持参しており、これでいくらかは食費の助けになりそうと判断。
 さらに、幸いなことにこの後プラハへの移動列車代金、予約したコンサート代金は事前に日本で支払い済みと気づき、「ついている!」と無理やり納得し、

その晩はチョコレート2粒の夕食で就寝した。

 翌朝、まずは2万円をユーロに両替しなければいけない。ホテルのフロントは両替はしていないとのこと。両替できる銀行はどこか聞くと近くにはなく、主要駅まで行かなければならず、またまた地下鉄での移動が必要なのだ。
 この時悟ったのはクレジットカードがもう一枚手元にあれば、キャッシングマシンで簡単にユーロが手に入ったのにということだ。ガイドブックのアドバイスを熟読していれば、と言われそうだが、実際に自分がそんな目に合うとは思っていなかった。愚痴を言っていても始まらない。とりあえず何とか朝8時半にユーロをゲット。日本より営業時間が早い、と運のよさに感謝し(?)早速この日の行動を開始した。
 本当はこの日は世界遺産「美しき青きドナウ」のバッハウ渓谷へ行くつもりだった。しかし今となっては特急料金などが払えるはずもなし。急遽行き先をフリー切符で行けるウィーン郊外のクロスターノイブルク修道院に変更した。

クロスターノイブルク修道院

 実はこの修道院、ワインつくりで有名だ。中世そのままの内部も見学でき、レストランでワインも飲める。財布はとても寂しいが、せっかく来たのだからと大奮発。「生ビール」と「ワイン」を一杯位ずつ注文。当然つまみは無しだ。

しかしのどかな村でのひと時。そして木陰でゆったりとこの修道院をスケッチする。青い空と白い雲。最高に幸せだ。

 二つの塔はそれほど高くない。でも周りに広がるのは畑と民家とウィーンの森ばかり。村のシンボルには十分だ。
 実は予算を気にしてこの日朝食は取らなかった。そして昼食はさっき飲んだ1杯のワインと教会をスケッチしながら、かじったチョコレートだけ。それでもiPhoneの健康メーターを見ると、すでに10Km以上歩いている・・・われながら自分のエネルギーに驚く。
 この修道院をスケッチをした後、まだ日は高かったが早々と帰路につく。何故かというとこの日、ウィーンフィルの殿堂でのクラシックのコンサートを予約していたからだ。まずは帰りに見つけたスーパーでパンとハム、チーズとワインを買い込みホテルの自室で夕食を堪能。最初に書いたとおり、このシンプルな食材の組み合わせのおいしさは賞賛に値する。現実にはこのシンプルな組み合わせしか買うお金はなかったのだが。

ウィーンフィルの本拠地 ウィーン楽友協会ホール

  満腹になったところで、ネクタイとジャケット姿に着替え、いざコンサートホールへ。本当はウィーンフィルの演奏を聞きたかったのだが、どうやら旅行者が直前にふらっと行って買えるチケットではないらしい。お金の問題ではなく、長年ウィーンフィルの会員(?)になっていないと、個人では簡単にはチケットを買えないようなのだ。
 なので今回の会場はウィーンフィルと同じ「ウィーン楽友協会ホール」だが、演奏はモーツアルトなんとか楽団。本場のオーケストラなので間違いはなかろうとインターネットで事前予約しておいた。
 しかし実際に演奏されたのは、モーツアルトの有名な曲のいいところだけをはしょってメドレーで流すだけ。見所は楽団員が昔風の服装と髪型で出演することだけ。インターネット予約できることだけが取り柄の完全に旅行客目当ての手抜きコンサートだ。もしこれからウィーンのコンサートに行こうとしている方、このコンサートはお勧めしない。要注意だ。
 さて、本業にもどろう。諸事情があったとは言え、スケッチの遅れに大いに反省し、翌日は朝6時からスケッチに出かけた。まずは、

 旧市街を囲む「リンクシュトラーセ」冠状道路沿いを歩くことに。

 最初に現れるのがこのヴォティーフ教会。塔の高さ100mの壮大なゴシック様式の教会だ。内部のステンドグラスが有名のようだが、今日はスケッチを描くことに専念するため、内部の見学はパス。
 ご覧のように今にも雨が落ちて来そうな暗い空の下で、夢中でペンを走らせた。そしてちょうど描き終えたころ、スケッチブックに雨粒がポタリ・・・。インクが滲まぬよう慌ててスケッチブックを閉じた。今日もこの先が思いやられる。

