京都の魅力はお寺だけじゃない!
京都で水彩画を描くなら、通常は清水寺、金閣寺、銀閣寺などのお寺か祇園などの町屋が思い浮かぶに違いない(「スケッチの旅日本編 京都→」を参照)。
だが実は明治以降にできた洋風建築にも絵にしたくなる建物が多いのだ。
今回取り上げるのはその中でも有名な「京都国立博物館 本館」を紹介しよう。なおホームページを見ると現在はタイトルに掲げた「明治古都館」と名称を改めているようだ。
誰が設計したの?
一通りの基礎知識を説明しておこう。
設計者は片山東熊。現在の東京大学建築学科の第一回卒業生の一人だ。彼の代表作は有名な東京の「迎賓館赤坂離宮」だ。2009年に国宝に指定された。
明治以降の文化財としては、初めての快挙である。
だがこの京都国立博物館も迎賓館に負けていない。
重要文化財に指定されている。竣工は明治28年。文明開化からわずか28年で、西洋の宮殿建築を学び、建築家として、それまで木造建築しか作ってこなかった日本人の職人とともにこの建物を完成させた。明治の人々の生き様には本当に感動する。
水彩画を描くなら…
さて外観は冒頭の写真のように、長い両翼の中央に高いドーム状屋根を乗せたバロック様式だ。堂々とした外観、華麗な装飾を水彩画で描いてみたいと思う。
しかし実は絵描きとしてはちょっと悩みがある。というのはご覧のように建物の両翼が長すぎて、構図的に納まりがあまり良くない。
両翼を入れ、建物の全貌を描こうとすると、空が広すぎるし、せっかくの装飾が表現できない。装飾がわかる程度に描こうとすると、今度は建物の全貌が見えなくなってしまうのだ。
実は同じバロック様式建築であるオーストリア、ウィーンのシェーンブルン宮殿を描こうとした時(「ウィーンで待っていた大失敗とは→」を参照)も全く同じ悩みを抱え、良いアングルを求め歩き続け、悩んでいるうちに、時間が来て結局スケッチできなかったことがある。
バロック建築はある意味で強大な権力を持つ国家のシンボルでもある。国が要求する展示機能をすべて満たすには、巨大な翼を持つ建築にならざるを得なかったのだ。
どうやら絵描きにとってバロックの宮殿建築は鬼門のようだ。
正門も素晴らしい
敷地の西側に「正門」がある。こちらは入り口としてのシンプルな機能と純粋にデザインだけを求められる。設計者の芸術家としての腕前を存分に発揮できる。
だから石と煉瓦、銅板とアイアンワークを端正なプロポーションで組み合わせれば、ご覧のような素敵な芸術作品ができてしまう。
私は0号のスケッチブックにこの正門を描いたが、ぴたりと構図が決まり悩むことは全くなかった。
なおこの正門は規模が全く違うにも関わらず、本館と同様、門だけで重要文化財に指定されている。
茶室も…!
京都に来たのだから「和風建築」も描きたいという人は裏庭に回ると良い。
「堪菴」という茶室がある。ご覧のように庭もきちんと手入れされており、茶会としても使用されるという。
なおこの明治古都館の横に「平成知新館」という新館がある。
現代建築に興味ある方はこちらの方がより感動するかもしれない。設計は有名な谷口吉生氏だ。片山東熊のバロックデザインとは対照的なとてもシンプルで端正なデザインである。
両者は全く趣が異なるデザインだ。しかし不思議なことにどちらも「美しい」と感ずるのだ。
芸術とはほんとに奥深いと改めて感じさせてくれる。
P.S.
私の描いた水彩画は「加藤美稲水彩画作品集→」でその一部を公開している。興味のある方は是非見てほしい。
建物のある風景を水彩がで描くコツは
- 「下書きはいらない!建物のある風景をペンで描く→」
- 「ペンと水彩で描く風景画の魅力とは→」
- 「何故上達しない?知っておきたい水彩画の正しい着彩手順!→」
- 「決め手はファーストウォッシュ!?水彩で描く津和野の秋→」
[…] 京都国立博物館 […]
[…] さて今回何故、このグラバー邸を取り上げようと思ったかというと、理由は二つある。 一つはこの建物の設計者が貴重な存在だからだ。私がよくスケッチする洋風の近代建築の設計者は大抵が海外の建築家(例えばジョサイア・コンドル)が設計したものか、彼らの弟子の日本人建築家(例えば辰野金吾、片山東熊)が設計したものだ。 このグラバー邸はそのどちらでもない。時代は彼らが活躍した明治よりも古い江戸時代、1863年に建てられた。だから、当然建築家などはまだおらず、建て主の貿易商トーマス・グラバーにも建築家としての素養は無かったようであるから、実質的な設計をしたのは当時の大工の棟梁だったのだ。 日本人の住宅しか知らなかった彼らが、当時の西洋人の日常生活の代名詞であるバルコニー、ガラス、暖炉と煙突などを設計し、この地に建設した。驚きだ。 この建物、2013年に「グラバー邸150周年」を迎えたという。私がスケッチをした当時、実はそこまでこの建物に価値があることを知らなかった。だが少なくとも「絵になる建物だ」と思わせてくれたことは事実である。 […]