水彩で描く日本の風景 二重橋

東京をスケッチするなら

 このブログに「ここを描きたい日本の風景!→」という記事がある。重要伝統的建造物群保存地区をスケッチする、私の水彩画家としての活動(「美緑空間へようこそ→」を参照)の記録でもある。
 その記事を読んでもらえるとわかるが、東京には重要伝統的建造物群保存地区が1箇所もない。おそらく第二次大戦の東京大空襲で何もかも焼けてしまったからだろう。

 では東京に日本らしい風景が一つもないかというとそんなことはない。それも日本の表玄関ともいえる東京駅のすぐ近くにある。
 旧江戸城、つまり「皇居」である。もちろん皇居自体はいつも警官が見張っており、通常は一般人は入れない。
 だが誰でも見られる美しい風景がある。それが「二重橋」だ。

二重橋とは

 冒頭の水彩スケッチはとある仕事の空き時間を使ってスケッチしたものだ。画面奥に伏見櫓、中景に豊かな緑、近景に二連アーチのある石橋とお堀の水面・・・背景もモチーフも構図も非常に整っている。

 石橋の建造は明治20年、伏見櫓は大正時代、関東大震災で壊れたものを復元した。それぞれ江戸時代の遺構ではないが、十二分に本物の「日本の風景」だ。

 ここでちょっと質問だ。皆さんはこの有名な風景、何故「二重橋」と言うのかご存じだろうか。
 一番多い答えは多分「アーチが二重になっているから」と言うものだろう。

 だが残念だが不正解。
 「二連」ではあるが「二重」ではないから当然だ。もう一つの答えは「手前の石橋とその向こうに見える鉄の橋が重なって見えるから」だろうか。だがこれも不正解。

 答えは奥にある橋の「橋脚が(江戸時代には)二重になっていた」からだ。
 補足すると、奥の端は機能上高い柱脚が必要であり、江戸時代の木造技術では橋桁部分を2重に組まないと構造的に耐えられないからだ。

 その後、明治になって鉄橋になった時点で「二重」の構造は無くなり、現在のアーチ構造になった。だから本来の意味での「二重橋」は今は無いのだ。
 でも、宮内庁は現在の解釈として、一般的には「二つの橋の総称」として用いられていると認識しているらしい。

P.S.
スケッチ旅および水彩画の描き方についての関連記事を下記にまとめている。興味ある人は参考してほしい。

■カテゴリとしては

■水彩画の道具および基礎技術について

■スケッチ旅および風景画の描き方について