ウィーン大学

 次に向かったのはあのフロイトが卒業したというウィーン大学。その権威を誇る一方で私のような観光客でも自由に入場を許し、見学させてくれる度量もある。ただ残念ながら、その威容はこれまた歴史の生き証人である立派過ぎる街路樹に阻まれて、ぞの全貌を見ることはかなわない。早々とスケッチをあきらめて次の建物に向かうことにした。

ウィーン市庁舎

 隣にあるのはこの市庁舎。こちらは前面に広場があるので、建物の全容は見えるのだが、あいにくこの夜コンサートがあるらしい。ご覧のように仮設スクリーンや椅子がぎっしり。これまた絵にならないなと歩き出した瞬間、木々の間から絶妙の構図が現れた。まるで、私が16時の列車でウィーンを去らねばならないことを知っているかのようだ。

ウィーン市庁舎

 この市庁舎は装飾に覆われた5本の尖塔が特徴。そのうち最大のものだけを切り取って、あとは木で隠すという見事な省エネ構図。偶然を天に感謝し、30分でスケッチを済ませた。

 天は我に味方せず、いよいよ雨が強くなってきた。

美術史美術館

 国会議事堂、美術史美術館、民俗学博物館、ウィーン国立歌劇場・・・いずれも魅力的な建物でスケッチしたかったが、雨には勝てず、足早に一瞥しただけで通り過ぎた。

 そしていよいよ今回一番期待していた世界遺産
「ウィーン旧市街」の中へ。

シュテファン寺院

 ウィーン旧市街で一番有名な建物はこのシュテファン寺院だろう。
ロマネスク時代からルネッサンスにかけて増築や改修を重ねて出来上がった建築は壮大かつ繊細。
 しかし外観をスケッチするには広場で雨に濡れたまま長時間立ち尽くす相当の覚悟がいる。いやその前にペンも紙も滲んで使えない。
 しからば荘厳、壮麗だと言われる内部をこの目で確かめようとしたが、どうやら入場料が必要だ。残りの旅程を考えると、ここで贅沢はできない。というわけでシュテファン寺院のスケッチはきっぱりあきらめ、どこか軒先で雨をよけながらスケッチできる街並みを探すことにした。

雨にも負けずスケッチできる、やっと見つけたシーンがこれ。

 街路の隙間から立ち上がる尖塔はイエズス教会だ。雨合羽を着込み、手早くペンを走らせる。ちなみにイエズス教会の内部見学は無料。見たかったが、この日の私のスケジュールは例によって殺人的なので諦めざるを得ない。地図を片手にさっそく次の目標に向かった。

郵便貯金局 設計:オットー・ワグナー

 ウィーンは中世からルネサンス、バロック、ロココにいたる歴史的建築と、オートー・ワグナー、アドルフ・ロースの近代建築、さらにハンス・ホラインに代表される現代建築も見事に街並みになじんでいる不思議な街だ。ワグナーの郵便貯金局のインテリアなど現代人の感覚で見てもモダンで、かっこよく、実に素敵なデザインだ。
 さて早朝から、昼食抜きで歩き続けること7時間。そろそろプラハ行き列車の時刻だ。ホテルに戻り、預けた荷物を取り、地下鉄で駅へ向かう。また何か失敗をしていないかチケットと列車番号を何度も確かめ、指定の座席に無事座ったときの安堵感は言葉には表せない。
この日の夕食は列車の中で取った、パンとワイン、ハムとトマト。質素ではありますが、充実した食事に感謝しつつ、列車は次の旅先プラハへと向かう。

チェコ プラハをスケッチする

スケッチの旅、今はウィーンからプラハに向かう列車の中だ。

 いかにオプティミストの私とは言え、外国で財布もカードなくすという致命的な失敗を犯すと、またなにかトラブルが起きるのではという不安にかられる。
 プラハの地下鉄の駅に着いたのは夜の9時半。地図で見る限りホテルまで歩いて5,6分のはず。あと少し。「今日は無事終わった・・・。」
と安心しかけたのは、やはり早計だった。

