絵になる風景を求めて…南フランスを旅する

水彩画を描くため年に一度海外を旅する…

これは水彩画家としての私の活動目標の一つである。
今年はいつ行こうか?
実は11月に出発と考えていた。理由は簡単、一般的に北半球は晩秋、夏に比べればオフシーズンで飛行機代が安くなると考えたからだ。

ところが今年は事情が違った。なんと晩秋よりも5月のゴールデンウィークのほうが安いのだ。人伝えに聞いたところでは理由は以下のようだ。

コロナが終わり、景気の回復とともに日本にインバウンド客が押し寄せた。
その数はコロナ以前を遥かに上回る。ところが昨今のとんでもない円安の影響で、日本から海外、特に物価の高い、ヨーロッパ、アメリカに行く日本人は激減。
日本を訪れる外人観光客を乗せた飛行機は、整備を終えたら空っぽの状態で帰って行くことになるわけだ。

そこで一部の航空会社はそんな状態の「今」だけ日本からヨーロッパに向けた運賃を格安に提供し始めた。あまり大っぴらにはしていない。
航空会社のホームページを訪れるとマイレージ会員向けのお知らせコーナーに載っているようだ。

旅行好きの方は早速愛用の航空会社のホームページを覗いてみてはいかがだろうか?

さてここからが本題である。
妻が見つけたその安いチケットは日本-パリの往復券だった。だが実はパリは半年ほど前に行ったばかり(「ピースボートでゆく世界一周スケッチ旅→参照」)。
そこで初夏の陽光を浴びながら優雅に南フランスを歩こうと決めた。

パリから南フランスへ飛行機の便が良いのはコートダジュール空港だ。
定番のコースはニースから、カンヌ、モナコへと東へ向かうのだが、私は以前からアヴィニョンとカルカソンヌを描きたいと思っていた。
だがニース、アヴィニョン、カルカソンヌと東へ移動するコースはそれぞれ列車で4時間ほどかかるため、移動日は半日潰れてしまう。

だから今回のコースは以下のような、今までにも増して超弾丸ツアーとなってしまった。

  • 初日パリド・ゴール空港に夕方到着。夜そのままコートダジュール空港に国内線で飛び深夜にホテルにチェックイン。
  • 二日目。朝からニースを歩く。そして夕方、列車でアヴィニョンに移動、夜ホテルにチェックイン。夕食は列車内で済ませる。
  • 三日目。早朝、世界遺産ローマの水道橋、ポン・デュガールを視察、その後ニームに移動。ニーム市内を視察して、アルルに移動。アルルの世界遺産を視察して夕刻アヴィニョンに戻る。
  • 四日目。早朝からアヴィニョン市内を取材、夕刻カルカソンヌに移動。夜ホテルチェックイン。夕食はまたしても列車内で済ませ、夜ホテルにチェックインする。
  • 五日目。終日カルカソンヌ取材。
  • 六日目。早朝よりTGVにてパリに移動。朝昼兼用食事を列車内で済ませ,午後ホテルにチェックイン。その後パリ市内取材。
  • 七日目。午前中軽く市内で買い物。午後日本へ向けシャルルド・ゴール空港を発つ。

狙いは基本的に食事を列車内で済ませ,取材時間をできるだけ多く確保することである。
こんな超過密スケジュールであったが、絵描きとして得るところは多かった。絵になりそうな風景を中心に海外旅の秘訣を最新情報とともに報告しよう。

座席予約は無料ではない?

こんなことは初めてだった。
飛行機のチェックインが遅かったのは事実である。
だが前日に座席予約を妻がしようとしたら、なんと2席並んで座れる席が既にひとつもない。しかも3席並びの一番奥の席しか空いていないのだ。

エアフランスは何度か乗ったことがあるはずだが、いざ着座してみると、前後の席間隔は極小サイズ。
トイレに行くのに寝ている横の2人に「すみません」と声をかけ、目覚めてもらい、通路に出てもらわねばならない。
心苦しいこと極まりないのだ。結局、その辛い席に、妻と前後で14時間座ることになってしまった。

どうやら、無料のチェックイン期間を極力短くし、まともな席が欲しい人は「有料チェックイン」を申込みなさいということのようだ。格安チケットにはそれなりのシステムが伴うということである。皆さんもご注意を。

どこを飛んでいる?

