左の鉛筆デッサンの目的は何だかわかるだろうか?
「人物画のデッサン、基礎練習!」と思った人は不正解。私は単なる練習のために安くはない水彩紙に時間をかけて描かない。
「似顔絵!」ちがう。そんなに似せるための誇張はしていない。
「鉛筆画の作品!」と思った人も不正解。鉛筆画を生業とするアーチストの作品をみてほしい。おそらくはこの鉛筆画よりももっと強弱が強く、濃いところはほとんど真っ黒であろう。
正解は「水彩画の下塗り」だ。右の絵が完成図である。
私の人物画の作法は上図のように鉛筆でグレーの色調を整え、その上に透明水彩を塗るというものだ。
以前、鉛筆の線だけで仕上げた絵とその上に透明水彩絵具を施した絵を比較して大まかな制作プロセスを紹介した。(「素描をデッサンだけで終わらせない!私の人物画作法とは→」を参照)
しかし、鉛筆デッサンのプロセスそのものは私自身、描くことに必死になっていることもあり、途中の記録画像も無く、完成までの過程をお見せできなかった。
そこで今回は各ステップに分け、水彩を塗る前までの人物デッサンの過程と注意点、作画の秘訣をお伝えしようと思う。
作画前のポイントを復習しておこう
ここで述べる鉛筆によるデッサンはあくまで、透明水彩の人物画デッサンの前段階である。したがって練習用デッサンや似顔絵、作品としての鉛筆画の描き方とは違うことをお断りしておく。ポイントは以下の3つである。
- 鉛筆は4Hから4Bまでを必要に応じて使い分ける。
- 画面全体をグレーの色調とするため、鼻の頭など一点のハイライトを除き全ての面に鉛筆線を施している。
- 最後に透明水彩で色を塗るので、濃すぎる鉛筆は使用しない。
それではさっそく今回の作品の解説をしておこう。このモデルさんは大柄で姿勢もよく、目鼻立ちがはっきりとした美人だった。描いている間、動くこともほとんどなかった。この日は恵まれた条件だったといっていい。
さて最初のポーズ20分が開始された。
■構図を考える
いきなり描き出してはいけない。大切なのはまず構図を考えること。
今回のモデルさんのポーズは片足を上げ、片手をひざの上に置いている。スタイルの良いモデルさんなので本当は全身を画面に入れたかったが、そうすると当然顔は小さくなる。
でも今回のモデルさんはとてもいい表情をしている。悩んだ末、顔を十分大きく描くため敢えて足先は画面からカットすることにした。(構図とスケッチブックのサイズについては「絵画とサイズのエピソード→」を参照)
次に画面の左右の収まりを考える。具体的には顔の位置をどこにおくかがポイントだ。初心者は顔を画面の中央に置きがちだ。
でも実はそうじゃない。今回は右手を横にやや突き出したポーズなのでその指先を画面に納めると、顔は画面の中央よりやや右にくるはずだ。
顔または首の目安とのなる線をスケッチブックに薄く引く。注意しなければいけないのはこの線を多少モデルさんが顔を動かしても変わらない線にすることだ。
正面の場合は顔の中心線でよいが、斜めの場合は顔の向きに合わせて中心線は変わりやすい。したがって首を目安にしたほうがいい。
■鉛筆だけで明暗を表現するコツ
さあ構図が決まったところで描き始めよう。だが適当に手近な鉛筆を持ってはいけない。以前にも述べたが、どこをどの濃さの鉛筆で塗るかはこの後で、透明水彩を重ねる場合はとても重要だ。
今回は肌の色は3H、上着はピンクだったので2H、インディゴ色のジーンズはそれより濃いH、髪は2B、背景はFを基準の濃さとした。
最初の20分は全体のボリュームと各部のバランスを捉えることに集中する。私はこの段階では(通常のデッサン教本で教える)Bや2Bの鉛筆は使わない。
使用する鉛筆は、HまたはFくらいだ。私の経験で言えば、薄めの鉛筆で形を取り始めるほうが、その後の面の表現をするときに正しい明暗のバランスを取りやすい。
この場合の欠点は最初の線が薄いと正しい形がなかなか決まらず、デッサンが仕上がるまでに時間がかかるということだ。
濃い鉛筆で形を取り始めると、形のラインを決めやすく、デッサン時間も短くできるが、逆に明暗のバランスを調整するために練りゴムを使用する頻度が増え、余計に時間がかかることもある。このあたりは個人差があるので実際に試してみるといいだろう。
■最初の20分の注意事項(1図)
- モデルに似せようと思わないこと