中世の街並みがそのまま残るこの町は道に東西南北という観念がまったくない。

プラハの夜道

  目指す方向の目印となるプラハ城の夜景は見えるものの、 目的のホテルは、おかしな角度でつながる迷路がどこまでも続いていて、歩けど歩けど現れない。伝えてあるチェックイン予定時刻はとっくに過ぎ、予約を取り消されていたらどうしようなどと心配してしまう。
 たまらず目の前にあった適当なホテルのボーイさんに必死で相談し、やっと現在位置がわかる始末。そうしてホテルにたどり着いたのは午後11時前。真っ暗なロビーにともるフロントの明かりと出迎えてくれたお嬢さんの笑顔にほっと一息。
 チェックイン時に心配していたクレジットカードをなくしたことを伝えたが「ノープロブレム」とのこと。こうして長かった一日が終了した。

 翌日早朝。トラブル続きのこの旅行だが、スケッチしたいという気力だけは衰えを知らない。朝食前に描いたのがこの風景。有名なカレル橋の上からプラハ城を望むスケッチだ。
 日本だと、いい風景だと思っても大抵、画面のどこかに余計な建物が入り、構図に余計な工夫がいるのだが、この街ではそんな心配は不要だ。なぜなら周囲360度、どこを見ても絵になる風景ばかりだからだ。
 当然建物はどれも昔の姿のまま、自然の風景を不自然に切り取るような高層建築もない。
 しかもこの日の空は暗く、雲も怪しげで幻想的。真夏だというのに震えるほどの寒さ・・・。本当に中世にやってきたかのような錯覚を覚える。

なんと素敵な町なんだろう。

 気に入った!しかもありがたいことにプラハのこのホテルは「朝食つき」。この旅行で初めてまともな朝食にありついた。もちろんカマンベールもブルーチーズも抜群においしかったことはいうまでもない。
 この日の狙いははまずドナウ川の西側、プラハ城がメインだ。たっぷりと栄養を採ったせいか、足取りも軽かに、坂道を登る。どの建物も入り口周りの装飾は個性的で、デザインを競い合っているようだ。見ていて飽きない。道は角度を少しずつ変えながら登ってゆき、ちょうど軒先が切れ、空が広がった瞬間に絶妙の構図が現れる。

 路地の床も建物の壁もすべて石造り。長い歴史にその表面は風化したのか、グレーがかった独特のベージュ「プラハ色」で街を染めている。
 屋根瓦のオレンジは鮮やかな対比を見せ、緑の木立は生き生きと茂り、プラハ城が絶妙なプロポーションで丘の上にそびえる。
 美しい!思わずつぶやいたこの言葉に偽りない。視界に入ったプラハ城を目指してひたすら坂道を登る。
 かなりの急勾配で、本当はつらいはずなのだが、私を含め周囲の観光客の表情は実に楽しそう。
それもそのはず。いつのまにか視界はひらけ、眼下に広がるのは美しい市街地。そして目の前には次から次へと古い建造物が現れ、足の疲れに気づく間もなく、プラハ城に着いてしまうのだ。
ちょうど、城の入り口では門番が交代の儀式の真っ最中。広場の楽隊がそれらしい音楽を演奏中。これがきっと中世の日常なのだろう。

プラハ城入場

 そして私もいよいよ入城。中心はこの聖ヴィート大聖堂だ。巨大すぎて、城内の路地の視界からではとても捉えられない。裏手の広場に廻ってやっと、その全貌を見ることができた。ゴシック建築の特色は垂直性の強調だとか。それにしてもその垂直線の多いこと。ここにスケッチに来た多くの画家を泣かせたに違いない。

たっぷり1時間半・・・ひたすら線を重ねなんとか完成。

聖ヴィート大聖堂

 隣に座っていた婦人がスケッチブックを覗き込み、「Beautiful!」といってくれたのがせめてもの慰めだ。聖ヴィート大聖堂で精力を使い果たしたからなのか、見所が多すぎてアングルが決められないからなのか、午後からはスケッチブックを広げることも無く、モルダウ川を越え、プラハの町をそぞろ歩き。

 建物の外観は中世のままでも、もちろん現代の生活が営まれている。中心部にはデパートもあって、チェコらしい高価なボヘミアンガラスや陶器が並んでいる。もちろんお金もカードも落とした私にそんなものは買えるはずも無く、スーパーマーケットで夕食(例によってパンとチーズとワインのみ)を買うのが精一杯。
 さて、この日の散策スケジュールをすべて終え、疲れた足を引きずってカレル橋を渡り、ホテルに帰ろうとしたとき、この光景が。