日本を昼過ぎに出発したはずだが、飛んでしばらくしてから、「夕食」が提供された。
そしてしばらくすると消灯。どうやら明日明るいうちに到着するので寝ておけということらしい。映画を見つつ、うとうととしていると、窓の外がやけに明るい。

下を覗いてみた。なんと一面氷の海だ(写真①)。座席の画面で現在の航路を確認すると、今までとは全く航路が違っていた。通常は日本から西へ飛び立つのだが、今回はなんと、すぐに太平洋に出てアラスカ上空を飛んでいた。東回り航路で、この時はまさに北極海の上空、そしてさらにグリーンランド上空を飛んでいた。(写真②)。
ウクライナ戦争によりロシアの上空を飛ばないとは聞いていたが、まさか東周りに飛ぶとは思わなかった。
ただ生まれて初めて見る氷に閉ざされた北極海、青い氷の大地、グリーンランドは実に美しい(写真③)。
超長時間の航路にはうんざりだったが、下界の景色に感動したことは事実である。

空港に着いてすぐすべきこと

パリ、ド・ゴール空港には翌日の夕刻に着く。だが日本の時刻に換算すると翌午前2時となる。
一番眠い頃にニースへのトランジットとなる。しかも長時間のフライトで疲労とイライラの極致。体調は最悪だ。

だがそんな不満は後回しにして、旅人がすぐすべきことがある。
それはスマホのSIMを交換すること。特に初めての土地の移動で一番頼りになるのはGoogleマップ。これ無くして現代の旅はあり得ないのだ。

もう一つ注意したいのは、データ通信専用ではなく、電話、SMSが使えるSIMを選ぶこと。
以前うっかりしてデータ専用SIMを購入してしまい、現地でタクシーアプリが使えなくて苦労した覚えがある。皆さんもご注意を!

ちなみに今回私が購入したSIMはコストも速度も文句なかった。ただ前日までに「アクティベート」(ホームページから製品番号を登録する)が必要なので注意が必要だ。

本当は乗り継ぎ時間がかなりあったはずなのだが、妻のスマホがなかなかSIMを認識しなかったため、気がつけば、出発時刻ぎりぎり。乗り越えゲートに全速力で走る羽目になっていた。

コートダジュール空港(ニース)に到着。

到着時刻は予定時刻を1時間ほど過ぎ、深夜0時を回っていた。こんなこともあろうかと、事前にbooking.comのタクシー予約サービスを申し込んでおいた。
実はこのサイトのホテルを予約すると「空港からホテル迄のタクシーは不要ですか」と自動的に聞いてくるシステムになっている。

通常は無視するのだが、今回のようにホテル迄行く公共の電車やバスの便が少ない、あるいは終電を過ぎている可能性がある場合はぜひ利用すべきである。

私の経験ではこのような場合、タクシードライバーが客の足元を見るためか、わざと大回りをし、料金を標準よりも高く請求されることが多い。

その点、この事前予約システムは既に料金が決まっており、ぼったくられる心配がない。しかも到着便のナンバーを伝えてあるので今回のように便が1時間遅れても、待っていてくれる。おすすめのシステムである。

ホテルはあまりケチらない方がいい?

先に述べたように、今回はフランス国内の列車移動がとても多い。よってホテルも出発駅に近いことを第一に、かつリーゾナブルな値段のホテルを選んだつもりだった。
だが泊まるだけの客が多いこの手のホテルはどのホテルの客室も極端に狭い。
ベッド上以外スーツケースを開ける場所もない。当然バスタブもなく、シャワーのみ。
この日のホテルは部屋に冷蔵庫もなし、歯ブラシなどのアメニティグッズもなし。ちょっとグレードを落としすぎたかと反省した。

ニースの光る海はどこ?