この段階では 構図と体のパーツの大体の位置が決まった。顔の細部はまだ描いていない。目や鼻、口の水平の位置を大まかにつかむ程度でいい。顔の細部はまだ描き込まなくて良い。
何故なら、通常モデルさんの視線は安定して固定されるが、首をひねったポーズの場合、顔の向きは徐々に(楽な)正面を向いてくることが多く、なかなか固定されないからだ。
この段階では「まだ動く」と思って上下関係だけを捉えておく程度でよい。ただし、角度は要注意。大抵は左右どちらかに傾いているだろう。今回の場合は画面で右に(モデルさんは左に)顔を傾けている。
だから目や唇の方向は画面で右下がりになるはずだ。
この基準ラインは薄く引いておこう。そうしないとこの先、正しい細部が描き込めない。 - 最暗部を意識する
この段階では使用する鉛筆はHのみ。ただしバストの下と両腿の間が一番暗いのでそこには同じ鉛筆でハッチングを入れておく。 - 時間の配分
なお20分もかかってこれだけかと思うかも知れないが、今回は20分×4回で鉛筆デッサンまでを仕上げ、水彩による着色はそのあと20分×4回ポーズを確保できているので、全体としてはこの程度でも問題ないと思う。
もちろんデッサンの早い人はさらに描き込んでもらっても問題ない。
さあ2回目のポーズが始まった。
■全体と人物各部のプロポーションを固める
構図はすでに固まっているはずなので、人物の各パーツの形と明暗を全体のバランスが狂わないように描き込んでいこう。
この段階で気にしなければいけないことは絵としてのこのポーズの魅力となる部分を発見することだ。
まずそこを固めないとその後の作画方針が決まらない。今回の場合はモデルの左肩から指先にかけての曲線だ。
この線が狂うと、いや「美しく」ないと、つまらない絵になってしまう。そしてこの部分は不自然にならない程度に多少誇張してもよいと思っている。
上図は2回目のポーズ終了時、つまり描き始めて40分後の状態だ。
上で述べた肩のラインは何度か美しいラインを探したので線が濃くなっているのがわかるだろう。
また、ここだと思った線が決まったあとは練りゴムで目障りな線を多少消している。
この段階では顔の左右関係も決め、鼻や唇の形も描き込んでいる。各部と全体とのプロポーションに狂いが無いか、何度も画面から離れて見てチェックすることが大切だ。
■全体と人物各部の明暗を描き込む
次に肌と服、髪など画面の明暗バランスを確認するため、最初に決めたそれぞれの濃さの鉛筆で均一にハッチングを入れておこう。
一番明るい部分が顔、次に上着、その次がジーンズ、もっとも濃い部分が髪という具合だ。
ただし帽子の襞、顔や体の濃い陰の部分はベースとなるハッチングだけでは表現できないので、FやHB等やや濃い鉛筆を使用し境界がわかる程度に表現しておく。
さて3回目のポーズが始まった。
■線ではなく面を描く
ここから先は、人物の形ではなく面を意識しよう。
例えば今回は上着の基本は2Hで描くと決めた。光を受ける左肩の部分は当然明るい。従ってその部分は一旦全面的に引いた2Hのハッチング線を練りゴムで消す。
しかしその面は真っ白ではない。だからそこに一段階うすい3Hのハッチングを重ねる。すると服の部分に2Hと3H、2種類のハッチングの面が出来る。こうして絵に明るさの違う面が表現できるという訳だ。
もちろん絵の中の全ての明度差を、鉛筆の濃さの種類の違いだけで表現出来るはずがない。あとは同じ濃さの鉛筆の中の筆圧の差とハッチングの密度で表現しなければいけない。
そして モデルさんと画面の全体と部分を常に見比べながらひたすらその作業を繰り返す。ここからは時間との戦いだ。
そして作画80分が修了
■ハーフトーンの下絵を描き切る
上の図は20分×4回=80分が終了したときの絵だ。
大切なのはこの段階で、白黒の絵として完成状態とすることだ。
そのためにはとにかく手をスピーディーに動かすこと。
ここで慎重になっている必要は無い。
■絵の背景を意識する
もうひとつ「絵」として完成させるには大事な要素がある。
そう、「背景」だ。この段階では最初に決めたFの鉛筆で軽くハッチングをしている。「軽く」描いているのには理由がある。この段階でまだ背景の具体的なイメージを決めていなかったからだ。
以前、「私の人物画が売れた訳→」で述べたように人物と背景の表現にふさわしい関係がないとその絵はたぶん売れない。ここではまだ水彩画としての人物と背景の関係が決めきれていなかったのだ。
水彩画の下絵完成!
