ルネサンスの絵画から学んだものは?

「ルネサンス」とは?

 中学生の時に確か「文芸復興」と習った覚えがある。
 だが今はそう呼ばないらしい。建築、絵画など文芸に限らない運動だからだ。私自身も学生時代大学と大学院で建築学を学び、研究室も西洋建築史だったのでルネサンス「建築」には親しみがある。

ルネサンス絵画の魅力

 だが水彩画家としては、やはり絵画に興味がある。
 そしてルネサンス絵画の最大の魅力は「人間性の復活」だ。つまり、それまでの芸術が実際は人間を描いているのに、ヴィーナスであったり、天使であったりするのに対して、堂々と「人間」を描くようになったことだろう。

 その代表的な作品はもちろん、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」だ。
 そして実を言うと、私はこの「モナ・リザ」に「人物画」という絵のジャンルがあることを初めて教えられたのだ。

 小学生の頃から、楽しい思い出を想像して絵を描くことに興味のなかった私は、図工の時間になると、先生の机の上にある花を写生したりしていた(「絵が好きだった少年時代→」を参照)。
 だから「静物画」は見たままを描くものと知っていた。だが人物画はやはり父や母の顔をイメージだけで描いていた気がする。

人物画へのあこがれ

 それがある時、モナリザを見て「リアルに描く人の絵」つまり「人物画」というジャンルがあることを知ったのだ。
 もちろん、当時の子供用半透明水彩絵の具と画用紙でリアルな人物が描けるはずはないし、何よりそんな技量があるはずもない。
 でもいつか「人物画」を描きたいと心の底で思っていたに違いない。

 そして私が中学生の時、初めて油絵で「人物画」を描くチャンスがやってきた(「私の人物画が売れた訳→を参照)。
 描いたのは「自画像」だったが、頭の中に「モナリザ」の存在があったことは間違いない。

 だが一方でその後、いろいろな人物画を目にすると、子供ながらにモナリザは美人ではないし、絵の色調が暗いし・・・などと考えるようになる。

 だから私が今、女性像を一生懸命描くのは、モナリザのせいではない。
むしろ、私を刺激したのは、ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」であったり、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」であったりする。

 だから 私のアトリエの書棚の画集にも実は「モナリザ」はない。そんなわけで、モナリザはしばらく、人物画を描く、私の頭の中から消えていた。

人物画の背景処理に秘密が?

 だがある時、やはり人物画を描いていて、背景をどうするか思い悩んだ。
 その時思い出したのが「モナリザ」だ。いうまでもない、確か、背景には幻想的な風景が描いてあった。あんな感じで、現代の風景に置き換えて背景にしようと思い、適当な風景を描き始めた。だがうまくいかない。
 何故だか分かるだろうか?

 うまくいかない理由は2つある。
 一つはモデルさんの服装と背景が馴染まないからだ。アトリエに来たモデルさんは普通のカジュアルな衣装を着ている。ところが背景に幻想的な風景があると雰囲気が合わない。唐突な感が拭えない。(「水彩で描く人物画!背景はどう描くの?」を参照)

 もう一つの理由は背景の画像は透視図的に言うと、画面の上方、モデルさんの目線あたりに水平線が来ることになる。
 もちろんモナリザもそうなっている。するとやはり透視図的に言えば画面の下方はモデルの足元付近の細かな風景を描くことになり、全体として背景を違和感なく描くには相当の労力を要する。

 この問題をダビンチはどうやって解決したのだろう。もう一度「モナリザ」の下の方を見てほしい。解決策が示されている。

 写真では暗くてとても見にくい。だが肘の上あたりに「窓枠」が描かれている。これによって上の二つの問題は解決する。
 つまりモデルさんが今着ている服装は室内のもの。背景の風景は窓の外の世界。季節も、国も、あるいは時代が違っても絵のテーマによっては自然な風景になる。
 そしてモデルさんの足元には家具があれば良い。幻想的で濃密な外の風景の近景を描く必要はないのだ。