翌朝、5月の陽光に輝く地中海を期待してまっすぐ海岸へ。
残念。温暖化の兆しなどどこにもなく、雨と寒風が吹き荒ぶ。だがこんな冷たい海で泳いでいる猛者がいた。

妻が隣で「外人の体温は私たちとちがうのよ!」…実感である。
ニースはそれほど大きな街ではない。主な見どころは徒歩で行ける。私たちが巡ったコースを順に説明しよう。

  • サルヤ広場と市場

海岸のすぐ北にある。妻のおすすめは屋台の「ソッカ」。屋台で売っているひよこ豆から作るクレープ(写真①)。傘をさしながら、いただいた。まあまあの味。
多くの店があり、売っている商品の質もなかなかよいらしい。
昼食はニース名物のシーフード料理。美味しかったが、がややしょっぱい。

  • コリンデュシャトー

丘の上にある公園。古い要塞跡がある(写真①)。上にはエレベーターがあるとインターネットに記されていたが、現在は閉鎖されてる。
やむをえず、歩いて登ると、眼下に広がる一面の青・・・ではないが、それなりに絶景(写真②③)が現れる。これで晴れていたら・・・残念!。

  • ネグレスコホテル

海辺のプロムナードを散歩しながら西へ。20分ほど歩くと、入り口上にドームを抱いた重厚な建物が現れる(写真①)。ニースで一番有名な五つ星高級ホテルだ。100年以上の伝統を誇るという。

私は旅先に高級ホテルがあると、そのメインバーで一番人気のカクテルをいただくことにしている。
リーゾナブルな値段でホテルのインテリアデザインと快適なサービスの一部を味分けるからである。レストランで食事することに比べると時間とお金が大いに節約できる。皆さんにもお勧めしておく。

フロントでメインバーの場所を尋ねるとエントランスのすぐ横のスペースだった。早速席を頼もうとしたが、どうやら満員。宿泊客以外は相当待たされることになるらしい。

残念だが、この日のうちにまだまだ巡る施設がある。今回は諦めることにした。
ただ、このホテルには、ロビーの奥に吹き抜けの円形ロビーがある(写真②)。
こちらの天井デザインを含むインテリアデザインが素晴らしい。せっかくなのでちょっと座らせていただき、雑用をさせていただいた。

何をしたか・・・往路の狭い、不便な飛行機座席に懲りたため、復路は妻と2人並びかつ、移動が自由な通路側の有料席席を確保したのだ。安いとは思わないが、快適な旅に必須のコストであると思っている。

  • 旧市街の街並み


1900年代の建物(豪華集合住宅や別荘か)が建ち並ぶ落ち着いた街である。建物のデザインも凝っている。特に扉や窓回りのデザインは秀逸だ。

  • ロシア正教会

フランスでは珍しいロシア正教会の建物。玉ねぎ型のドームが印象的だ。

  • ガール・デュ・スュッド

旧鉄道駅を改造したフードコート。駅のデザインが残る外観は面白いが、内部のデザインは正直言えば安っぽく、今一つ。特に食べたいものもなく、早々に退去。

  • シャガール美術館

実は妻が行きたかったのがこの美術館。

だが行ってみると、入場券売り場に長蛇の列。
この日は夕方アヴィニョン行きの列車に乗らねばならない。しかも今回の夕食は列車内。その食材をこれから入手する必要がある。だから美術館の入場券を買い終えた頃にはそろそろ駅に向かう時間が来てしまうことになる。
残念ながらこの施設も諦めることにした。
「ニースに来てシャガール美術館に行かない人なんているの?』と妻に大いに叱られたのは言うまでもない。

TGVは快適か?

駅近くのスーパーマーケットでニース産のロゼワインとフルーツ、パン、惣菜を買い込み、TGVに乗り込んだ。ヨーロッパの高速鉄道、フランスTGVに乗るのは初めてではない。だが、今回は長時間の移動であると言うことを理由に、全て一等の席を予約した。

車内で食事をすることもあり、さぞかしリッチな内装だろうと期待していた。だが実際に座ってみるとそれほどでもない。

「この程度?」と昔からフランスに詳しい妻に聞く。
「こんなものよ」と言う。座席番号も間違っていないので納得して、さっそく妻と2人で酒盛りを始めた。

ニースでは駅での改札はなかった。切符はインターネット(OMIO)で予め購入していたので、特に心配することはない。出発してしばらくすると車内改札があり、私のスマホの二人分のQRコードを読み車掌は通り過ぎて行った。

