日本最古の西洋住宅?グラバー邸をスケッチ!

 ある日、アトリエを片付けようと、昔の資料を整理していた。本棚の奥から古いメモ書き兼用の安物のスケッチブックが出てきた。どのページも黄ばんでいる。パラパラとめくる。その中に見つけたのが、冒頭のスケッチ、長崎の「グラバー邸」だ。

 私のサインの上にある日付を見るとなんと1984年4月。30数年前のスケッチである。この頃は今のように真剣に絵を描こうなどとは思っていなかったはずだが、一応スケッチだけは残していたようだ。

 紙は水彩紙ではなく、普通の画用紙だ。だから影の部分をサインペンでハッチングしている。

 今も風景画を描くときは、アウトラインにサインペンを利用するが、ハッチングの影は描かない。何故なら透明水彩の淡く、明るい発色をと黒いハッチングの線が喧嘩するからだ。昔のスケッチなのでご容赦願いたい。

 さて今回何故、このグラバー邸を取り上げようと思ったかというと、理由は二つある。

 一つはこの建物の設計者が貴重な存在だからだ。私がよくスケッチする洋風の近代建築の設計者は大抵が海外の建築家(例えばジョサイア・コンドル)が設計したものか、彼らの弟子の日本人建築家(例えば辰野金吾片山東熊)が設計したものだ。

 このグラバー邸はそのどちらでもない。時代は彼らが活躍した明治よりも古い江戸時代、1863年に建てられた。だから、当然建築家などはまだおらず、建て主の貿易商トーマス・グラバーにも建築家としての素養は無かったようであるから、実質的な設計をしたのは当時の大工の棟梁だったのだ。

 日本人の住宅しか知らなかった彼らが、当時の西洋人の日常生活の代名詞であるバルコニー、ガラス、暖炉と煙突などを設計し、この地に建設した。驚きだ。

 この建物、2013年に「グラバー邸150周年」を迎えたという。私がスケッチをした当時、実はそこまでこの建物に価値があることを知らなかった。だが少なくとも「絵になる建物だ」と思わせてくれたことは事実である。

 二つ目の理由はこの建物が最近特に注目されるようになったからだ。このグラバー園、当時はそれほど観光客が多かったとは思えない。むしろ「長崎平和公園」の方が有名だっただろう。

 実は長崎市は1970年からこのグラバー邸のある敷地を「長崎の明治村」とする計画を推進していたらしい。私がここを訪れた以後、多くの建物が移築され、この構想が「グラバー園」としえ軌道に乗ったせいだろう。

 1991年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、2015年には、なんと「九州・山口近代化産業遺産群」の構成資産として世界遺産に登録されたのだ。
 この長崎の世界遺産をスケッチするについて個人的にコメントしておこう。実はグラバー邸を描いた同じスケッチブックには、やはり世界遺産に含まれる「大浦天主堂」も描いていた。

 しかし今回このブログの記事を書くにあたり、「大浦天主堂」は掲載しなかった。何故かというと、もちろんあまりにも昔のスケッチで、その出来栄えに満足していないこともあるのだが、天主堂に「モチーフ」として魅力を感じなくなったからだ。

 当時はそれなりに感動したからこそ、スケッチしたのだと思うが、その後私はヨーロッパの巨大な世界遺産の教会建築をいくつか見ている。教会建築に求められる「神への畏怖」はやはり建物の巨大さに直結する。大浦天主堂はやはり「小さすぎる」のだ。どうしても物足りなさを感じてしまう。(もちろん世界遺産としての価値は別物だが)

 さて、今回の記事により、長崎を一応私がスケッチしたお薦めリスト「ここが描きたい!日本の風景」に入れておく。だが冒頭に述べたように何しろ三十数年前のスケッチ。「長崎の明治村」構想が成就し、世界遺産に選定された今はさらにスケッチすべきシーンが増えているに違いない。
皆さんのスケッチ旅の行く先に加えて損はない・・・かな?

P.S.
今回はスケッチ旅の様子を記事にしたが、「肝心の水彩画はどうやって描くの?」と思っている人は以下に制作編をまとめているので参考にしてほしい。
■ペンと透明水彩を使う本格的な風景画の描き方は「ペンと水彩で描く風景画の魅力とは」を参照。
■透明水彩の基本を知りたい方は「色塗りの基礎的技法」を参照。
■建物を描くための透視図法のコツを知りたい方は「鉛筆はいらない!下書きしない風景画の描き方→」を参照。
■透明水彩の正しい着彩手順を知りたい方は「何故上達しない?知っておきたい水彩画の正しい着彩手順!→」を参照。
■ペンと透明水彩による風景画の制作プロセスを具体的に知りたい方は「ペンと水彩で描くミラノ大聖堂→」を参照。

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