 そのテクニックを使ったのが下の水彩画だ。
 モデルはフラメンコの衣装を着ている。本来の背景は単調なアトリエの壁だ。当然それをリアルに描いても絵にふさわしい背景にはならない。

 だから窓を描いて内と外を分けた。窓枠と外の風景はスペインのアルハンブラ宮殿をスケッチした時に撮影した写真を利用している。

 そして室内装飾およびモデルさんの脚元も、スペインらしい雰囲気を出すだけならば、それほどディテールを気にしなくても済む。まさに先の二つの問題を見事に解決してくれたのだ。
それ以来このテクニックは大いに利用している。

 私にとって「人物画」のお手本はやはり「モナリザ」だったのかもしれない。


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3件のコメント

[…]  絵が好きな人でおよそ印象派、ルノワールの絵画が嫌いな人はいないだろう。日本で必ず成功する展覧会は印象派、それもルノワールだというくらいだ。 何故?。正直言ってそれを説明できるだけの勉強はしていない。ただ私が人をリアルに描く「人物画」というジャンルを知ったのはレオナルド・ダビンチの「モナリザ」のおかげであり(詳細はこちら→)、可愛らしい少女の肖像に憧れ、今でも好んで女性像を描くようになったのはルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェルス嬢の肖像」の存在があったからだ(詳細はこちら→)。 だから大学に入り、アルバイトをして、最初に買った画集は「ルノワール」だった。もちろん今でも手元にある。 […]

[…]  「日本で一番人気があるのは印象派の絵画」かつては美術館の企画担当者は口を揃えてこういったという。 もちろん私も大好きだ。私が人物画というジャンルの芸術を知ったのは、レオナルド・ダビンチの「モナリザ」を知ったから(エピソードはこちら→)であるが、自分で人物画を描きたいと思ったのは印象派、ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダーンヴェール嬢の肖像」を知ったからだ(エピソードはこちら→)。 そしてこのブログのトップページで私の絵描きとしての活動の一つに「魅力的な女性像を描く」ことを挙げているのもその時の感動がきっかけになっている。 もっとも「イレーヌ嬢」の肖像は私が描こうとしている「女性像」というには幼すぎる。ならば大人の女性像をほかのルノワールの絵や同じく印象派のモネ、ゴッホ、シスレーなどの絵から探そうとしても、私の望むイメージとはちょっと違う。 というのは一般的に印象派の絵画は大胆な筆のタッチを残すものが多く、女性の肌を描くには私にはやや不適当に思える。何より絵の主役は女性の表情ではなく肌を照らす明るい光になっている。 「イレーヌ嬢」以外のルノワールの女性像、例えば有名な「陽を浴びる裸婦」やモネの「日傘の女」などはその好例である。 だから私は恐れ多いことに「印象派に見るべき女性像の絵画はない」などと思っていたのだ。それは学生時代以来再び頻繁に絵を描くようになってからも相変わらず印象派絵画は私にとって疎遠な芸術だった。 […]

[…]  そんな私が初めて「裸婦」の絵画をじっくりと見たのは19歳、予備校生の頃だった。その絵が、冒頭のアングル作「グランドオダリスク」だ。 最も実物を見たわけではない。画集だ。(なお余談だが、この画集は私が初めて母以外の女性からもらった誕生日のプレゼントだった。) 実を言えば、別に裸婦の絵を見たのがその時初めてではない。もちろんその画集にも、他に何枚も裸婦の絵が収められている。何故この絵に惹かれたのか。最大の魅力は白い官能的な背中を見せ、振り返ってこちらに視線をむける独特のポーズだと思う。 神話世界を描いた古典絵画はもちろん人間そのものを描いたルネサンス絵画(私のコメントはこちら→)だってこんなポーズの裸婦は見たことがない。 そして絵が好きな人ならば、どうやって描いたのだろうと、誰もが見入ってしまうその滑らかな肌のリアルさ。この超絶技巧はどうやらこのブログで何度も触れたグリザイユ画法(詳細はこちら→)によるものらしい。 […]

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