車内の食事もほぼ終わり、あとはゆっくり到着を待つだけと、リラックスしているところへ、再び車掌がやって来た。

乗車券のチェックらしいが、既に済ませているのに、何故何度もチェックするのかと、少しイラッとして再びスマホを見せた。

すると何やら、フランス語でわめいている。妻に聞くと、「席が違う」と言っているらしい。
座席ナンバーは確認済み。何の文句がある!とまたまたイラついたが、どうやら私たちのミスだった。

座席番号も車両番号もあっていたが、ここは2等席(class2)らしい。何とせっかく一等席を買ったのに、ずっと2等席に座っていたと言うわけだ。

到着までほとんど時間はなかったが、本来の席に移動してみると、座席の広さもインテリアの洗練度もまるで違う。またしてもミス!。
皆さんも1等に乗る時は席のナンバーだけでなく、列車の入り口上の表示「class1」を必ず確認して欲しい。

世界遺産ポン・デュ・ガールへ

この晩はアヴィニョン駅近くのホテルに宿泊。
翌日早朝、一人で世界遺産ポン・デュ・ガールに向かう。アヴィニョンからの距離は約30km。この移動はバスかタクシーしかない。
インターネットで時刻表をみると出発は朝6時40分。昨晩はバスセンターが既にしまっており、乗り場の詳細な位置がわからなかった。

バスセンターでは私の英語が通じない可能性も大いにあるので、念のため、寝ている妻を後にし、30分ほど早くホテルを出た。

ありがたいことに、バスセンターに職員が立っていて、むこうから声をかけてくれた。
私の不安顔を察してくれたのだろう。
「どこへ行きたい?」
「◯番乗り場で待っていれば良い」
「料金はバスの中で運転手に払う」
「料金は2ユーロ」・・・
こんな感じで、とりあえず必要な情報を英語で教えてくれた。
こうして無事にバスに乗り込み、座席に座ってほっと一息。

だが一人旅は慎重の上にも慎重に。私の苦い経験が物語る。
バスの運転手に「ポン・デュ・ガールに行きたい」と伝え、現在地をGoogleマップで追い、乗り越ししないように、次のバス停を逐一チェックする。

実は、心の底では「きっと観光客が皆降りるはず」とたかを括っていたのだが、甘かった。
こんな早朝から山奥の遺跡を訪れる人はいないようで、降りたのは私1人。運転手に本当にここか?と確認して、ようやく下車。

降りた瞬間、その寒さに驚いた。10℃を切っていたと思う。山奥の渓谷にかかる水道橋なので、寒いに決まっている。真夏用の薄手のズボンと綿シャツという服装は完全に失敗だった。

寒さに震えつつ、標識を頼りに、30分ほど歩いただろうか。目指すポン・デュ・ガールが目の前に現れた。

大自然の中、人っ子一人いない。
朝日に照らされたこの水道橋の姿、なんと壮大で美しいことか。

私は通常あまり「遺跡」を描かない。その中身が現代の人々の暮らしとかけ離れて過ぎているからだ。
だがこのローマ文化2000年の存在感は私の想像をはるかに超えていた。この感情、是非水彩画で表現したいと思っている。

ちなみにこの遺跡のすばらしさは壮大さや美しさだけではない。その技術力の高さも特筆に値する。
水道橋は水を流すためにある。つまり橋には水勾配が必要である。
その勾配が急すぎると目的地までの高低差が確保できない。かといって勾配を緩くすると水が流れない、あるいは逆流してしまう。

通常私たち建築設計者が設定する屋上防水の勾配は1/100程度である。つまり1Kmの長さに対して10mのレベル差を必要とする。
そして実は、この1/100勾配でも現場によっては水たまりを生ずることが度々あるのだ。

ところがこのローマ水道橋の水勾配は1/4000だという。1Km水を流すのにわずか25cmしかレベル差を設けていない。
ある意味で現代の建築技術をしのいでいるのである。恐るべきはローマ人の土木技術である。

※ポンデュガールを描いた水彩画作品はこちら→「朝陽 Pont du Gard

ローカル列車の乗り継ぎに注意!