さてモデルさんを前にした制作は前段階で終了したわけだが、透明水彩で仕上げに入るにはもう少し、細かな部分に手を入れたい。
このモデルさんは最後に写真を許可してくれたので、残りは写真を参考に制作する。
■人物の表情を描き込む
まず、表情だ。いままで敢えて顔の細かな描き込み、表情については触れなかった。最初から細部にこだわると、近視眼的になり全体のバランスが狂いやすくなるからだ。
でもこの段階では存分に描き込んでいい。各部の注意事項は以下の通りだ。
- 目を描く
今回のモデルさんは特に目が魅力的だったので、目元は明確に描いている。といってもアイラインを濃くするわけではない。
目を描くとき大切なのは目の上下の凹凸に注目する事だ。具体的に言うと,まぶたの内にある眼球全体を意識しながら陰を入れていくのだ。
この陰影をきちんと描くだけで表情はぐっと引き締まるはずである。 - 口元を描く
次に大事なのは口元だ。ここも単に唇の外形線を濃くするわけではない。唇を描くポイントは、下にある顎骨の曲面を感じさせることと、上唇は下唇に比べて想像以上に暗いということだ。そしてこれを外形線ではなく面の陰影で表現することだ。 - その他顔のデッサンについて
初心者が陥りやすい注意点(顔のデッサン5つの勘違い→)を別にまとめてあるので参考にしてほしい。 - 手のデッサンについて
こちらも別に初心者用の注意点(手のデッサンはむつかしい?→)をまとめてあるので参考にしてほしい。
■髪の質感を表現する
そして髪の毛。初心者は髪の流れの方向に単純に線を重ねることが多いが、その描き方では全体が濃くなるだけで、絵として大切な髪のボリューム感や艶は出ない。
私は明るい部分はばっさりと練りゴムで消し、白っぽいままにしてあまり線を重ねない。というのはこの後水彩絵具で表情を付けたほうが,より豊かな表現が可能となるからだ。
そして濃い部分はあえて濃い鉛筆を使わず、髪の毛の流れる方向とは違う方向にハッチングを入れることにしている。
こうすると明暗で髪のボリューム感が表現できると同時に、陰の部分画真っ黒にならないため、後に施す透明水彩での豊かな色彩表現が可能になるからだ。
■服と背景を描く
帽子や服の細かな皺と背景はほぼ同時に進めることにしている。
何故なら画面全体の魅力を考えたとき、背景の明度と服の明度の関係はとても大切だからだ。
つまり絵の背景に溶け込む部分と背景から浮き出る部分をうまく表現するには背景の明度と服の皺など人物の細かな部分との明暗表現が決め手になると思っている。
この絵の背景をどうやって決めたかを説明しよう。私の場合背景のパターンは以下の3種類だ。
- ひとつは背景に屋外の風景を入れる場合。特にモデルさんが民族衣装などを着ている場合、このパターンがふさわしい。絵の完成度を高める意味でも効果がある。
- もうひとつは抽象的な塗りパターンを施す場合。これは服の色、ポーズに特徴がある場合、それを強調する部分にふさわしい色を塗るパターンだ。
印象派のドガが踊り子の白い衣装の背景を極端に暗く描き,踊るポーズと衣装の白さを強調しているのもこのパターンといえるだろう。 - 最後のひとつは人物の後ろに現実的な壁を設定し、壁の仕掛けと表情で人物との関係を描く場合だ。代表例はフェルメール。窓から差し込む壁面の光りと影、壁に架けた絵などに意味をもたせる場合が多い。
今回は人物の服装にそれほど特徴があるわけではない。だから背景に特殊な風景はいらない。ポーズもそれほど突飛なものではない。ことさら背景の色を意図的に強調する必要も無いだろう。
水彩画として完成させることを考え,全般的に女性らしく柔らかな雰囲気にするのがいいと思った。するFの鉛筆で全面ハッチングをしていた壁が、急に暗く、うっとうしく見えてきた。
悩んだ挙句、一旦濃くしたその壁を人物のぼんやりとした影を除いて練りゴムで、消すことにした。もちろん、せっかく描いた線を全部消すようなことはしない。
壁にも絵としての表情が欲しいのでわざと消しムラを残している。以上の描き込みが終了した状態が冒頭の絵だ。
ここまででPainter_Yoshine流の「透明水彩で描く人物画 デッサン編」の完成だ。
なおこの作品は、「一枚の繪コンクール」に初応募したところ、入賞し雑誌に掲載していただいたことを付け加えておく。
P.S.
今回は人物画のデッサンの実践的なプロセスを書いたが、人物画を描くための基礎練習、技法については、以下の記事を参照してほしい。
- カテゴリとしては
- 「絵画上達法→」
- 「加藤美稲水彩画作品集→」
- 人物画の描き方
- 水彩画の基本
なお、今回の記事の続編として、右側の完成作品に至る着彩のプロセスを説明する 「透明水彩で描く人物画 着彩編」を書いている。
ただしその記事は下欄で募集している「美緑(みりょく)空間アートギャラリー」のメンバーにだけ提供することにする。続きを読みたい方は是非メンバーに登録してほしい。
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