何故龍の絵?
今日のテーマは「龍」の絵だ。
もっとも私自身は水彩で龍の絵など描いたことがない。いや正確にいうと、その昔(「油絵に熱中した青春時代→」を参照)、それらしき油絵を一度だけ描いたことがある。空に浮かぶ人智を超えた存在に対する憧れ・・・宗教に帰依していなくとも、若い時は、そんな感情を覚える時があるのだろう。
実はその頃、墨絵の龍にも少し興味を覚えて、古本屋にゆき「墨絵入門」という分厚い本を購入したこともある。だが一時期の気まぐれは長く続くことなく、その本は何十年も開かないまま、今も私の書棚の奥にひっそりと収まっている。
気まぐれで終わってしまった理由は、単純だ。
その「龍らしき絵」は出品したグループ展で、「下手」と言われるならばまだしも、ほとんど誰からも、興味を持ってもらえなかったからだ。せいぜい「珍しいね」で終わり。
絵を描く人間は自己満足を得るためだけに描いている人は少ない。多分、人に見てもらいたい、人に感動を与えたいから描くのだと思っている。
絵がまったく注目されなかったという事実は絵描きを気取っていた者として「死刑宣告」を受けたのに等しい。
というわけで、私はそれ以来古来からある、龍、虎、邪鬼など空想のモチーフは一切描かなくなった。
そういえば私は子供の頃から、家族や友達と遊んだ、思い出の風景を描くのが嫌だった。図画工作の時間なのに、教壇の上に生けられた花と花瓶を写生する(「絵で稼ぐことを覚えた子供→」を参照)変わった子供だったのだ。
どうやら、「空想の絵」は「苦手な絵」になってしまったようだ。
これが双龍図!
そんな私が久しぶりに「龍の絵」と向き合ったのは、「絵描きになりたいな」と密かに思い始めた頃だった。
油絵に熱中していた学生時代以来久しぶりに絵を描き始めた私は、毎週休日は、必ずと言っていいほどスケッチに出かけ、水彩画を描き、ブログにアップしていた(このブログではないが)。
その日のお目当ては京都の建仁寺。
だが主要な建物である「本坊」、「方丈」、「法堂」は何故かあまり私の創作意欲を刺激してくなれかった。境内の濃緑の松林に惹かれて、枝の間から覗く三門(望闕楼 ぼうげつろう)を一枚だけスケッチしたものの、時間を持て余してしまったのだ。
いつもの私なら、スケッチ時間を優先させるので、寺院内の展示物は観ない。だがそんな事情で、せっかく京都まで来たのだからと、この時は拝観料を払い本坊の入り口をくぐった。
絵に詳しい人は当然ご存知だろうが、実は建仁寺と言えば建物よりも国宝「風神雷神図屏風」(俵屋宗達作)が有名だ。
そのことはスケッチに行く前に私も知っていた。当然それを期待して入館した訳だが、なんと玄関の正面にいきなり、その「風神雷神図屏風」が現れた。
周りの人は早速カメラを取り出して写真撮影を始めた。横に解説があり、読んでみるとなんとこれは原寸大の「レプリカ」。少しがっかりして、写真を撮るのはやめ、先へ進む。さらに橋を渡り「法堂」へ入る。
突然、天井いっぱいに巨大な龍の図が現れる。
墨絵なのか日本画なのかわからなかったが、周囲の空気まで吸い込まれるようなモノトーンの世界。圧巻だ。
後日調べてみると作者は小泉淳作画伯。大きさは108畳もある。完成したのは2002年。タイトルは「双龍図」だ。
私は元来、モノトーンの芸術的な表現が好きだ。
そしてその究極の世界が墨絵だろうとも書いた(「鉛筆デッサンが教えてくれるもの→」を参照)。この巨大な双龍図は「墨」一色でここまで描ける「水墨画」の奥深さを改めて私に教えてくれた。
だが、だからと言ってすぐ、本棚の「水墨画入門」をまた取り出したかというと、私はそこまで浮気性ではない。何しろ、最近やっと、透明水彩の油絵にはない奥深さ、魅力に気づき始めたところだ。
だから水墨画にチャレンジするのはもう少しだけ、先に伸ばそうと思う。
P.S.
このブログでは文中にリンクを張った以外にも関連する記事を書いている。興味のある人は参考にしてほしい。
- 「ためになる美術講座→」
- 「スケッチの旅日本編→」
- 「加藤美稲水彩画作品集→」
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