旅先では予期せぬトラブルがつきものだが、今回の失敗はローカル列車の乗り継ぎだった。この日は予定がぎっしりと詰まっていた。ポン・デュ・ガールを見たら、すぐにニームに向かい、さらにアルルの世界遺産を見て、妻と食事の約束をした18:00までにアヴィニョンに戻らねばならない。だがまずニーム行きのバスがまったく来ない。結局寒さの中、一時間バス停で待つことになった。

ようやく来たバスの車窓はそれなりに美しかった(写真①)が、ニームでの滞在時間が大幅に減ってしまった。
それでも隙間時間を利用して市内を散策(写真②)。ローマ時代の円形劇場(写真③)などそれなりに収穫はあった。

そして予約したアルル行きの列車に乗り込む・・・ここで失敗してしまう。
南フランスの在来線列車は出発直前まで何番ホームかわからない。
電光掲示板でホームを確認し、ちょっと早めに階段を上った。すると目の前にすでに列車が到着していた。
念のため近くの駅員に「アルルに行きますか?」と聞くと「yes」と言う。安心して列車に乗り込むと、すぐに列車が動き出した。

おかしい。発車が早すぎる・・・と危惧を抱いた私はスマホのグーグルマップで現在位置をチェックしてみた。するとなんと、列車はアルルとはまったく別の方角に向かっている。
どうやら、乗る列車を間違えたようだ。あの駅員は私の質問を聞き違えたに違いない。

嘆いても仕方がないととりあえず、列車内にいる車掌を探し、事情を話し、どうしたらよいかを尋ねた。互いに苦手な英語での会話であるが、概略は以下の通り。

まず「次の駅で降りる。逆方向の列車でニームに戻る。マルセイユ方面行きの列車に乗り換えてアルルで降りる」

大筋は理解したが、今からニームに戻っても先の予約列車はすでに発車済。どの列車に乗るべきかを再度調べねばならない。ローカル路線の詳細を知らない私にはやっかいな仕事だ。

さて次の停車駅は無人駅だった。列車の行き先を聞ける駅員はいない。
各種表示文字はフランス語のみでよくわからない。
とりあえず反対側の線路のあるホームに移動すると、幸い列車を待っている30代と思しき男性がベンチに座っていた。

「次の列車はニームに停まりますか?」と英語で聞くと「YES!」との力強い返事。礼を言い、列車を待っていると先ほどの男性が話しかけてきた。
聞けば彼は日本に行ったことがあると言う。「日本人はとても親切だった。感謝している」とのこと。そして私がこの後の予定を話すと、列車の切符の取り直しを付き合ってくれるという。
旅先で、こんなにも親切なフランス人に出会えて本当に幸運だった。

私はアルルからアビニョンまでの切符も予約していたのだが、ネット購入した切符はどうやら路線変更するともう使えないらしい。
結局、アルル経由でアビニョンに戻るコースは時間的にもうメリットがないということがわかり、ニームからアビニョンへの直行列車の切符を買い直した。
そして、この窓口でのややこしいやり取りを短時間で終えられたのは、すべて「彼」が私に代わってフランス語で駅員に話してくれたからこそ可能だったのだ。

その昔、彼に親切にしてくれたという日本人の存在。私への親切はきっとその恩返しであったに違いない。
「旅人には親切に!」…今回改めて学んだ旅の教訓である。

スーツケースが壊れた!

そんな訳で、この日の午後のアルル取材予定はすべてパス。
おかげで予定より早くアビニョンに戻ることになった。
実は前日から私はもう一つトラブルを抱えていた。それはスーツケースの不具合だ。
まず日本を出発するときすでに取っ手の上下スライドが動かなくなった。不便この上ないが何とかフランスまでたどり着いた。しかし昨日から、今度は車輪のゴムが破損、ちぎれてスムーズに回転してくれない。
ほとんど引きずるような状態でスーツケースを運んでいたのだ。

そこでこの際、空き時間を利用して新しいスーツケースを購入しようと思い立った。
だが田舎町のアビニョンで手に入るだろうか?ユーロ高でとんでもない値段だったら?と一抹の不安を抱えていたのだが、この日朝から別行動をしていた妻から朗報が入った。

