近景とは?
まず用語の使い方を確認しておこう。実は「近景」はこの言葉単独では意味をなさない。
私が昔読んだ水彩画の教本に「遠景、中景、近景を意識して構図をまとめよう」という一節があった。そう、近景は遠景と中景に対して存在する単語なのだ。
念の為説明しておこう。遠景とはその絵の背景となる、遠くの山や海、空などを指す。
中景とは画面の中央付近を占める、人、物、木々、建物などのことだ。
そして近景とは中景よりもさらに見ている人に近い部分、一般的には画面の下辺部に位置する風景を言う。多くは視界の開けた足元の草原、水面、道などが描かれる。
そして私自身、特に水彩画においては、一番描き方に工夫がいる部分だと思っている。
◾️遠景はどう描く?
厄介な近景の描き方に触れる前に、まず遠景を描く時の技法について記しておこう。
一般的に風景画において遠景となる空や山は明るく、淡い色となることが多い。だからファーストウォッシュの色を生かして、明るい部分を塗り残すことを考えればいい。
そして遠景の影は距離感を損なわぬよう控えめに塗る。距離感を強調するには、遠くの風景を青っぽく描く・・・空気遠近法と呼ばれるテクニックを使えば良い。
◾️中景はどう描く?
次に中景だ。実は絵の出来不出来を決めるのはほとんどこの中景であると言って良い。テーマとなる色も、形も、明暗による立体感も全て作者の想いが現れる部分と言って良いだろう。
逆に言えばこの部分に共通する万能なテクニックはないと言って良い。作者により千差万別だ。私が度々使用する「グリザイユ画法」(「効果的な水彩グリザイユ画法の使い方→」を参照)も、明暗を強調するドラマチックな表現手法(「ドラマチックな水彩画を描いてみよう!→」を参照)もこの中景を意識した手法である。
◾️近景はどう描く その一
今回のテーマはこの「近景」である。まずは近代水彩画の大家である、三宅克己、大下藤次郎の作品を見てみよう。
①三宅克己の作品では近景は草原が描かれている。そして②大下藤次郎の作品の近景には道が描かれている。さてその表現からあなたは何を感ずるだろうか?
先に結論を言おう。先達の作品から学ぶことは「近景はぼかして描け」ということだ。
よく見てほしい。両方の絵とも、中景の立体感や素材感の表現に比べると近景は明らかに、表現を省略している。
私の推測する理由は二つある。
一つは技術的な問題である。写真であれば、ピントや露出さえ正しく設定すれば、リアルな近景画面が出来上がる。
ところがぼかしやにじみのテクニックを重視する水彩画では、画面に対して大きすぎるサイズの風景オブジェクトはリアリティが失われ、絵全体の技術レベルを下げてしまう可能性があるからだ。
では、逆に近景を徹底的に超絶技巧でリアルに描けば良いかというと、もう一つの理由で、やはり好ましくない。
それは、鑑賞者の興味が、大きく描かれたオブジェクト、リアルな近景に惹きつけられ、あなたが中景に描いたはずのメインのテーマがぼけてしまうからである。
もう一つの描き方 敢えて「近景を主役にする」
それでは、いつも近景をぼかせて描けばいいかというと、当然、絵の世界はそれほど単純ではない。「近景を主役にしたい」場合がやはりあるのだ。それは通常は中景にあるメインのテーマが近景にある時である。
実例をあげよう。上の絵は私の作品「故郷(ふるさと)の道 所子」だ。
タイトルからわかるようにこの時描きたかった主要なモチーフは田圃の「あぜ道」だ。
先の原則に従って近景をすべてぼかしてしまったら、あぜ道の豊かな表情を描くことはできないと容易に想像がつくだろう。
ではこんな時、どんなテクニックを使ったいらいいのだろう。私が考えたいくつかのポイントを挙げておこう。皆さんも試してみてほしい。
近景の明度差を強調する!
