知っておきたい有名水彩画!日光陽明門

今、水彩画がブーム?

 最近は水彩画ばかり描いている。だからこのブログのトップページ(美緑(みりょく)空間へようこそ!→を参照)に掲げたのサブタイトルの一つも「水彩画の魅力を伝える」としている。

 しかし私のプロフィール(「painter_yoshineはどんな人?→」を参照)にもあるように、若いころはもっぱら油絵に情熱を燃やしていた。この変化は私だけの単なる気まぐれかというと、どうもそうではないらしい。

 かつては「画家」と言えば油絵を描く人を差し、彼らが開く「絵画教室」と言えば当然油絵を教える学校であった。

 だが最近は油絵の教室は閑古鳥が鳴いて「水彩画教室」が超満員だそうだ。町の有名ギャラリーを覗いても結構「〇〇水彩画展」が多い。タイトルの横にはけっこう「売約済み」のマークがついている。
 どうやら世の中「水彩画ブーム」のようだ。

水彩画の歴史とは?

 元々歴史好きな私はこの際、水彩画の歴史を調べてみようと思った。だが残念ながら、ネットでも書籍でも油絵ほど充実した資料は無く、概略を知るにとどまってはいる。

 しかし、絵が好きで、水彩画を自分で描き始めた人にとって、過去の有名絵画を知るのは悪いことであるはずがない。今回はそんな思いで記事を書いた。

 日本の水彩画の歴史を誤解を恐れず、要約すれば、明治初頭から始まり明治末に最盛期を迎え、昭和に入って衰えた。そして現代、再び水彩画が脚光を浴びているということだ。

明治の超絶技巧水彩画家!

 私は現代作家の作品は、国内、海外を問わず実はインスタグラムで毎日のように見ている。そして素晴らしい絵には称賛のメッセージを送っている。

 では最盛期だったという明末期の絵はどうだったのか?いろいろ調べた中で私が感動した作品の一つが冒頭の作品、五百城文哉(いおきぶんさい)が描いた東照宮の陽明門だ。

 モチーフはあまりにも有名。私も若いころ訪れたことがある。
 その時は仕事の先輩たちとの集団行動だったので、スケッチする時間などは全くなかったが、奥深い森に突然現れた黄金の光景に驚いたことを覚えている。

陽明門の魅力

 自分がもしあの時描いていいたら・・・という目でこの絵を見てみよう。
金箔で覆われた複雑な装飾は見るものの目を楽しませてくれるが、描く者にとってはその苦労は並大抵じゃない。
 油絵ならば下塗りの上に徐々に細かい部分を上塗りする。だから多少間違えても上に新しい絵具を盛り上げてしまえばいい。つまり「細密」であることに必要以上に神経質になる必要はない。

 ところが水彩ではそうはいかない。特に五百城文哉が使っていたころの絵具は重ね塗りができるガッシュやアクリルではなく、イギリスからもたらされたばかりの「透明水彩絵具」だったと思われる。

 つまり一度、暗部の色を塗るとその部分は二度と明るい部分に修正できない。一度くすんだ色相の色を塗るとその部分は二度と鮮やかにならない。

 常に明るい絵具が乾いてから暗い絵具を、鮮やかな絵具が乾いてから燻んだ色具を重ねなければならない。この作品は屋根の瓦、軒周りの木組み、各所の木彫りの装飾に至るまで、固有色の濃淡をこの手順で正確に、画面の隅々まで破綻なく、延々と続けていることに驚きを感じてしまう。

 一方で石積みの部分は、色を重ねるというより、同じ平面に赤、緑、紫、黄を濃すぎず、薄すぎず、微妙な水分加減をコントロールして、にじませたように見える。
 さらに背景の木々のみずみずしい表現はおそらく、ウォッシュとグリザイユ(水彩画入門 色塗りの基礎技法を覚えよう!を参照)を駆使したものだろう。

 個人的に感ずるところを言うと、色鮮やかな油絵の写実画を描くことは比較的容易だ。観光地に行くと、露天で色鮮やかな油絵の風景画がいくらでも並んでいることを思い出してもらえれば理解してもらえるだろうか。

 だがこの絵のように、油絵ほど色鮮やかではないが、みずみずしい独特の色調のリアルな水彩による写実画は見たことがない。恐るべき感性とテクニックだ。
 再びここを訪れる機会があれば、私なりの「陽明門」にチャレンジしたい。

いつもの私の風景画作法(ペンと水彩で描く風景画の魅力とはを参照)で、この複雑な造形を、下書きもせずにいきなりペンで描けるかは・・・たぶんその時になってみないとわからない。いつかその報告ができればいいと思っている。

P.S.
このブログには本文にリンクを張った以外にも以下の関連記事があ。興味のある方は参考にしてほしい。

■カテゴリとして

■水彩画の描き方について

■スケッチ旅の秘訣は



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2 件のコメント

  • […] なお、このブログで同じく明治の水彩画家「五百城文哉」について書いた(詳細はこちら→)。五百城は1963年生まれ、浅井は1856年生まれ。7歳しか違わないので、互いの画風について、意見を交わしたのではないかと考えて調べ始めたが、今のところそんな文献は発見できていない。だが明治の末期に生きた二人が片や超絶技巧、片やロマンチックな情景表現で競い合っていたのではないかと想像してしまう。もしそんな事実が発見出来たらまたこのブログで報告したいと思う。 […]

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