 赤い大屋根が続くさまだけでも十分に美しいのだが、運河の中央に朝は見落としていた水車が回っている。わずかに残しておいた夜遊びの気力も使い果たしてしまった。

さて翌日。カレル橋の両端にはちょっとグロテスクな尖塔をもつ橋塔がある。中世の頃この橋が街を守る唯一の橋だったため、軍事目的で作られたらしい。橋の北側から眺めると左にその搭がアーチ橋梁を受けるように建っていて、右には華麗なドーム屋根をもつチェコの芸術の殿堂「国民劇場」が鎮座する。

なんて絶妙なバランス!こんなにも橋が似合う街を知らない。

そして、カレル橋を南側から見ると背景はあのプラハ城。きらめく水面、石造りのアーチ橋、豊かな森、そして中世の城。プラハNO.1の絶景だ。 この風景をみるためだけでも、もう一度訪れたいと思っている。

カレル橋とプラハ城

 カレル橋からモルダウ川沿いに南へ歩くとこのマサリク海岸通りに出る。赤い屋根は統一されていて、軒の高さもほぼそろっている。外壁はアイボリーからベージュの落ち着いた色調。適度に濃淡の変化がある。でも窓周りや建具のデザインはどの建物も装飾的かつ個性的。
 そして街並みのアクセントの尖塔が互いにデザインを競い合っているように見える。中世の町並みが続く世界遺産の旧市街からは少し離れ、時代も新しい建物なのだが、日本で言えばどの建物も江戸時代末期から明治時時代の建物。これほどの歴史ある街並みは日本にはない。

 さて今回のスケッチ旅行はこれで終わり。プラハでは実質2日しかスケッチできなかったこと、お金もカードも落としたために、美術館などにほとんど入れなかったことなど、とても不満が残った。いつになるかはわからないが今度はプラハからブタペストヘというスケッチ旅行を企てたいと思っている。その時はスケッチブック一冊をすべて使い切るつもりで。

スケッチ旅行に必要な道具とは

旅先で美しい風景をスケッチする。

 最高の時間の過ごし方だ。だが実は持っていく道具を間違えると、せっかくの気分が台無しになることもある。今回は水彩画で風景画を描いて見たいという方のために、私のお薦めの画材をお伝えしよう。

まずはスケッチブックから。

 リング綴じのものとブロックタイプのものがあるが、短時間で何枚も描く屋外スケッチにはリング綴じの方がいい。
 通常、水彩画教室などでは大きいスケッチブックを指導されると思うが、私は初心者には小さめのサムホールや0号をお薦めする。私自身の経験で言えば大切なのは

小さい画面サイズで気楽に何枚も描くことだ。

 結果として練習を重ねることにもなり、上達も早かったと思っている。ただし将来個展を開いてみたいと考えている人はもう少し大きい6号ぐらいのスケッチブックも欲しい。小さい絵ばかりだと展示壁面に緊張感が生まれないからだ。
 私の場合は、6号、サムホール、0号を一式持って行き、現地の風景に合わせて適切なサイズを選択するようにしている。まずはこれと思った風景をたくさん描くことだ。

次に紙の種類。

 是非プロ用の300g/㎡の厚手の水彩紙を選んでほしい。発色、にじみ方、表面の強さ、使ってみればその差は歴然だ。安物のスケッチブックは何度も色を重ねると毛羽立って、筆の線がにじみ過ぎたり、色が黒ずんだりして思うような表現ができなくなってしまう。
 私はラングトーン、ワトソン、モンバルキャンソンなどを使っている。材質がコットンかパルプかその混合かによっても値段が変わるがこのレベルの紙ならば、懐具合に応じて買えばいいと思う。(アルシュシ紙が最高級だが相当高価!)

そして筆だ。

 やはりピンからキリまであるが、サムホール程度の大きさの絵ならば6号コリンスキーまたはセーブル(いずれもその毛が取れる動物の名前)の丸筆がいい。普通の文房具店で売っている化学繊維の筆とは柔らかさ、弾力性、水分の含み具合、毛先の揃い具合など雲泥の差だ。たとえ初心者であっても、「弘法は筆を選ぶ」というプロの格言は正しいのだ。
 また色の濃い部分をエッジをきかせて塗ったり、均質に広い部分を塗るために平筆も必要だ。大きさは4号の小さめと8号の大きめの2種類準備するといいだろう。さらに私の場合は細かい部分を描くための0号、やはりコリンスキーの丸筆も愛用している。

