二つのスケッチが語る山辺の道の風景とは?

山辺の道を想う

 私がまだ社会人になりたての頃、奈良「山辺の道」を描いたことがある。と言っても当時はそれほど水彩画に興味があったわけでもないので、安物のスケッチブックにペンで走り描きをした程度である。
 季節は5月、ゴールデンウィーク。生憎の雨だったが新緑が鮮やかだったことを覚えている。

 何時間も畦道やら山道を歩くのだが、とある寺の裏庭に小さな小屋が立っている。覗くと中に地蔵が並んで立っていた。
 古ぼけた小屋に守られているせいか、地蔵さんの赤い涎掛けが鮮やかだった。
 長閑で微笑ましい地蔵さんの姿が私の記憶に刻まれた。

あの地蔵はどうなった?

 それから何十年経っただろうか、ある年のゴールデンウィーク。何故か突然あの地蔵の姿が頭に浮かんだ。「あの地蔵はどうなったんだろう?」

 そう思うといても立ってもいられず、再び山辺の道に向かった。
 しかし、実は山辺の道の全長は16kmもある。駅で言えば「桜井」から「天理」までだ。
 あの地蔵がどこにあったかなど覚えているはずがない。だいいち何十年も、同じあの場所にあるかどうかもわからない。

 それでもとりあえず、桜井から天理に向かって歩き出す。冒頭の写真、大神(おおみわ)神社、二上山(ふたかみやま)など見所は多い。

 あの時の地蔵が目的ではあるが、こんな気持ちのよい風景を目の前にして、あっさり通り過ぎるなんて、絵描きとは言えない。少し立ち止まりスケッチブックを広げる。

 そんな塩梅で旅をしていると、あっという間に時間は過ぎる。全長の2割も進んでいないのにもう昼を過ぎてしまう。

 このままでは日が暮れてしまうと計画を少し変更することにした。
 当時の記憶ではあの地蔵さんは田園風景の中にあったはず。この辺りは森の中。もう少し先にあるに違いないと、バスを使うことにした。

 だが、バス停までたっぷり歩き、時刻表を見ると次のバスまでやはりたっぷりと時間がある。どうやら時間が突然ゆっくり流れるようになってしまったようだ。

発見できず…

萱生(かよう)町の環濠集落

 気を取り直し、目指したのは、山辺の道の中でも有名な竹ノ内および萱生(かよう)町の環濠集落。「環濠集落」とは戦国時代の農民が村を戦から守るために周囲に水を引いて作った集落だ。

 よく見ると昔ながらの生活が今でも営まれているようだ。当然ながらここもスケッチする。
 しかし、やはりあの地蔵さんは無かった。
 結局この日はここで日が暮れ、タイムアウト。美しい風景をそれなりにスケッチし、水彩画に仕上げたものの、地蔵を探すという当初の目的は達せられず、帰宅の途についた。

今一度!

 この日の失敗は考えてみると、当たりまえだ。
 はっきりいうと、行き当たりばったり。闇雲に歩くだけでは小さな地蔵が見つかるはずもなかったのだ。

 そこで、当時のことを改めて思い出してみる。
 あのシーンに出会う前後は田園風景の中、かなり長時間あぜ道を歩いていた記憶がある。

 改めて地図を見る。すると、この日歩いた、桜井寄りの道は大半が山道なので対象から外れる。その先の二つの環濠集落の間には地蔵はなかった。
 ということは、お目当の地蔵は今日バスに乗った環濠集落までの区間か、あるいは逆に天理から環濠集落の間にあるということになる。

 ここまでわかれば、もう諦めるわけにはいかない。二週間後再度チャレンジした。今度はまず天理から環濠集落まで歩くことにした。

石上(いそのかみ)神宮

 だがこちらも「天理教の寺院群」「石上(いそのかみ)神宮」など見所は多い。気は焦るがやはり絵心には逆らえない。
 しばし立ち止まって緑豊かな、歴史ある風景をスケッチ。

 石上神宮を過ぎるといよいよ田園地帯に入る。歩きながらあの地蔵を探す。
 だが見つからない…結局前回見た環濠集落のところまで来てしまった。

「もう朽ちてしまった?」「こわされた?」という不安を覚えながら、環濠集落を超え、前回バスでとばしてしまった道をさらにひたすら歩く。

あった!

 天理駅を出てから3時間ほど歩いただろうか。
 低地を歩いていた畦道がやや上りになり、視界が開けた時だ。

 「あった!」思わず声を出す。あの時と同じ光景だ。あの小屋も地蔵も優しい雰囲気もそのままだ。
 「いや待てよ、ちょっと違う。一番左の地蔵の涎掛けが取れている。それに左横の板塀が一枚外れているな。」そんなことを思いながら描いた水彩画が上の図だ。ちなみに下の図が最初に見た時の私のスケッチだ。

 ちなみにこの水彩画「山の辺の地蔵さん」は私の最初の個展でお客様に購入いただいた、記念すべき作品でもある。きっと私の感動が伝わったのだと思いたい。

 でも、考えてみて欲しい。30数年が経って、変化は「それだけ」なのだ。
山辺の道は「世界最古の道」として、世界遺産登録を目指しているらしい。

 今回久しぶりに歩いた道には所々に、世界遺産としては「?」と思う風景がかなりあるので、今のままで選ばれるとは思えない。
 だが少なくともこの2枚のスケッチは山の辺の道は古い風景と人の記憶を大切にしてくれるということを教えている。

P.S.
山辺の道は世界遺産を目指していると書いたが、奈良にはすでに3か所の世界遺産が登録されている。そのうち「法隆寺地域の仏教建造物→)」と「古都奈良の文化財→)」については別に記事を書いている。興味あるひとは参考にしてほしい。

P.P.S.
今回はスケッチ旅の様子を記事にしたが、「肝心の水彩画はどうやって描くの?」と思っている人は以下に関連記事をまとめているので参考にしてほしい。


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