絵になる建物!旧岩崎邸 その3つの秘密とは?

私の水彩画は建物を描いたものが多い。理由は自然だけを描いた風景画よりも人間臭さ、ドラマを感じるからだ。

今回は上の写真「旧岩﨑邸」に文明開花の頃の建築制作者達のドラマを少し想像してみたい。

岩崎邸とは

久しぶりに訪れた東京。スケジュールの合間を脱って、スケッチしようとここを訪れた。場所は上野、不忍池から歩いて10分ほどの林の中にある。

この建物を知らない人のために先にポイントを押さえておこう。

元々は大財閥、三菱の創業者「岩﨑彌太郎」の長男「久彌」の住宅だったが、現在は国の所有で一般に開放されている。

ご覧のように堂々とした洋風建築で、設計者はこのブログでも度々取り上げている「ジヨサイアコンドル」(「甦った?首都東京の風景を描く→」を参照)である。

さて、この建物を見てあなたは何を感じるだろうか?
立派、豪華、華麗…?あるいは外観デザインに興味のある人なら窓や入口周りの繊細な装飾に興味を惹かれるかもしれない。

そう感じるのは当然だ。建てられた時代は、日本が国を挙げて西洋に追いつけ追い越せをスローガンにしていた明治時代。

だから超大富豪の住宅であれば、建築家は海外から呼んだイギリス人であり、ディテールが本場の西洋建築と同じなのは当然なのだ。

岩崎邸の秘密

さて、スケッチをしようと周囲を見て回るうちに、面白いことに気がついた。私はプロフィールにも記したように、水彩画家であると同時に建築デザイナーでもある。だから、この建物の特異性にすぐ気がついた。その秘密を説明しよう

その一:岩崎邸の構造は?

①図はイタリアのローマ、②図はミラノの本場ルネサンス建築群だ。特徴は規則的に並ぶ柱の間に端正なデザインの窓が配置され、窓の上部には階ごとにアーチ、三角の破風など異なる装飾が施されている。

岩崎邸も基本的には同じ構成である。だが実は本場の様式とこの岩崎邸の間には両者の風土の違いがそのまま現れた、形態的な違いがある。そのうち特に大切なニ点を以下に説明しよう。

一つ目の違いは「掘りの深さ」であり表面の「立体感」である。岩崎邸は、本場のルネサンス建築に比べて、壁と柱及び窓周りの装飾の影が少なく、平坦でのっぺりとした印象である。

その理由はヨーロッパのルネサンスの建物の外壁は基本的に石、レンガでできている。暖炉で暖められたその外壁は冬の寒さから住む人を守ってくれるのだ。壁厚は数十センチありとても厚い。したがって先の装飾も深く掘り込むことができる。

いっっぽう岩崎邸は意外なことに、実は全て木造である。明治の初期は西洋の石造を扱える日本の大工はいなかった。だから太く見える柱も板を加工して作った柱型なので、その装飾は当然薄くなる。だから立体感が乏しいのだ。

その2:軒のデザインは?

う一つの違いは建物頂部、軒周りのデザインである。西洋の建築において頂部のデザインは極めて重要であり、プロポーションにもヴォリュームにも気を使う。

②サン・カルロ・アッレ・クワトロ・フォンターネ聖堂

その進化形がバロック建築だと言っても良い。②図はローマにある有名なボロミーニのバロック様式の教会であるが、頂部のデザインはこれでもかというくらい、複雑である。

一方岩崎邸の頂部(②図)は薄い金属(銅板)がシンプルに被さっているだけである。
私は、両者の屋根、特に軒先デザインが決定的に違う理由は「雨水(あまみず)」に対する考え方が違うからだと思っている。

一般的に日本の平均年間降雨量は1800mm、ヨーロッパの主要都市の2倍もある。日本においては軒から雨水を外壁にそのまま垂らすことはとんでもない「悪」である。

普通の人はあまり実感がないかもしれない。だが実は雨水(埃を伴う泥水)は外壁を汚し、地面の泥を跳ね上げ、木造の建物の足元を汚し、腐らせる。日本には雨水から建物を守る仕掛けが多くある。その一つが軒先の樋であり、縦樋から下水(側溝)に雨水を流すシステムなのである。(「日本の建物の不思議!「竹矢来」って何?→」を参照)

西洋においては、外壁を汚すほど雨は降らないし、壁は石やレンガなので雨で腐ることもない。汚れても場合によっては外壁の石に風格が出る。だから西洋の建築家は軒の雨だれを気にすることなく、建物頂部のデザインに集中できるのだ。

さてここで、もう一度旧岩崎邸の軒を見て欲しい。何か気がつくことはないだろうか?そう、実はこの建物には日本に必須である「軒樋」が見当たらないのだ。

「何故?」

③隠された屋根の軒樋

ここに建物制作者たちのドラマがある。種明かしをしよう。③図を見て欲しい。建物の2階の窓から軒先を写したものだ。そうシンプルに見えた軒金物の内側は樋になっていたのである。

しかし設計者は先に述べたようにイギリス人。雨水の「悪」など知らなかったに違いない。まして木造の造作図面など描いたこともなかったに違いない。

その3:大工の棟梁の存在

私は以下のように考える。
おそらくコンドルが描いたのは外観立面図のみ。そしてそのプロポーションを守りつつ、雨水を完璧に処理したのは、偉大なる明治の大工の「棟梁」だったに違いない。

初めて見る西洋建築の意匠を伸び縮みする木材と薄い銅板を日本の気候に合わせて組みわせて創り上げたというわけだ。

「文明開花」の主役は実は大工の巧、「棟梁」だったのだ。

P.S.
建物のある風景は人の存在感が感じられるという点で、私が最も好む題材である。その一例を加藤美稲水彩画作品集→で公開している。今日の記事に関心を抱いた方はのぞいてほしい。
また先般、私の作品を購入希望する方のためにネットショップ「水彩STORE/美緑空間」をオープンした。人物画、海外の風景、日本の風景などジャンル別に検索することも可能。是非ご利用いただきたい。