最後に絵の具。

 昔はとにかく携帯に便利ということで、手のひらサイズの12色の固形絵の具と筆セットを持って行ったこともあるが、さすがに色が少なすぎる。赤、青、緑それぞれが原色ばかりなので思うような色を出すには初心者には難しい。
 私のお薦めはウインザーニュートンの20色固形絵の具セット。広めのパレットもいっしょになっているのでとても使いやすい。大抵の画材店に単色のピースが売っているので、好みで色を足したり、なくなった色を補充するのも容易だ。

画材さえ揃えばもう安心・・・というわけではない。

 いかに写生が好きでも現地で長時間立ちっぱなしで描くのは辛い。折り畳み椅子(百円均一の店で売っている)も必携だ。
 夏の陽射しを受けた風景。「ここだ!」と画帳を広げた場所が日陰とは限らない。つばの広い帽子を被っていこう。
 紅葉を描こうと思っても、寒い日は指がかじかんで絵どころではない。私はやはり百円均一の店で買った手袋の指先をハサミでカットしたスケッチ専用手袋を持っていく。

最後に時間の使い方のアドバイス。

 私はスケッチに行くときはいつも時間がもったいないので、昼食はとらない。だから描きながら、ちょっと空腹をしのぐクッキーやチョコを持っていく。
 でも時間の使い方はひとそれぞれ。創作意欲より食欲を満たす方が大切という人もいるに違いない。ストレスをためては何のために来たのかわからない。

大切なのは描き始めること。さあ、出かけよう。

イラストのコツ教えます

 私の作品は水彩画が中心だ。しかし実は

最初の個展の時、ペン描きイラストを展示した。

 その中で意外に人気があったのが、ホテル客室の平面を描いたもの。そのうちの一枚、東京ニューオータニ・インのエグゼクティブシングルルームの平面図だ。我ながら細かいとこまでよく書いたものだ。

 実はこのイラスト、ゼロから私が考えたのではない。妹尾河童が「河童が覗いたヨーロッパ」で旅先のホテルをスケッチしていたのを見て、真似をしてみたのだ。当時は結構出張があったので、題材に不自由することはなかった。
 河童さんは本の中で

「僕はプロだから入口に立っただけで部屋のイラストがすらすらと描けるんだ」

と記していたと思う。
一応一級建築士を持っているそれなりにプロの私が思うには、

「それは嘘だ」

と疑っている。何故なら入口から見た透視図は確かにすぐ描けると思うが、部屋の平面図は縦横の寸法、家具との位置、大きさの関係が正確にわからないと描けないはずなのだ。彼の描いた平面イラストは寸法関係がかなり正確で破綻がない。著作権があるのでここにその絵を載せられないが、興味のある人は是非見てほしい。

 それではどうやってこんなイラストを描くのだろう。

一番確かな方法は、片っ端から物のサイズを測り計算しやすい100分の1スケールでノートに書いていくことだ。シングルなら例えば奥行きは6cm、幅は3cm、ツインなら幅は4cm、奥行き8cmと書いていく。椅子は4mm×4mm、デスクの奥行きは4.5mm、シングルベッドは1cm×2cm、ダブルベッドは⒈4cm×2cmなどなど。
 でも私のイラスト見ていただければわかるだろうが、通常のA4サイズのクロッキー帳では1/100サイズでは小さすぎて細かな情報が書き込めない。そして小さな家具や備品までいちいち測っていては、夜が明けてしまう。
ではどうするか。

 特別に私の方法を教えよう。

 まず部屋の入口から窓まで、部屋の奥行き寸法をスケールで正確にはかる。次の窓のある壁の幅を図る。これで部屋の全体の大きさは決定だ。通常シングルルームなら奥行きは6メートル以内、幅は3メートル以内だろう。私のクロッキー帳はA4サイズなので1/30スケールで描くとちょうどよい。つまり部屋の幅は大体10cm、奥行きは奥行きは20cm以内に収まるはず。まずは部屋の全体の姿をクロッキー帳に書きこんでしまうのだ。めんどくさそうに思えるが1cmが30cmと考えればほぼ想像がつくだろう。 