スーツケースを売っている店を調べてくれていたのだ。妻に大感謝!
しかも安売りをしていてサムソナイト製が200ユーロ(¥36,000くらいか)だった。日本で買ってもそれ以上する製品なので、よい買い物をしたと思っている。
さらに空港で免税手続きをすると、後日税金分5,000円程がクレジット口座に返金されていた。

アヴィニョンの町を歩く

アヴィニョン2日目。昨日はスーツケースを買い、夕食を食べたのみ。この世界遺産歴史地区の本格的な観光はこの日だけである。私たちが歩いた見どころを紹介しよう。

  • レ・アル・マーケット
    城壁内の屋内マーケット。妻のお気に入りだ。もちろんパンやチーズ、ハムもあり、早朝から営業しているので旅人や場内の住人にもありがたい施設だ。外壁は緑化され、樹木で覆われていてユニークかつ歴史的建造物が多いこの町では外観でも目を惹く存在だ。
  • サンタンドレ要塞

次に向かったのはここ。時間のない人はアヴィニョン捕囚で有名な教皇庁とサンベネゼ橋だけを見るようだが、インターネットで事前に調べたところによると、ローヌ川対岸の史跡とそこからの眺めも素晴らしいとある。
そこでまずは一番遠いこの要塞へバスで向かう。
御覧の通り周辺の街並みも、要塞からの眺めも最高だ。右写真の遠くに見えるのがアヴィニョンである。

  • ノートルダム参事会教会

小ぶりだが、建物は中世のまま。静かで、心落ち着く空間だ。

  • フィリップ美男王の塔

ローヌ川沿いに建つ塔(写真①)。塔の上から見たアビニョン(写真②)

  • サン.ベネゼ橋へ
    フランスの大河であるローヌ川は、実はアヴィニョンの前で二つに別れ、有名なサン.ベネゼ橋はその中の島に向かって架けられた橋である。かの民謡の一節「橋の上で、輪になって踊ろう…」を実践するために、この町を訪れる人もいるようだが、橋の美しさは上からはわからない。つまり絵を描くには橋の対岸から見る必要があるのだ。

対岸から撮影した写真が上の2枚。ご存じのようにこの橋は、洪水で流されてしまい現在は川の途中までしか架かっていない。それでも十分に美しいと感じた。

続いてアヴィニョン川から見た橋の風景(③写真)。残念ながら対岸からの風景のほうが美しいようだ。そして本当に「踊った」かどうかは不明だが、「橋の上で」の写真が④である。

アヴィニョン教皇庁と城内の町並み

その昔高校の世界史で習った「アビニョン捕囚」の舞台である。中世において絶大な力を誇ったはずのローマの教皇がフランス国王と対立したあげく、アヴィニョンに移され、フランス王の監視下に置かれた時の教皇庁である。

現在のバチカン教皇庁に比べると、当然ながら質素なつくりである。写真①の塔の上の「黄金のマリア像」だけが救いだろうか。

教皇庁を見た後は場内をぶらぶら歩きながら帰途に就く。静かな町である。この日はこのまま列車でカルカソンヌに移動する。約3時間の旅。もちろん夕食は列車内だ。そして今回は間違いなく一等車の座席である。

城塞都市カルカソンヌ

実はコロナが蔓延し始めた年、私は生まれて初めてのフランス旅行を計画していた。その時、一番描きたいと思っていたのがこの町である。

今回の旅が、短い期間で南フランスの東端のニースからカルカソンヌまで移動するというハードスケジュールだったのは、実はコロナであきらめた旅に対する私の怨念が生んだものと言っていい。
この町では2泊するが、初日は夜到着、最終日は朝一番でパリに向かうので、視察時間は実質中一日である。

