ペンと水彩で描く船大工の町 佐渡島宿根木(しゅくねぎ)

佐渡島の絵を描く

・・・というと大抵の人は金山と荒海を思い浮かべるかもしれない。しかし金山はすでに無く、無人の荒海だけを描くのはこのブログ、美緑空間の使命ではない。

 今回は「宿根木」という日本の町並みの中でも一風変わった、濃密な住空間を描くのが目的だ。

まずは基礎知識から

 佐渡島の歴史は古く、8世紀以前から「佐渡国」として存在していたようだ。有名な金山が発見されたのは 1601年。

 江戸幕府の貴重な財源になった。私が読んだいくつかの歴史小説やNHKの大河ドラマでは「上杉家が屈強な軍団を維持できたのは佐渡金山のおかげ」という記述があったように思うが、どうやらそれは間違いらしい。

 金山とは逆方向、佐渡島の南端にある宿根木の街が歴史に登場するのは17世紀の後半から。当時すでに人口100万を擁し、世界最大の都市であった江戸の民を飢えさせないために整備されたのが河村瑞賢の「西廻り航路」だ。

 しかし当時まだそんな大量の米を日本海の荒波を越えて、天領の米どころである東北地方から江戸まで迅速に運べるような船は無く、新たに大型船をーから設計する必要があった。そして、それを実現したのがこの宿根木の船大工達だったのだ。

さっそくスケッチブックを手に街を歩いてみる

 街の入口をくぐり「世捨小路」と呼ばれる路地に足を踏み入れる。と陽の入らぬ狭く、薄暗い道の両側に2階建ての建物がびっしりと並んでいる。

 空さえ見えぬような、息のつまる空間が奥へ奥へと延びていく。そして不安が極限に達する頃 、突如として突き当たりの崖の上にポッ力リと青空が現れるのだ。
 意図せぬ劇的な空間。建物の隙間から広がる青い空をスケッチしたい。

 この町の建物のデザインも独特だ。いかに濃密に家が建っているといっても街は人が住むところ。光と換気の窓が必要だ。

 でも最低限のプライバシーは守りたい。だからこの狭い道に面した窓の大きさは控えめに、かつ1階も2階も密な格子で覆われている。

 家の外壁は独特の分厚い板。これは船の廃材を利用している。茶褐色の厚板による重厚感ある外壁とリズミカルに配される軽快な格子窓。統一された街並みのデザインはこうしてできあがった。

風景画は構図が決め手!

 ところで、皆さんは「風景画」を描く上で一番大事なことはなんだと思うだろうか。私は「構図」だと思っている。そして今日の水彩画の最大のポイントはこの「構図」にある。冒頭の私の絵を見て欲しい。

 鋭角に交差する道で切り取られた変な敷地。普通なら使い物にならないこの土地もここの住民の「建てたい!」という切望の前には何の障害でもなかったらしい。だから三角形の敷地に合わせてこんな家ができる。

 一級建築士の私としては、その内部の使いにくさに同情してしまう一方で、絵描きとしてはこの奇妙な風景に魅力を感じてしまう・・・そんな思いを伝えるのがこの構図なのだ。

 そして実はこの構図、画面ではそれなりに納まっているが、現地では私の目と建物までの距離がとても近く、人間の視界の限界に近い。

 おそらくデジカメでは一部分しか写らないのではないだろうか。広角のカメラでも周辺には相当の歪みが出ているに違いない。

 しかし逆に言えば手描きのスケッチなら、視界の継ぎ足しも、歪みも紙の上でなんとでも修正できる。この奇妙な建物と道の関係を自分なりの構図で絵にできるのだ。

 ちなみにこの構図、目をつけたのは私だけでなかった。同じ場所を背景とした吉永小百合さんのテレビCM(JR東日本放映)があったとのこと。見覚えのある方も多いのではなかろうか。

 色彩については、ちょっとした工夫をしている。もちろん透明水彩絵具を使用しているのだが、今回はあまり水を使用していない。

 というのは外壁を塗るのに通常の水彩技法でにじみを多用すると年月を経た厚い板張りの存在感を出せなくなると思ったからだ。ここでは平筆を丁寧に重ねて、なるべくシャープに、凸凹感を出すようにしたつもりだ。

 これらの工夫のせいだろうか、この絵はとても評判がよく、二度目の個展の時、熱心なファンに一番に購入していただいた。

町の風景が教えてくれるもの

 町の外れ、海辺の近くまで来て、やっと視界の聞ける場所を見つけた。おそらく野外の共同の作業場があったのではなかろうか。

 この敷地ならたっぷりと光を取り入れた家ができるはずと思ったが、やはり窓はほとんどなく、相変わらず重々しい板壁で覆われている。

 なぜか? 答えは地元の方が教えてくれた。江戸時代、この街は先に触れた「西廻り航路」の恩恵を受け裕福な家が多かった。

 この天領の奉行は広い家の大きな窓に税金をかけたらしいのだ。だから家の広さと高さは限界まで大きくする一方で. 窓は極力小さくするようになったらしい。

 街を流れる小さな水路も絵になる。しかしこの水路、実は「称光川」という江戸時代から生活用水を提供し続けてきた立派な「河川」だった。

 改めて地図をよく見るとこの川と街の面白い関係に気づく。この街の路地は不規則に方向が変わり、一見無秩序に走っているように見えるが、実はそうではない。

 皆が均等に生活用水を利用できるように正確に川と平行に配置されていたのだ。街に住むということは建物の風景も自然のルールに従って造られるのだという事実を教えてくれている。

P.S.
私の描く水彩画について下記に基本的な記事をまとめている。参考にしてほしい。


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