 大切なことはこれ以上細かな寸法を測らないこと。

 次は描こうとするポイントが全体の何分の一に当たるのかを目分量で決め、割り付けていくのだ。例えばベッド幅は部屋の2/3くらいでデスクの長さはさらにその半分とか。
 もっとも建築家としての訓練を積むとインテリアの常識的な寸法は大体頭に入っている。例えば浴槽の長さは1.5mつまり画帳では5cmになることが直感的にわかってしまうのだ。残念なながらここは素人より私たちプロの方がはるかに早く描ける。そして最後に洗面台等に対して適切な大きさの備品類を描きこめば完成だ。
 今改めてこのイラストをよく見ると、TVに「TVゲームがついていた」なんていうコメントが書き込んである。自分のコメントほどある意味正確な情報は無い。是非私のやり方を試してほしい。

 ものを見るときに自分の感じたものをシンプルに表現する。

 実はこれがイラストのコツなのだと思っている。

鉛筆デッサンが教えてくれるもの

 私は大学に入学すると、すぐ美術部に入り油絵を描き始めた。油絵を描けない奴なんてアーティストではない・・・そんな雰囲気があったからだ。そして水彩画にはないカラフルで重厚な油絵独自の表現に魅了されてしまう。展示会に備えて夜遅くまでキャンバスに向かう毎日だった。
 そしてあっという間に一年がたち、二回生になった。私が入学した工学部建築学科は二回生になると「造形演習」という講義がある。

その最初の講義が石膏デッサンだった。

 既にさんざん油絵を描いていた私は、 油絵の技法への興味はかなりマニアックなレベルに達していて、「バルビゾン派の画家コローの色使いは・・・」などと仲間内で講釈を垂れていた。
 いまさら木炭や鉛筆でのデッサンなんて・・・とあまり乗り気でなかった。でも単位を取るためには仕方がない。黙々と石膏のヴィーナス像に取り組んだ。しかし 実は

石膏デッサンは自分の手でやってみると意外に面白いのだ。

 パン屑で木炭をはたき、こする。あるいは濃い鉛筆と薄い鉛筆を使い分け、明暗を描き込んでいく。黒一色でヴィーナスの表情を描き分けることが可能なのだという、言わば「美術の定理」が徐々に理解できるようになるのだ。
 言ってみれば中学生のころ初めてピタゴラスの定理を理解したような一種の驚きと喜びを感じたのだ。基本的だが奥は深い。そして多分その定理の究極を目指すのが墨絵の世界なのだろうと今は理解している。

 さてその後の私。今は油絵でなくもっぱら水彩画を描いている。水彩画の透明感あふれる美しい表現に魅了されていると言っていいだろう。しかし学生の時のように、鉛筆だけで表現するデッサンを避けているかというとさにあらず。

実は私の水彩画の下絵は鉛筆デッサンそのものなのだ。

 上の鉛筆による女性像は練習としての鉛筆デッサンではない。私の水彩画の通常の制作過程なのだ。少しだけ説明しよう。
 世の多くの「水彩画教本(人物編)」を開くと、鉛筆の線はあくまで縁取りとして、軽くあたりを取るのに使うと書いてある。そして教本の主体は水彩絵具による肌色の出し方と明暗の色変化を教えることだ。
 それに対して、私は対象の立体表現と明暗を鉛筆デッサンの世界で完結させる。そしてその上に肌色、髪の色、服の色等の透明な固有色を重ねていくのだ。完全なフルカラーの作品だが実は下地全面にほとんど鉛筆の線が施されている。とても時間のかかる技法なのだ。

 でも逆に画面全体の落ち着いた色調はこの技法によって創り出されており、それが私の水彩画の特徴でもある。
 思えば、今の私のこの水彩作法は大学時代、鉛筆デッサンの可能性に心惹かれたあの講義がきっかけだったのかもしれない。
 実はあの造形演習の先生(確か新制作協会に所属していた)の一言が今でも印象に残っている。「美術の定理」に納得した私と仕上げたデッサンの出来映えを少しは評価してくれたのだろう。彼は私にこう尋ねた

「君はどこかで絵を習っていたのかね?」私はこう答えた。
「正式に習ったことはありません」すると彼は言った。

「絵に正式という言葉は無いのだ」

 なんてかっこいい!その時の彼の言葉が妙に腑に落ちた。芸大に行っていない私が、今でも堂々と絵を描き続けているのは彼の言葉が精神的な原動力なっているのだと思う。
だからこそ、私はいまでも鉛筆デッサンにこだわるのだ。