一般に絵描きが自分のテーマを強調したい時、どうするか。考えられる手段としては、以下の4つくらいだろうか。
①彩度を他の部分よりも高くする
②目立つ形と大きさで描く、
③ディテールを詳細に描き込む
④明度差を大きくする。
だが今回のような近景を描くとき
①は田舎のごく普通の風景には適さない。
②の不自然な形態を描くことはリアリティを損なう。
③を目指しても写真のディテールには敵わない。
つまり正解は④だ。だから今回はこの絵の最も暗い部分を畦道の溝部分に、対比としてそれを覆う藁や草花を明るくしている。
逆に言えば、画面の他の部分では、この近景の明度差を上回る明度差を作ってはいけないと言うことだ。
遠景を見てほしい。基本は空だけで極めて明るい。一方中景には故郷の民家が描かれている。時刻が真昼だったせいもあり屋根や庇の影はかなり暗かった。ここで空との明るさの対比が大きくなりすぎると、相対的に近景の存在感が弱くなってしまう。
そこで空の雲の形を工夫し、遠景から中継にかけての明度差が目立たないようにした。さらに実際には黄緑一色に光輝いていた田畑の周辺部に青系の色を入れることにより、やはり明度差が目立たないようにしている。
リアルな描写をするには
近景を主役にするにはやはりある程度のリアルな表現が必要だ。「写真には」敵わないいと諦めてはいけない。絵ならではのリアルな表現手法が色々とある。
今回は畔道の溝を覆う藁やその周りに映える草花の表現が鍵である。そのテクニックを紹介しよう。
特徴は藁の「シャープな線」である。ご存知のように水彩画の筆はシャープな線はあまり得意ではない。どうしても淡くボケて、線のエッジは曖昧になる。
そこで今回は普段はあまり使わない、ボールペン型マスキングインクを使用した。思い切ってスピーディーに藁の線をマスキングインクで描き、その周囲を暗く塗る。こうすれば線がボケてしまうことはない。
ただこのタイプのマスキングインクは時間が経つと固くなり、出口が細いだけに、力を入れると一気にペンからインクが飛び出すことがあり、なかなか扱いづらいので注意してほしい。
もう一つ近景の重要な要素がある。生い茂る田の植物である。遠景の田畑は十分に紙を湿らせウェッインウェットで描けば、それほど苦労することなく描けるはずだ。
問題は近景だ。面相筆で植物を一本一本描いていては、いつまで経っても完成しない。かといって中継と同じようにウェットインウェットでぼかしてしまうとリアルに描いた畦道との関係がおかしくなってしまう。
こんな時のために、私は植栽を描く時専用のナイロン筆(高級なコリンスキー毛は不要、むしろ弾力のあるナイロンが良い)の先端をハサミでギザギザにカットした筆を準備している。
少なめの水を含んだ草色の絵の具で、下から上に跳ね上げるようにして描くのだ。短時間で近景の草花が描けるはずだ。試してみてほしい。
全体をチェックして・・・
一通り描いたのち、改めて全体をチェックする。ここで一つ問題を発見した。
この絵では「故郷(ふるさと)」のイメージを重要視したため、中景の民家の建物ディテールをかなり細かく、ペンで描いている。だから建物の存在が目立ちすぎて、相対的に近景の表現がかすんでしまうのだ。
そこで、登場するのが「メラミンスポンジ」だ。
スポンジに水を含ませ、画面の中央付近、田圃と家屋の境界を軽く擦ってやる。するとくっきりとしていた家屋が中央の緑と馴染んで絵全体の空気感がでた。
これで完成だ。
◾️まとめ
「近景はぼかして描け」…ある意味で上達の近道かもしれない。遠、中、近のある構図がまとめやすいからだ。だが、今回のように近景をテーマにしたい時がある。
そんな時は普段と違うテクニックを磨いてみよう。あなたの水彩画技術はさらに向上するに違いない。
P.S.
この作品は「加藤美稲水彩画作品集→」で公開している。画像の詳細を見たい方は参考にしてほしい。
また私の作品はオンラインストア「水彩STORE美緑空間」で販売している。人物画、海外の風景、日本の風景などジャンル別に検索可能なのでご利用いただきたい。
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