翌朝、ゆっくり城内を見物するという妻と別れ、まずは城の周囲を歩きまわり「絵になる風景」を(速足で)探すことにした。

市内から歩いて15分ほどで巨大な城塞が現れる(写真①)。圧巻だ。ふもとの町並み(写真②)も西入口(オード門)周りの風景(写真③)も緑が豊かで美しい。

一通り外観をチェックするため、オード門をくぐらず、城壁の外の道に沿って南へ歩く。次から次へと姿が変わる。実に表情豊かな城である。

だが歩いている道が城に近いので、全体像がつかみにくい。そこで目に入った農道の先へ足を踏み入れてみた。すると期待通り、ブドウ畑の先に巨大な城塞が現れた。

さらにしばらく進むと東門(ナルボンヌ門)が現れる(写真①)。城内にはまだ入らない。
ここでまたふもとの町並みへ下ってみた。
中世のままの落ち着いた街並みが続く。歩いていて飽きることがない(写真②および③)。

カルカソンヌの西側にはオード川が流れている。ずっとこの川の東側、城塞の足元を歩いていたのだが、城塞の壁が近く、なかなか全貌が見えるロケーションがない。そこで思い切ってオード川を渡り対岸に渡ってみた。正解だった。

川、アーチ橋、城塞が重なる美しい風景だ。曇天なのが残念のだが、絵の上では何とでもなる。いずれ皆さんにお見せする水彩画では快晴の風景にしようかと思っている。お楽しみに。

パリへ!

旅も終盤。翌日早朝、最後の宿泊地パリへ向かった。TGVで約4時間の旅だ。
長時間ではあるが、1等車であったのと、海とブドウ畑の車窓は眺めていて飽きない。たまにはこんなゆったりとした時間があってもいい。

パリ(モンマルトル駅)に到着後、まずはホテルにチェックイン。早速市内観光に出かけた。あまり時間のない今回は、ホテルから歩いて行ける範囲で散策することにした。

まず向かったのは以前から見たいと思っていたパリオペラ座。単に有名だからと言うわけではない。「ネオ・バロック様式」の代表的建築を私自身、設計者としてその空間やディテール、デザイン密度を確かめたかったからだ。

この建物、現在保存工事中で外観は残念ながら仮設材や足場でかなりの部分が覆われている。だがありがたいことに内部のロビー周りは観光客に開放されている。

御覧のように「豪華絢爛」とはまさにこの建物のためにあるようだ。100年以上も前から、紳士淑女達がオペラを楽しむ文化が根付いていることがよくわかる。
そして現代の美女たちも「記念撮影」のためにここに集う。まるでいまから開演するかのように。

帰国

この日のディナーは妻がお気に入りのフレンチレストランを予約してくれた。もちろんとても美味しかったのだが、やはり相当に高い。改めて円安を痛感する羽目になった。

そして翌日シャルル・ドゴール空港へ。ここでも気になることがあった。
税関で並ぶのはいつものことだが、「日本人専用」の列があり、なんとそこに並ぶ人がほとんどいないのだ。

おかげで私たちはすぐに税関を通過でき、ありがたかったのだが、冒頭で述べた「日本人観光客が少ない」のもどうやら真実のようである。

もう一つ報告しておくことがある。往路は太平洋を北東へ、東回りの航路だった。復路が同じコースを逆にたどって飛ぶとすると、帰りは偏西風の影響を少なからず受けるだろう。

つまり行きの「狭い座席14時間」をさらに上回ることになる…と通路側の動きやすい席を有料で購入したことは先に述べた。

飛行中、行きと同じように画面でリアルタイムの航路をチェックするとなんとロシアの南、中央アジア上空を飛んでいる。つまり復路は往路とは違うコースを東回りで飛んでいたのだ。理由はわからない。
だが、東回りなので当然偏西風の影響は受けない。だから12時間ほどで日本に到着してしまった。狭い座席に拘束される拷問の2時間が無くなったことはとてもありがたかった。しばらくの間、ヨーロッパへの旅はコースを事前に、詳細に確認しておくことをお勧めしたい。

「絵になる風景を求める旅」…今年も大いに成果あり!
ただし来年はもう少し広い座席で…!?

P.S.
スケッチ旅行に興味のある方は下記記事もどうぞ。

P.P.S.
今回の旅の作品は加藤美稲水彩画作品集→で公開しています。是非ご覧ください。
また作品はオンラインストア「水彩STORE/美緑空間」で販売しています。